第19話 凜光

 ゴーストライター騒動が運営の耳にも入ったのか、佐原凜は所属事務所「スターライト・プロダクション」の重役室に呼び出された。


 マネージャーの常木の姿はなく、堅苦しいスーツを着込んだ偉そうな重役たちが雁首を揃えていた。息が詰まるような異様な空気で、凜は窒息しそうだった。


「今日呼んだのは、何の件かわかっているね」

「……はい」


 凜は腕を後ろに組み、直立不動の姿勢で重役たちの前に立っていた。


 普段、重役たちが所属アイドルの前に姿を見せることはない。


 だから、どれが社長で、どれが副社長なのかもわからなかった。


 凜にわかるのは、この重役室に雁首を揃えているのは、多額のプロモーション費を注ぎ込んだ『グリッター☆グリッター』がけたら責任を取らされる人たち、ということだけ。


「謝罪会見をするべきでしょうか」


 おそるおそる凜が訊ねると、即座に一蹴された。


「必要ない」

「……ですが」


 このままだと世間が黙っていません、と言おうとしたのを制された。


「謝罪会見などしようものなら、自ら非を認めるのと同じだ。今は多少騒がれているようだが、ゴーストライターの証拠はどこにある? そんなもの、どこにもない」


 お偉方はあくまでも強気の姿勢を崩さなかった。


「水面下では映像化の企画など、いくつものプロジェクトが動いている。くだらない噂のせいですべてを台無しにするつもりかね」


「……噂は放置する。そういうことでしょうか」


 謝罪会見もなく、釈明会見もない。


 そんなことをしようものなら、むざむざ自ら非を認めることと同意。


 運営の言わんとすることはわからないでもないが、ファンへの誠実さには欠けている。


 なにより、凜にはゴーストライターがいるのかどうか、それすら問いたださない。


 運営にとっては、心底どうでもいいのだ。


 佐原凜にゴーストライターがいようがいまいが、所属事務所に大金をもたらしてくれるドル箱でさえあればいい。


 そうでなくなれば、切り捨てるだけ。


 騒動の渦中にあっても、凜は普段と変わらずに過ごした。


 ハードなレッスンをこなし、いつも通りの笑顔でステージにも立った。


「この件は、佐原凜という商品への不当な攻撃だ。我々運営は、その攻撃を跳ね返す義務がある。法的手段を含め、あらゆる手段を講じて君を守る。君がやるべきことは一つだ」


 佐原凜という「商品」……。


 偽ろうともしない宣言に、凜の心は鉛のように重たくなった。


「今まで通り、最高のパフォーマンスを続けること。君がステージで輝き続ければ、くだらない憶測など、すぐに消え去る」


 凜は俯いたまま、何も答えられなかった。


 所属事務所にとって、佐原凜は血の通った人間ではなく、ただの商品なのだと、改めて突きつけられた気がした。


「謝罪でなくとも、せめて釈明会見は開くべきではないでしょうか。わたしの口から直接、騒動についてファンに話します。それがファンへの誠意なのではないでしょうか」


 アイドルは「夢」を売る仕事だ。


 佐原凜という少女を押し上げてくれたのはすべてファンの後押しがあったからだ。


 安易に盗作をしておいて言えた立場ではないが、同じ夢を見るファンにはせめて誠実でありたい。騒動の発端となった以上、責任は取らなければならない。


 ……電撃引退。


 べつに、それでもいい。


 未練はないけれど、グループのセンターの座を任せられた以上、引き際はきちんとしたい。


 わたしの作品は盗んだものです。


 ごめんなさい。


 罪とバグはわたしが書いたものではありません。

 正直、ここまで大きな騒動になるとは思ってもいませんでした。


 本当の作者はわたしではなくて、弟の佐原景です。


 そう言って、潔くアイドルを引退する。


 もう二度とアイドル活動はできないかもしれないが、佐原凜の名で世に出た作品の本当の作者である佐原景が本来受け取るべきであった名誉を回復することはできる。


 アイドル引退と引き換えに弟の名誉を回復する。


 それでいいのではないか。


 自分の引き際はそれしかないと考えていたが、運営の脅しめいた発言には黙り込むしかできなかった。


「どうしても会見がしたいというなら、それでも構わないがね。これまでグループに投じてきた莫大なプロモーション費がすべて泡となり、君のご立派な正義感が現実的にどのような損失を生むか、もう少し考えて発言してもらいたいものだ」


