神楽、舞う

tanahiro2010@猫

Prologue

 月光に照らされた美しき夜景。

 数多の高層ビルによるその光が、社畜たちの命の灯火を映し出す。

 そんな、美しくも儚いこの場所の上空に——一筋の光が迸った。



「いやぁ、今回も簡単だったねぇ」


 はるか上空。空を駆けることのできぬ人の身では、とうてい存在することさえ許されない。そんな場所に1人の男の声がこだまする。


「ん?あぁ、そういえば結界外してなかったな。どうりで声が反響するわけで」


 そう呟いた男は、両掌を合わせ、合掌。

 …が、何かを迷ったのち顔の前で十字を切る。


「…やっべ、手印の結び方忘れちゃった。ま、まぁ。詠唱とイメージさえあってりゃ失敗することはない…よな?」


 どうやら、その手の動きに迷いが見えたのは単なるこの男の記憶不足なようで。そしてそれに反省を見せる様子のないこの男は、その一言を口にした。




 ——《羅生門 閉門》


 羅生門。

 それは、芥川龍之介の小説に登場した、地獄の門。

 彼は、それを一つの結界として扱っていた。


 数度手を叩き、反響を確認。

 「あ、あー」と呟きながら、完全に違和感を感じぬようになるまで、男は待機する。


 そして、おおよそ5分後。

 男は違和感が消えたことを確認し、空中で伸びをしながら呟いた。


「…んー。反響は消えたし、まぁこれで大丈夫かな?」


 適当な詠唱。適当な判断。

 もしも本場の職人——がこの光景を見たならば、迷わずこの男に殴りかかるだろう。当てることができるかはさて置いといて。

 されど、この場に祓魔師は存在しない。在るのはこの男と、かつては生き、動いたであろうナニカの残骸のみ。

 故に、お小言を受ける心配も何もないこの男は、何の確認もせず——。もちろん、ナニカの残骸は抹消済みである。


「いやー、何度経験してもいいよねぇこれ!今じゃもう満足できなくなってるけど、僕もともと絶叫系とか大好きだもの。こんなスリル満点の自由落下、1人の時以外経験できないよ!!」


 この時間が深夜だからなのか、それとも誰の目もないまさに自由な状態だからか。

 理由は本人のみぞ知るこの状況で、男はそのテンションが最高に上がった叫びを上げる。


 それから、数秒。


「ん?もう少しで地上かぁ。、残念」


 地面の接近——ではなくビル群の屋根がようやくしっかり見え始めたことを確認した男は、先ほどのテンションからは考えられないくらいしょんぼりとした声を出しながら——その姿を眩ました。


 何の障害物もない、上空。

 ビル群にようやく近づき始めたのにそれを地面の近くと評するそのおかしさには言及を控えるとして。

 そんな場で姿を消すというのはまさに至難の業。…いや、至難の業という言葉でも生ぬるい。もはや、何の力も持たぬ人と言う生物では、あり得ぬ所業。

 されど、軽々とそんな所業をやってのけた男の名は——神楽。その男に、姓はない。


 これは、バケモノの存在する日本に転生した、少し特殊な能力を持つ男の物語である。



 

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