第21話 いちばんの友達

 グリッター☆グリッターのセンターの座への返り咲きを目論む朝霞ミーナは、目下のセンターである佐原凜の人気がいつまでも失墜しないことに苛立っていた。


 ゴーストライター騒動が巻き起こり、一瞬だけ叩いていい空気になった。


 しかし、スターライト・プロダクションの運営がその空気をぶっ潰した。


 憶測のない誹謗中傷には裁判も辞さないとする強硬姿勢。


 運営がぶち切れているのを見て、ここぞとばかりに佐原凜を叩いていた無数の書き込みが蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ出した。


 訴訟対象となるような中傷の書き込みはまるで最初から存在しなかったように、ネット上から削除された。


 朝霞ミーナも、佐原凜を叩いていた裏アカウントをしれっと削除した。


 この空気では、どうにも佐原凜の神格化は揺らぎそうもない。


 不本意だが、凛とは「いちばんのお友達」路線を続けたほうが得だろう。


 グリグリのファン界隈では、運営の強気の姿勢が賞賛されていたけれど、佐原凜という女はどこまで守られているのだろう。特別待遇過ぎて、なんとも腹が立つ。


「運営、ガチおこじゃん」


「凜ちゃんをディスってた書き込み、スクショした。運営にまとめて訴訟されろ」


「運営がここまでぶち切れるってことは、凜ちゃん、やっぱりゴーストじゃなかったのか」


「ツミバグ、自分で書いたの。マジ?」


「凜ちゃんはやはり神だったのか」


「歌える。踊れる。ノースキャンダルの清廉さ。おまけに文才もある。そして可愛い。やはり可愛いは正義っ!」


「凜ちゃんはなんかこう、守ってあげたくなる可愛さがあるよね」


「意志の強さもあるぞ。おれ、凜ちゃんの弟になりたいぜい


「ワイ、凜ちゃんに頭ナデナデされたい勢」


「おいらは凜ちゃんに冷たく見下ろされたい勢」


「凜ちゃんは存在そのものが神」


「凜ちゃんしか勝たん」


「凜ちゃんって、兄弟おったっけ?」


「おらんだろ。いたとしても消えろ。凜ちゃんと兄弟なんて、前世でどんだけ徳積んだんだ」


「凜ちゃんを発掘したスタプロもなかなか見る目あるな」


「運営のゴリ押しが過ぎんか」


「ゴリ押しではない。あれは運営の愛」


「我らは凜ちゃんのためになけなしの財布を開くのみ」


「凜ちゃんを崇めよ。ひれ伏せ、愚民ども」


 ネット上には気色の悪い佐原凜賛美のコメントが溢れ返っていた。


 朝霞ミーナは思わずスマートフォンを握り潰しそうになったが、今は秘密の打ち合わせの最中だった。


 ブラックコーヒーにガムシロップを大量に注ぎ込んで、なんとか平静を保ったが、ミーナ下げのアンチコメントにはらわたが煮えくり返った。


「ミーナもちょっとは見習え」


「小説を書いたのがミーナなら、100パーゴーストだろうが、凜ちゃんならガチで自分で書いたかもしれん。凜ちゃん、天才だし」


 ミーナはつば広の女優帽を目深にかぶり、濃いサングラスして、マスクも着用している。


 天下の朝霞ミーナ様はただ今、芸能人オーラを完璧にオフっているので、喫茶店の半個室でうだつの上がらないフリー記者と密会していても、誰に見咎められることもなかった。


「……クソがっ」


 定期的に湧いてくるミーナのアンチコメントに思わず毒づいた。


「なにか言いました?」

「いいえ、こっちのこと」


 ガムシロップを注ぎまくって、甘ったるくなっただけのアイスコーヒーは、朝霞ミーナの心の内と同じようにまだ黒々としていた。


 フリー記者の関野に、佐原凜の双子の弟だという佐原景の身辺調査を依頼していたが、まともな回答がなかった。


 黒々としたアイスコーヒーにたっぷりとミルクを注いで中和しようとしたが、途中で止めた。


 佐原凜はぜったいに黒だ。

 白じゃない。

 灰色でもない。


「ねえ、結局どうだったの。双子の弟なんて嘘なんでしょ」


 関野は勿体ぶったように肩を竦めた。


 戸籍謄本をとれば、調べはつくのではなかったのか。


 調べはついたが、今は佐原凜を叩く空気ではないから、と日和っているのか。


 関野は物欲しそうないやらしい目でミーナを撫で回した。


 小柄だが、メリハリのある身体つきの朝霞ミーナには、男性誌で水着のグラビアをやらないか、という依頼が多数あった。


 運営にはあざと可愛い路線はそろそろ限界だから、お色気路線にシフトしたらどうか、と内々に打診された。


 ……冗談じゃない。


 水着グラビア?


