第18話 歩く災害

 文藝新波社での若手対談が終わって、数日が経った。


 物議を醸すだけ醸しつつ脱走エスケープする妖精さんムーブは、ネット上でかなりの話題となっていた。


「罪バグ作者=藤岡春斗説」


「作者、お前か!」


「引きこもり文学の名手、藤岡春斗。基本、おうちから一歩も出ないのに、やっとお家から出たと思ったら、案の定これか」


「歩く災害過ぎるぞ、こやつ」


「印税で揉めたりしたんか」


「ぼくは悪い妖精さんじゃないよ。ぷるぷる」


「何度見返しても追い込み方がえげつねえ」


「佐原凜、もうアイドル引退だろ。どうすんだよ、これ」


「まあ、自分で書いてもいない小説で、芥川、直木、本屋大賞の三冠ノミネートだろ。妖精ちゃんがちょっとは報われてもいいと思う」


「ゴーストライターには秘密保持契約というのがあってだな」


「おハルはべつに、秘密をゲロってないぞ」


「佐原凜が自爆しただけ」


「いや、これは盛大な貰い事故」


「罪バグ、今さら読み返しているんだが。これ、遊園地なん?」


「どこをどう読むと、遊園地に読める?」


「そこは、ほら。犯人だけが知る秘密の暴露というやつで」


「佐原凜、体調不良で活動休止っぽいな。今頃、涙目だろうな」


 などと罪とバグの作者ゴーストライターは、まるで藤岡春斗かのようなすり替えが起こっていた。


 ネット上では好き勝手な書き込みが垂れ流されているが、佐原凜は活動休止もしていないし、高校に通う傍ら、今も真面目に歌とダンスのレッスンに通っている。


 しかし、針の筵であることは確かだった。


 いつも明るい凜が若手対談以来、家に帰ってきても、景とさえ口をきかなくなった。


 すっかり塞ぎ込んでしまって、何を考えているのか、よくわからない。


 食欲がないのか、深夜にレッスンから帰ってくると、風呂にも入らず、何も食べず、そのまま部屋に鍵をかけ、朝まで引きこもる毎日だった。


「ねえ、凜。大丈夫? 鍵を開けてよ。話をしよう」


 景が控えめに扉をノックするが、凜は引きこもったままだった。


 ひょっとして、部屋の中で首を吊ったりしていないだろうか。


 悪夢のような想像が脳裏に浮かび、景は思わずゾッとした。


「ねえ、凜。開けてよ。無事なの? 生きてるよね」


 部屋の中からはまったく物音がしない。


「ああ、これ……。逆転してるんだ」


 小学生の終わりから、景は自室に引きこもって凜に心配ばかりかけた。


 自分から死ぬのだけはやめて。


 そんなつもりはなかったとは言えないけど、凛にはさんざん泣き付かれた。


 あの時の景と、今の凜は同じだ。


 そう思ったら、凜の気持ちが手に取るようにわかった。


 どう声をかけるべきか、それとも何も言わずにいるべきか。

 壁一枚を隔てた先で、凜がどんな思いでいるかを知っている。


 すでに、それは体験したことだから。


「凜、ありがとう」


 景の口から自然と漏れたのは、どこまでも素直な感謝の気持ちだった。


 母が亡くなり、景はずっと罪の意識を抱えていた。


 自分が母を見殺しにしてしまったのだと思って、ずっと引きこもっていた。


 部屋に引きこもり、ほとんど口もきかなくなった景を、血の繋がらない姉はいったい、どんな思いで見守ってくれていたのだろうか。


「ねえ、凜。次の話はどんな書こうか」


 次に書くべきは、恋愛小説なんかじゃない。


 いや、べつにそれでもいい。


 ただ、凜が生きてさえいてくれるならなんだっていい。


「話がしたい。開けて……くれないかな」

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