第24話 女神降臨(再会:姉妹編)


 空はまだ燃えていた。

 黒い煙と雲の裂け目から、幾筋もの光が地上へ降り注ぐ。

 

 破れた帳の向こう――白銀の艦〈セラフィム号〉腹部のハッチがゆっくりと開いた。

 先頭に立つ影が降り立つ準備をする。背の推進ユニットが展開し、関節化された白銀の羽列が、枚≪ひら≫ごとに角度を変えて風を受けた。駆動音は驚くほど静かで、噴流は灰に文様だけを描き、周囲の空気をわずかに澄ませていく。


 黒い空の中へ飛び込んだ――


 装甲の継ぎ目で青い微光が瞬く――重力を削るように高度を落とす。黒い煙と雲の襞(ひだ)が裂け、祭壇を照らすような光柱が幾筋も差し込んだ。光は漂う灰を拾い上げ、金の粉を宙に撒き、白銀の翼の縁を柔らかく縁取る。

 推進ユニットは羽列を一枚ずつ呼吸させるように開閉し、宗教画の天窓の下に置かれた像のように、ただ静かに降りていった。


 エルディアの教会。割れたステンドグラスの窓辺に、村人たちが身を寄せる。砕けた硝子片に光が砕け、色の砂が壁を滑った。最前に立つリヴェリアが、天を仰ぐ。胸に手を当て、遠い祈りをなぞるように口を開く。


 「……女神じゃ……伝説の……女神の降臨じゃ……」


 教会前庭。火の粉が漂い、馬型浮遊機(Equus-287S)の脚部リフターが低く息づく。カレンは負傷者をバロックに預けると鞍上で手綱を軽く引き、ふと空を仰いだ。

 

 逆光の中で、降りてくる影は輪郭しか見えない。白銀の羽列、風に解ける髪。顔立ちは光に溶け、気配だけが、幼い日々の記憶と重なる。

 胸の奥が、先に名前を呼んだ。

 「……ソフィア――」

 雲がわずかに裂け、光が一瞬だけ薄れる。頬の線と瞳の輝きが現れた。

 「ソフィア姉様!」


 

 ユリス・ハントは《スカイライド》と呼ばれる幅広の重力制御ボードに身を預け、腹ばい姿勢のまま空中を静かに滑る。底面の重力制御フィンが淡く輝き、ボードはわずかに揺らぎながらも安定を保つ。

 狙撃台のように固定された体勢から、彼はライフルを構えた。呼吸を3つに刻む。スコープの中、瓦礫の影を走る黒装の“ナイトスレッド”が熱残像を引いた。

 「……1……2……」

 シュッ――

 無音に近い発射。弾道計算とファランの補正が重なり、爆煙の中に生じた空気の渦の隙間を縫って1体の額装センサーを正確に穿つ。続く2射で隊長機の通信モジュールとサブ動力。ヘルメットの迷彩膜が破れ、白い火花が散った。

 「レン、3時方向にもう2人!」

 

 ユリスの声に、煙の縁から落ちる別の影が答えた。ハヤセ・レン。《ミズグモ》と呼ばれる両足につけた重力ホバーで降りてくる。《ミズグモ》の重力フィールドが青白く揺れ、彼の足元を包み込む。まるで水面を駆けるような滑らかさで地表へ接近する。青白い重力フィールドが足元を包み、彼の体勢を安定させていた。

 彼は両腕をしならせた。ハヤセが投げた《マキビシ》が地面を転がり、鋭い突起を立てて散開する。踏み込んだ敵兵の足元で閃光と衝撃が炸裂し、避けた者の脚には瞬時に張り付き爆ぜた。黒装兵の動きが一瞬だけ止まった。

 「今だ」

 ハヤセが腰のブラスターで2点、静かに焼く。短く、確実に。

 

 その上空を、数10機の小型ドローンが編隊で横切る。ファラン・グリムがセラフィム号から遠隔管制し、村全域の地形と敵位置をリアルタイムで投影する。表示の隅で〘 避難完了率:94% 〙の文字が淡く点滅し、避難所への搬入対象は“負傷兵”の優先が示された。