 それが行き着く先がどこなのか、朝霞ミーナが知らぬわけがなかった。


「凜ちゃんといっしょならいいですよぉ」


 運営の前ではせいぜい可愛い子ぶったが、内心は怒り狂っていた。


 清廉なイメージのある凜に脱ぎ仕事をさせるにはまだ早い、と運営は思っているらしく、ミーナへのグラビアオファーごと立ち消えになった。


 運営ゴリ押しの凜ちゃんはまだ脱がせられませんか。


 ああ、そうですか。


 無名の候補生からいつの間にか成り上がって、ミーナからセンターの座を奪ったかと思ったら、今度は小説の処女作がバグったようにバカ売れして、すっかり文化人の仲間入り。


 この世界はあまりにも佐原凜に甘過ぎる。


 少しぐらい、凜が痛い目を見ないと腹の虫がおさまらない。


「……双子ではなかった。それが結論です」


 聞きたいのはその先だ。


 そんなことはなにも調べなくたってわかりそうなことだ。


 もしかして、のこのこやって来て、なにも調べていないのか。


 ふざけるなよ。万死に値するぞ。


「けっきょく、佐原景って何者なの?」


 ミーナは身を乗り出して訊ねた。


「いやあ、驚きましたよ。いやはや、なかなかスキャンダルのネタだ」


 関野は戸籍謄本らしき書類をチラつかせた。


「筆頭者の出生、婚姻、出生地などが書かれています。あとは養子関係も」


「……養子?」


 まったく想像もしていなかったひと言にミーナが唖然とした。


「いいから見せて!」


「おっと。これは大事なネタなんでね。お見せできません」


 ミーナが戸籍謄本を奪い取ろうとしたが、関野はひょいと躱した。


 ……くそっ、ムカつく。


「なにか、言いましたぁ?」


「それ、見せてよ」


「だめですよ。本人、配偶者、直系親族なら簡単に取得できますがね、正当な理由ないと、第三者には取得できないんですよ。手を回すの、けっこう大変だったんですよ」


 スターライト・プロダクションの運営ががっちり保護している佐原凜と同居する謎の男の素性を嗅ぎ回る。


 その正体はなかなかにスキャンダラスだったようだ。


「養子って、どういうこと?」


「なかなかドラマチックなご関係だなと思いますよ。よく言うじゃないですか。事実は小説よりも奇なりってね」


 関野はニヤつきながら、ミーナの成熟しきっていない身体つきを眺めまわしている。


 関野に妻子がいるのかわからないが、自分の娘ほどの相手にとる態度ではない。


「……なにが望み?」


「話が早くて助かります」


 佐原凜をセンターの座から引きずり下ろすための弱みならば、どんな些細な情報であっても、知っていて損はない。しかし、それは交換条件次第だ。


「グリグリのメンバーの子と、もっと親しくなりたいなあ、なんて」


 持って回ったような言い回しだが、下衆ゲスな顔つきに反吐が出る。


「わたしに上納接待アテンドしろってことですか」


 しっかり変装をしていてよかった。


 こんな場面をすっぱ抜かれていたら、アイドル生命は完全に終わりアウトだ。


 関野はひらひらと戸籍謄本をチラつかせた。


「これ、公表されたくなかったら、個人的にご奉仕してほしいなあって。凜ちゃんにそう伝えてもらえませんかね」


 朝霞ミーナはマスクの下の唇をつり上げ、くすりと笑った。


「あー、なるほどぉ。あなたも凜ちゃん推しでしたか」


 ニヤニヤ笑いを浮かべた関野はなんとも答えない。


 たかが戸籍謄本の一枚や二枚で、天下のアイドルを自由に弄べると思っているのか。


 ……クズが。


 朝霞ミーナはサングラスの端をコツコツと叩いた。


「これ、映像機能付きなんですよぉ」


 性接待を持ちかけてきた一部始終は証拠としてばっちり押さえた。


「うちの運営、だいぶガチなんで。わたし、まだ死にたくないんでぇ」


 小悪魔のように悪辣な笑みを浮かべ、朝霞ミーナは甘ったるいだけのブラックコーヒーを下衆男に向かって浴びせかけた。


 佐原凜の弱みとなる戸籍謄本に黒い染みが広がった。


「……ああっ」


 関野は紙ナプキンで必死に戸籍謄本の黒い染みを拭き取っていた。


 喫茶店の店員が会計伝票を持ってくるのを目で制して、朝霞ミーナは席を立った。


 いつまでも黒い染みを拭き取っている哀れな男に最後通牒を告げる。


「わたしぃ、凜ちゃんのいちばんの友達なんでぇ。そういうの、マジで許せないんで」


 普段のアイドルボイスとは違う、ドスの利いた声で警告した。


 店員には「お釣りはいりません」と言って、一万円を払って退店した。


 口止め料としては激安だろう。


 養子関係だかなんだか知らないが、ここまでされても垂れ込めるなら、ちょっとは骨があるとは思うが、運営にビビって、どうせそんなことにはなるまい。


 変装用の女優帽を脱ぎ、マスクを外す。


 街を行き交う通行人たちが「あれ、朝霞ミーナじゃね」とざわついている。


 ミーナはちらちら見てくる人々を魅了するような笑みを浮かべる。


 そうよ、わたしは朝霞ミーナ。


 


 ま、向こうはそう思ってないだろうけどね。

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