第22話 公開処刑の場

 佐原凜が制服姿でマンションを出ようとしたところ、背後から声をかけられた。


「凜ちゃーん、いっしょに学校行こぉ」


 べたべたした甘ったるい喋り方。


 振り返らずとも誰だかわかる。


 朝霞ミーナが腕に絡みついてきて、自然といっしょに通学する格好となった。


「あれれ、今日は景くん、いないのぉ?」


 ミーナがわざとらしく周囲を見回した。


 小学生の終わりから長らく不登校だった景は、毎日は通学していない。


 午前登校だけのこともあるし、駅までは行ったが、途中で気分が悪くなって、「ごめん。やっぱり帰る」と言って帰って行ったこともあった。


 、景はずっと家に引きこもっていた。


 それが最近は時々でも学校に通えるようになって、混み合った本屋のサイン会にも足を運べるようになった。


 あんなことがあったから、景は一生、このまま家から出られなないかもしれない。


 そう覚悟していたから、このところの変化は純粋に嬉しく思えた。


「景は休みです」


「そっかあ。身体でも悪いの?」


 ほぼほぼ無視して、凜は黙々と歩き続けた。


「えー、無視ぃ。傷つくぅ」


 明鏡学園はマンションから徒歩圏ではなく、電車で三駅の距離にある。


 スターライト・プロダクションの関連企業が学校運営にたずさわっているため、芸能活動に寛容で、出席日数が足りていなくても進級できて、近すぎず、遠すぎない距離ということもあって、明鏡学園に通うことにした。


 ごさんがあったとすれば、朝霞ミーナと級友になったことだけ。


 せめてクラスが違えばよかったのに、クラスまで同じときた。


 佐原凜と朝霞ミーナはセンターの座を争うバチバチのライバル同士であり、いちばんの親友。


 それが運営に授けられた公式の関係性であるが、朝霞ミーナという女はどうにも好きになれない。


 ミーナに絡まれると、凜は自然と口数が少なくなった。


 駅へ向かう途中、通行人にちらちらと見られたが、声をかけてくる者はいない。


 佐原凜と朝霞ミーナ、二人の間に割って入れる者は誰もいないとばかりに、二人だけのフィールドが勝手に出来上がっていた。


「凜ちゃん、ゴーストライター騒動、たいへんそうだねぇ。ちゃんと寝れてる? 目の下、クマできてるよ」


 ミーナが上目遣いに見上げてきて、凜の涙袋の辺りを指でつついた。


「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫です」


 凜がつっけんどんに言った。


「ねえ。凜ちゃんって、養子なの?」


 何気なく言われ、思わず凜が立ち止まった。


 凜は絡みつかれた腕を振りほどくと、鬼のような形相でミーナを見つめた。


「こわーい。それとも凜ちゃんじゃなくて、景くんが養子?」


 センターの座から追い落とす弱みを握っているからか、主導権はわたしにあるんだぞ、と言わんばかりに朝霞ミーナがにやにやと笑っている。


「……どこまで知っているんですか」


 それは自白しているのと同じであったが、朝霞ミーナに知られている以上、いつかは漏れることだろう。


 人の口に戸は立てられない。


 景が書いた小説に、たしか、そんなような言い回しがあった気がする。


「わたしね、凜ちゃんには同情してるの。だって、自分で書いたのにゴーストライターなんて言われちゃんだよ。ムカつくよねぇ。わたし、凜ちゃんみたいに図太くないから、きっとショックでステージ立てないよ」