 『古代文明インターフェース、リンク維持。連動ジョイント良好』

 ファランの機械音声が通信網に走る。古代文明のAI制御層と接続した彼は、配備中の機体群の識別番号と個別呼称を戦術地図へ重ね、セクターごとに再配置をかけた。

 蠍型兵器は尾部をしならせるように高く掲げ、鋭い一撃を狙う。

 『Scorpius-26C-02、路地A封鎖継続。Scorpius-26C-05、鐘楼裏から北面へスライド』

 蟹型兵器は鋏を打ち鳴らしながら、甲殻を軋ませるように前進する。

 『Cancer-068-01、教会西壁に沿って盾殻展開。Cancer-068-03、負傷兵搬送路の天蓋維持』

 ――翡翠色≪ひすいいろ≫のアイコンが呼応し、翠光≪すいこう≫の回廊が教会前に刻まれていく。


 ソフィアが滑空しながら指示をだす。

 「ミレイ、いける?」

 「いけるよ――」

 セラフィム号の艦内。コンソールの前でミレイ・カノンが指を走らせる。

 敵の光学迷彩とナノフィールド装甲は、一定の周波数帯に帯域を持つ。干渉波形を分析し、逆相のノイズを生成する。

 ミレイのコンソールから発信された逆相ノイズのコードが、即座にTaurus-341-01へ転送される。

 信号を捉えた巨象型兵器 Taurus-341-01は、その大きな耳をゆっくりと開いた。内側には半透明の結晶板が幾重にも重なり、淡い光が脈動する。それはまるで古代の祭壇に立つ神獣の所作――祈りを捧げる翼のように見えた。

 瞬間、低く響く祈りのような共鳴音が辺りに満ちる。耳の奥から広がる透明な波は、ただの電波ではなかった。逆相ノイズの震えが迷彩膜を剥ぎ取り、黒装兵の姿を白日の下へさらした。


 「カッコいい顔、見えたわよ――!」

 ミレイの声と同時に、ユリスが笑う。

 「了解、いただきます!」


 ソフィアはなおも降下を続ける。

 到達の一拍前、蠍型兵器は尾部をしならせるように高く掲げた。高出力レーザー砲が鋭い一撃を放つ。路地の入口を制圧した。

 蟹型兵器は鋏を打ち鳴らしながら、甲殻を軋ませるように前進する。巨大クローからプラズマブレードを展開して教会壁面に沿って防壁を形成する。人々の頭上から、降りかかる破片がはじかれていく。


 ソフィアは着地の姿勢を取った。翼の光が音もなく収束し、踵が石畳を刻む。熱はない。ただ、静かな風だけが裾を揺らした。

 正面の通りから、ナイトスレッドが四人、無人偵察球を先行させて迫る。ヘルメットの隙間から赤い光が覗く。


 ソフィアは背へ斜めに負った鞘に手を伸ばし、鍔に指をかけた。王国に古くから伝わるその剣――暁光の剣(ぎょうこうのつるぎ)。忠臣ダリウスから託された形見であり、王家の誇りそのものだ。総称としての〈エナジーソード〉の一種にして、特殊金属の刃は持つ者の精神力に応じて光刃を現す。

 

 ひと息――

 

 鞘離れの音が空気を裂く。露わになった金属の刃文に沿って微光が走り、柄の内側で起動紋が静かに点る。

 ――キィーン

 白銀の光が刃から立ち上がった。熱ではなく“意志”だけを帯びた輝き。金属でありながら光そのものの質感をまとい、周囲の煙も淡く退けていく。


 「……ダリウス。一緒に戦って――」

 踏み込む。最短の一太刀で先頭の銃身を払い、返す手の甲で二人目の手首を弾き、三人目の膝関節へ衝撃を流す。四人目が背後へ回り込む――

 その気配を、ソフィアは感じ取っていた。 呼吸の揺らぎ、足音よりも先に空気の揺らぎを感じた……

 振り返りざま、白銀の刃が弧を描いた。 閃光の軌跡が闇を裂き、赤い光を宿したヘルメットを正確に打ち払う。

 ――四人は、ほぼ同時に武器を落とした。


 配置についた蠍型兵器は尾部を低く構え、センサーを断続的に点滅させながら周囲を索敵する。蟹型兵器は鋏をゆるやかに閉じ開きしつつ、甲殻の隙間から淡い光を漏らしながら外周を巡回する。互いの位置と状態を静かな電子音で照合し、隊列の穴を即座に埋めていく。


 カレンは担架をバロックへ託すと、馬型浮遊機の背から軽やかに飛び降りた。

 ソフィアは教会へ駆け寄る。

 扉の向こうから、カレンが出てきた。十数年という歳月が、一瞬でたたまれて胸に戻ってくる。


 「ソフィア姉様!」

 「カレン!」


 ふたりは抱き合った――


 爆ぜる音も、遠くで響く機銃の連打も、いまは何も届かない。温もりの確かさだけが、世界の輪郭を描き直す。言葉は、それ以上要らなかった。


 ――やがて、丘の上が赤く明滅した。セラフィム号の突撃で小高い丘に墜落した漆黒の戦艦――ノクティウス号は、地面に身を伏せたまま、不規則な脈動を続けている。飛んではいない。だが巨体は、教会の前庭からでも見上げねばならぬほど圧倒的だ。甲板にはなお人影があり、闇色の影が動いた。

 

 ソフィアは静かに顔を上げる。白銀の刃が、風の中で細く鳴った。



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