 この業界で生きていきたいなら、ちんけな正義感など捨てろ。


 そこまではいいとして、話題はグループ人気失墜による個人賠償にまで及んだ。


「なぜ、自らグループ人気が低迷すような真似をする? センターとしての自覚が足りないのではないかね。下手に釈明をして、佐原凜という商品イメージに傷がつけば、いくつものプロジェクトが雪崩を打ったように頓挫する。損害額はいったい幾らになるだろうね。その場合、個人にも償ってもらわなければならないが、ざっと見積もって三億か、あるいは五億でも足りないか。あくまで君個人だ。払えるかね?」


 グループ人気凋落の引き金を引いた場合の違約金は、ざっと三億から五億円。


 それがどこまで裏付けのある数字かは知らないが、脅し文句としては十分だった。


 謝罪も、釈明も、休業も、引退も認めない。


 佐原凜に残された唯一の道は、ただただ最高のパフォーマンスを続けること。


 せっかく育て上げた金のなる木を、ちんけな騒動で潰させてなるものか。


 並々ならぬ運営の意思を感じるが、スターライト・プロダクションはそれほどまでに『グリッター☆グリッター』の宣伝プロモーションに大金を投じていた。


 凜が練習生となったとき、スポットライトを独り占めしていたのは朝霞ミーナだった。


 しかし、朝霞ミーナの絶対的エース体制は徐々にマンネリとなり、話題性が薄れていた。


 ここらで、挑戦者がトップを奪う構図となれば一気にドラマになる。


 さて、どこかにいい人材はいないかと、運営が密かに白羽の矢を立てたのが佐原凜だった。センターの交代劇は、ある種、仕組まれたものだった。


 無名の候補生から成り上がった佐原凜のセンター就任により、グリグリファンの議論は活性化し、メディア露出も増加した。


 グリッター☆グリッター結成時からのファンは「ミーナ時代」「凜ちゃん時代」と、二つに分かたれた時代を時の主役センターの名で呼んだ。


 グループ結成当初から、初代センターの朝霞ミーナ一強だった。


 それ以外のメンバーは空気とまで言われるなか、グループ内で「天皇」とも称された朝霞ミーナはスタッフへの横暴な言動が目立つようになった。


 各所で悪い評判が囁かれるようになり、露骨に増長したミーナにお灸を据えるためだったのか、ドラマ撮影でミーナ不在となった主役不在のステージで、代役センターに据えられたのが佐原凜だった。


 凜は補欠オーディション合格組で、一切スポットライトを浴びないバックダンサーを黙々と務めていたが、真面目でスキャンダルもなく、「純粋でひたむきな頑張り屋」という公式パブリックイメージがファンたちの琴線に触れたのか、ほどなくして正規メンバーに昇格した。


 ファンたちはちょうど、朝霞ミーナばかりが持ち上げられる運営のゴリ押しに飽き始めていた。


 たまたま朝霞ミーナが不在となったステージの空白にすっぽりとハマった佐原凜は鮮烈な新鮮さも相まって、多くのミーナ推しを凜ちゃん推しに転向させた。


 どこか儚げな、だが強い芯を持った凜の登場は、なにもかもが新鮮で、ファンから熱烈に歓迎された。


 盛り上がるときはどこまでも盛り上がり、切ないバラードはしっとりと歌い上げる。


 純粋で頑張り屋のイメージはスポンサー受けも良く、いつスキャンダルを引き起こしかねない危なっかしいミーナよりも計算できる次世代エースとして、運営主導でセンターの禅譲劇が画策された。


 運営は露骨なミーナ推しから、露骨な佐原凜推しへとシフトした。


 運営の姿勢は楽曲の変遷を見れば、よくわかる。


 ミーナ全盛期の代表曲は、『ミーナミーナ☆ミラクル!』。


 世界が回るよ

 ミーナで回るよ


 星の名前も 

 今日からミーナ!


 100回呼んでも足りないの

 ほら、みんなで叫んじゃえ!


 ミーナ! 

 ミーナ! 

 ミーナ、ミラクル~!