 図太くなんかない。


 ゴーストライター騒動以降も、レッスンは一度たりとも休んではいないし、ステージに穴も開けてはいないが、心身の崩壊の兆しはそこかしこにある。


 ステージで歌詞を飛ばしかけるし、笑顔は引き攣っている。


 三億だか、五億だか、とにかく莫大な違約金をチラつかせられれば、およそ平静ではいられない。


 わたしは完璧なアイドルでなければならない。


 グループのセンターとして恥じない姿を見せなければならない。


 騒動以降は、よりいっそう強く思うようになった。


「ねえ、凜ちゃん。わたし、ちょっと考えたんだけどさ」


 悪戯いたずらを考えた子供のような無邪気な目で、ミーナが見つめてきた。


 どうせ、ろくでもない提案だろうが、内容はまったく想像がつかない。


 景との本当の関係を暴露しない限り、センターの座を譲れ。


 持ちかけてくるのは、そういう裏取引だろうか。


「なんですか」


 雑踏の中で、凜とミーナだけがその場に立ち尽くしていた。


 行き交う他の連中なんて眼中にない、完全に二人だけの世界。


「センターの座を譲れとか、そういうことですか」


「えー、違うよぉ。わたしが考えたのはね、凜ちゃんのゴーストライター疑惑を完全に払拭する方法」


 目をらんらんと輝かせて、朝霞ミーナはやけに楽しそうだった。


「どういうことですか?」


「なんて言ったっけ。凜ちゃんがゴーストだって騒がれるきっかけになったの」


 十代若手作家対談の相手、その名はきっと一生忘れられないだろう。


 ゴーストライターの震源地、小説妖精ハルちゃんこと藤岡春斗。


 童顔の生まれつきの壊し屋ナチュラル・ボーン・クラッシャー


「……藤岡春斗」


「そうそう、そのフジナントカ先生を第一回のゲストに呼んでさぁ。凜ちゃんがグリグリのメンバーに小説の書き方をレクチャーするってのはどう?」


 対談ではなく、グリッター☆グリッターのメンバーを相手にした公開講座。


「たとえば、グリグリ文芸部みたいな感じでぇ」


 ミーナがどうしてそういう発想に行き着いたのか、おおよそは察しがついた。


 挑発するような視線――運営への根回しはすでに済んでいて、グリグリ文芸部の発足はおそらく既定路線なのだろう。


 販促に繋がるから、潮乃杜書房の営業部が泣いて喜びそうな企画だ。


 本当に凜が書いているならば、だが。


 グリグリ文芸部なるものを立ち上げて、凜が自分で書いてもいない小説の書き方を指南するようなことになれば、いずれ公衆の面前でボロを出すだろう。


「わたし、小説の書き方なんて教えられないですよ」


「えー、凜ちゃん、天才作家じゃん。ちょちょいと教えられるでしょ」


「書くのと、書き方を教えるの、それは違うんじゃないですか」


「同じだよお。自分で書いてるなら、教えることもできるでしょう」


 それはどうかわからない。


 いつぞや、藤岡春斗はこう言っていた。


 ぼく、小説をどう書いているのか、自分でもよくわかんないんですよね。物語の部品パーツを揃えると、妖精さんが勝手に書いてくれてる感じ、と。


 あまりにも感覚派すぎて、ロジカルに小説の書き方を教えられそうな気がしない。


「藤岡先生、ゲストには来てくれないんじゃないですかね。わちゃわちゃしたアイドルとか、嫌いそうだし」


「えー、天下の凜ちゃんに誘われたら、誰でものこのこ来てくれるでしょ」


「買い被りですよ、ミーナさん」


 いちおう謙遜してみせたが、ミーナはまったく引き下がらなかった。


「そんなにやりたいんですか、グリグリ文芸部」


「うん。だって、このままじゃ凜ちゃんが可哀そうだもん」


「わたしが可哀そう?」


「うん。だって凜ちゃんは間違いなく小説を自分で書いてるんでしょう。だったら、それをきちんと証明しよう。ほら、口パク疑惑の歌手が実際に人前で歌って見せるのといっしょだよ。グリグリメンバーの前で凜ちゃんが実際に小説を書いて見せる。修正が利かないように、公開は生放送。そうしたらさ、凜ちゃんには誰もケチをつけられないじゃん」


 よくぞここまで考えるものだと感心した。


 グリグリ文芸部だなんてふざけた名前だが、ミーナの意図は明白だ。


 いわば、公開処刑の場……。


「まさかビビってる? 天下のセンター様がビビるわけないよね」


 朝霞ミーナがにやつきながら挑発してきた。


 センターの座を争う公式ライバルによる挑発だが、佐原凜のほうから挑発をしたことはない。


 不動の地位にある凜がわざわざミーナを挑発する理由はなかった。


 ただ一方的に挑発されるばかりだった。


 小悪魔というより、悪役ヒールがよくお似合いだと思う。


 ステージに立つのにビビりはしないが、小説は違う。


 自分で書いていないという後ろめたさがあって、どうしても怯んでしまう。


 しかし、物は考えようだ。


 グリグリ文芸部というお誂え向きの場を利用して、嘘から出たまことにしてしまえばいいのではないか。具体的にどうすればいいかはわからないが。


「わかりました。さすがミーナさん、面白そうな企画ですね」


「でしょ、でしょ。やっぱりミーナちゃんはセンター様だね。度胸が据わってる」


 お互い、本心ではないお世辞を言い合って、グリグリ文芸部の詳細を詰めた。


「わたしが講師役になるより、司会者のほうがいいと思うんです」


「そーお?」


「わたしが語れることなんて、罪とバグ一冊分しかないので、毎回違うゲストの先生をお呼びして、本の感想をお聞きしたり、小説の書き方を話し合ったり、そういう方向性のほうがいいんじゃないですか」


 凜がそう提案すると、「そっかあ。それもアリだね」とミーナが頷いた。


 毎回違うゲスト作家と小説の書き方について論じあう。


 司会進行の佐原凜にとっては、毎度毎度危ない橋を渡ることとなり、いつボロが出ないか、冷や冷やものとなる。それに司会だから逃げも隠れもできない。


「凜ちゃんはやっぱり凄いね。もう尊敬しかない」


「恐れ多いです。わたしはミーナさんに憧れてグリグリに入ったので」


「えー、うそぉ。わたし、そんなの初めて聞いた」


 朝霞ミーナに憧れてグリグリの練習生となったというのは大嘘だ。


 なんとなく勢いがありそうで、あまり歴史のないアイドルグループだったから。


 グリグリの楽曲はどれもテンションがぶち上がるアップチューンばかりで、落ち込んでいるのがバカみたいにハイテンションだったから。


「ミーナ! ミーナ! ミーナ、ミラクル~!」だなんて、中学生そこそこの朝霞ミーナが歌っていて、それに合わせて観客が飛び跳ね、バカみたいに盛り上がっていた。


 ステージから放散される底抜けの陽気さにどこか救われた気がした。


 凜がグリッター☆グリッターの門をたたいたとき、朝霞ミーナはすでに絶対的な存在で、同い年だというのに声をかけるのさえ憚られるような雲の上の存在だった。


 凜なんてただのその他大勢の一匹で、ミーナの眼中になんてなかっただろう。


 今、対等な立場で話せていることが空想の世界のように感じてならない。


 センターを取ってやろうなんて、これっぽっちの野心もなかった。


 家に引きこもる景がちょっとでも外の世界に関心を持ってくれたらいい。


 アイドルになろうと思った理由はそれだけだ。


 佐原凜の行動原理の根っこにあるのは、どこまでも景への贖罪だ。


 景から大事なものを盗んでしまった。


 歌って踊るアイドルになんか興味もないだろうけれど、ふとしたときに「凜はバカな曲を歌ってるなあ」なんて思って、ちょっとでも気が紛れたらいい。


 アイドル活動はただの贖罪のつもりだったが、その延長戦で、今度は景から大事な作品を盗んでしまった。


 景が小説を書くようになったのはいつからだろう。


 たぶん、からだ。


 いや、もう少し後かもしれない。


 いずれにしても、罪とバグは景の壊れてしまった心そのものだ。


 景からは、なにもかも盗んでばかりだ。


 それなのに、なにひとつ返せていない。


「あ、わたしですぅ。凜ちゃんにグリグリ文芸部の許可もらったんでぇ、計画通り、そのまま進めちゃってください。……え、藤岡先生が出演NG? なんとかなりません?」


 朝霞ミーナは運営に電話し、グリグリ文芸部の段取りを高速で進めた。


 何もかもが急展開すぎる。


 どうやらこの企画は、水面下で温められていたものらしい。


 グリグリの運営スタッフの中には旧センターである朝霞ミーナ派も一定数いて、運営の露骨な佐原凜推しを嫌って、なんとか凜を転覆させようという動きもあった。


 絶対的なエースが交代する、それが何よりもアイドルグループを盛り上げるから。


 佐原凜を差し置いて、公開処刑の場は着々と用意されていた。


 グリッター☆グリッターの常設ステージが公開処刑の場となった。


 運営との通話を終えた佐原凜が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「よかったねぇ、凜ちゃん。藤岡先生、単独出演はNGだけと、もうひとりゲストを呼んでくれれば構わないって」


「……誰?」


 藤岡春斗には、敬愛する先輩作家がいると聞いた。


 元祖女子高生作家、高槻沙梨。


 ふわふわした小説妖精単独でも厄介なのに、先輩作家まで襲来するのか。


 そんなの、わたしの手に余る。


「ごめん。わたしには荷が重いかも。小説家二人はさすがに……」


 せめて単独出演にしてくれ、と言おうとしたら、ミーナが小悪魔のように笑った。


「えー、小説家が二人? 違うよぉ。もうひとりのゲストは声優さんだって」


「……声優?」


「そう。だから、司会の凜ちゃんの負担にはなんないんじゃない」


 グリグリ文芸部の発足が告知され、公開収録の日はすぐにやって来た。

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