 ファンが飛びあがって大合唱し、ライブ会場が馬鹿みたいに盛り上がるテンションぶち上げ曲アッパーチューンだが、センターの座が佐原凜に取って代わると、矢継ぎ早に発表された楽曲はどこか陰のある、しっとりとした雰囲気に様変わりした。


 盛り上がる曲はどこまでも盛り上がるが、グリグリの持ち味であるハイテンション路線は残しつつも、新たなセンターの凜は朝霞ミーナのようにハイテンション一辺倒というわけではなかった。


 佐原凜がセンターとなった際のファースト楽曲は、『RINFINITYリンフィニティ』。


 ――凜(RIN)+無限(Infinity)。


「凜ちゃん無限大! 凜ちゃんしかいらない!」という意味があり、グリグリメンバー全員がセンターの凜に跪き、まるで神への賛歌を捧げるような構成だった。


 さらには、『凜光りんこう ―Link to RIN―』。


 凜の名前を冠した「凜光=リンコウ」は、「輪郭」にも「燐光」にも聞こえる多重構造で、副題の「Link to RIN」は「全員、凜に繋がってるよね」という運営の強烈な圧があった。


 運営の露骨な佐原凜推しソングはどれも「凜ちゃんをセンターに立たせたい」「凜ちゃんしか勝たん」「凜ちゃんを売りたい」という運営の意思がダダ漏れなタイトルばかりだったが、推されているうちが花と考え、凜は生真面目に絶対的エースの座を継承した。


 スポットライトを浴びないメンバーたちからのやっかみがなかったわけではないが、候補生から叩き上げた凜が「今はたまたまわたしが推されているだけだから。風向きなんて、すぐに変わる。次はあなたの番。頑張っている姿はきっと誰かが見てる」とメンバーたちを励ました。


 正規メンバーも控えメンバーも候補生も分け隔てなく接し、「凜ちゃん、マジでいい子」と愛されまくり、グループ内で絶対的な立場となった。


 面白く思わないのは、初代センターの朝霞ミーナだけ。


 凜を蹴落とそうと陰でこそこそ立ち回っているようで、佐原凜に降って湧いたゴーストライター説をどうにかしてセンター奪還劇に利用したいのだろう。


 しかし、佐原凜をゴーストライターの醜聞で蹴落とせば、『グリッター☆グリッター』のグループ人気も凋落するのは目に見えている。


 凋落した落ち目グループのセンターの座に返り咲いて、果たして朝霞ミーナは満足なのだろうか。


「佐原凜さん、君には変わらずグループの顔として活動してくれるよう期待している」


「はい。ありがとうございます」


 凜は深々と頭を下げ、なんとも言えない気分のまま事務所を後にした。


 真に頭を下げるべきは、運営のお偉方に対してであったのだろうか。


 凜が帰路につくと、スターライト・プロダクション公式サイトに一連の騒動に対する運営の見解が示されていた。



 昨今、一部SNSやインターネット上において、弊社所属タレント・佐原凜に関する根拠のない情報および誹謗中傷が拡散されていることを確認しております。


 これらの内容は事実に反するものであり、佐原凜本人および関係者の名誉を著しく毀損するものであると判断しております。


 今後も同様の憶測、虚偽の情報が拡散される場合、弊社は法的措置を含めた厳正な対応を取らせていただきます。


 悪意ある投稿、記事、動画等により、佐原凜の社会的評価が著しく損なわれたと判断した場合には、名誉毀損、業務妨害に基づく高額な慰謝料の請求を含む訴訟も辞さない構えです。


 ファンの皆様には多大なるご心配をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。


 株式会社スターライト・プロダクション

 広報部



 意味するところは、「少しでも騒いだやつは、まとめて訴訟してやるから覚悟しておけ」という好戦的なものだった。


 自宅マンションのエレベーターの中で、凜は運営の発表を目にした。


 エレベーターの扉に歪んだ自分が映り、がらんどうになった目が映る。


 自宅の階に着くまでその場に蹲り、凜が沈んだ声で独り言ちる。


「……騒いだ奴は訴訟してやるか。それって、わたしも含まれるのかな」


 よろよろふらつきながら自宅の鍵を開けると、心配そうに景がこちらを見ていた。


「運営になにか言われたの? 平気だった?」


 どこまでも心配そうにしているが、自分で蒔いた種だ。


「べつに平気。これまでと変わらず最高のパフォーマンスをしてくれって」


「それだけ?」


「ごめん、景。わたし、気分悪いからちょっと寝かせて」


「うん。無理しないでね」


 優しくされて、必死に堪えていた涙が溢れそうになった。


 凜はなんでもない、という顔を取り繕って、さっさと自室に引っ込んだ。


 無表情の凜はベッドに倒れ込むと、『凜光りんこう ―Link to RIN―』の歌詞を口ずさむ。


 その歌詞は、ちょっと笑ってしまうぐらいに凜の気持ちを歌っていた。


 凜光

 誰にも見えない痛み

 強がりで 隠してきた涙も

 Link to RIN この声に変えて

 届けたい ほんとうの私を


 あなたの手が いつか触れたら

 暗い夜も 意味になるかな

 ねえ、笑って もう迷わない

 ひとりじゃないよって 言えるように

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