第11話 満月の夜(愛の距離:カレン編)

 

 ――薬草を手にいれたカレンとレオンのおかげか、次の日の朝、村長ゲノンは鳥のさえずりで目を覚ました。

 窓の外では、夜明けの光が山々を淡く照らし、遠くから小川のせせらぎと鳥の声が重なって聞こえてくる。薄い朝靄が村を包み、ひんやりとした空気が心地よい。

 

 「……父さん!」

 村長の息子バロックが顔を近づけ、声を震わせた。

 

 「……ああ……ここは……」

 ゲノンは重たそうに乾いた唇をゆっくりと動かす。

 枕元には夜通し看病していたカレンとレオンの姿があった。

 カレンは目を大きく見開き、頬をほころばせる。

 「お爺さま……よかった……!」

 声が震え、目頭が熱くなる。

 レオンは横で静かにうなずき、その鋭い瞳の奥にわずかな安堵の光が宿っていた。

 

 「……お前たちのおかげじゃ……ありがとう……」

 ゲノンはかすれた声でつぶやき、

 その言葉にバロックの妻マーニャは涙をこらえながら何度も何度も首を縦に振った。

 外からは、朝を告げる鐘が遠くで鳴りはじめ、村全体がゆっくりと目を覚ましていく――


 ※ ※ ※


 数日後――

 朝の空気はひんやりとして、鳥たちがにぎやかに鳴いていた。

 病み上がりの村長、ゲノン宅の庭先。

 カレンは、一人で薪割りを手伝おうとしているようだ。両手で斧を握りしめ、額にはうっすらと汗がにじむ。

 「……はぁ、はぁ……よしっ……ヤァッ!」

 しかし斧は薪の端をかすめるばかりで、『カチッ』と乾いた音が響く。

 「……くっ……もう一度!」

 悔しさをこらえ、歯を食いしばって斧を振り上げる。

 だが、またしても薪はびくともしなかった。

 

 その時――

 馬小屋の影からゆっくりと歩いてくる人影があった。

 朝の作業を終えたレオンだ。

 腕を組んだまま、無言でカレンの姿を見つめている。

 

 カレンは気づかず、再び斧を振りかぶった。

 「……やぁっ!」

 今度は大きく斧を振り下ろしたが――やはり薪はびくともしなかった。

 「……カレン!またケガするぞ」

 低く落ち着いた声が、風に混じって届いた。

 カレンは驚いて振り向く。

 「えっ……レオン!」

 レオンはゆっくり歩み寄り、薪割りの前に立った。

 「貸してみろ」

 差し出された大きな手に、カレンは少し迷った。

 「……べ、別に……できるんだから……」

 唇をきゅっと結び、視線をそらす。

 それでも、しぶしぶ斧を渡すと、小さな手が震えていた。

 レオンは斧を受け取ると、軽く構え、深く息を吐いた。

 次の瞬間――

 『パキィン!』

 澄んだ音を立てて薪が真っ二つに割れる。

 「……すごい……」

 カレンは目を見開き、思わず声を漏らした。

 レオンは何も言わず、次々と薪を割っていく。

 彼の広い背中が朝の光に照らされ、力強く見えた。

 カレンは、気づかれないようにそっと頬をゆるめた。

 

 ――その胸の奥で、白く輝く花がまた小さく揺れるのを感じていた。


 ※ ※ ※


 ――秋の満月

 

 今日はエルディアの『秋月祭り』

 エルディアの村には、あちこちで小さな焚き火がともり、人々が空を見上げて祈りを捧げる日だ。


――村外れの森、夕暮れが近づく頃

 カレンが薪を拾っていると、ティオが木の陰から顔を出す。


 「あっ!ティオ!こんなとこ来ちゃダメって言ったでしょ!」

 「だって……姉ちゃん、一人で来たから……俺も手伝おうと思って!」

 「危ないのよ、森は」

 「……でも、俺……もう強くなったもん!」

 カレンはため息をつき、ティオの頭をくしゃっと撫でる。

 「強くなってからのお手伝いは嬉しいけど、まずは安全に帰るのが一番のお手伝いよ」

 「……うん……」ティオは小さく頷いた。

 二人は手をつなぎ、歌を歌いながら村へと帰っていく。夕焼けが二人の背を照らしていた。

 

 ティオは張り切って、広場の焚き火の準備で薪を抱えて走り回っている。

 カレンも笑いながら手伝い、彼の髪にかかった木の葉をそっと払った。


 「ティオ、気をつけて運ばないと、火がついたら危ないよ」

 「うん、でも、カレン姉ちゃんが見ててくれるなら平気だもん!」


 そのやり取りを見ていたバロック夫婦は、ふっと目を細めた。カレンはすっかり村の一員として成長し、ティオにとっても頼れる姉のような存在になっていた。


 ※ ※ ※


 「……ねぇ、お父さま、お母さま」

 焚き火の明かりが揺れる中、カレンはバロックとエレーナにそっと切り出した。


 「今夜は、レオンと山の上で星を見たいの。……あの場所で、満月にお祈りしたいの」


 少しだけためらうように視線を落としたカレンに、エレーナは穏やかに微笑む。

 「レオンとなら安心ね。いいわよ!ねっ!バロック」

 「あっ、あぁ、あの子なら……何かあってもお前を守ってくれるだろう」

 バロックも静かにうなずいた。

 その眼差しに、娘を信じて送り出す父親の思いが宿っていた。


 カレンは胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、山から顔を出した満月へと愛馬をすすめた。


 ※ ※ ※


 山の上は、遠くの祭りの笛や太鼓の音がかすかに届く程度の静けさだった。

 焚き火のパチパチという音と、秋の虫の声が耳をくすぐる。


 「……ここなら、空がひらけてる」

 レオンが持ってきた小さな焚き火の火が、二人の影を長く伸ばす。


 カレンは膝を抱えて、空を見上げた。

 夜風が頬をなで、髪を揺らす。瞬く星々も、今日は一段と輝いて見えた。

 「きれい……」

 思わず漏れた声に、レオンが横目で笑った。


 「……麓じゃ、こんな星は見られないだろう」


 焚き火の光が彼の横顔をやわらかく照らす。

 普段は寡黙なレオンが、少しだけ言葉を選びながら話していることに気づき、カレンの胸が高鳴った。


 「……レオンは、こういう夜、よくあるの?」

 「いや……人と一緒に見るのは……初めてだ」

 短い答え。だけど、その言葉が胸の奥まで響いた。


 ふたりは、しばらく黙って夜空を見つめた。

 祭りの灯りが遠くにちらちらと瞬き、星々がそれに呼応するようにまたたいている。

 カレンはそっと肩を寄せた。

 その距離を、レオンは拒まなかった。

 むしろ、焚き火の火をくべる彼の仕草が、自然にカレンを包む。その瞳に映る満月は、まるで静かに微笑むように優しく光っている。


 (……こんなふうに近くにいるだけで、幸せ……)


 やがて、吐く息が白くなり始めたころ――

 レオンはカレンの手をそっと握った。


 「……寒くない?」

 「大丈夫よ」

 「でも、手が冷たい……」


 レオンは少し力強く握った。

 その手の温かさに、カレンの瞳が揺れる。


 ――いつまでもこの時が続けばいいのに……

 満月と星空の下、二人は焚き火の音に耳を澄ませながら、時間を忘れて寄り添い続けた。


 ※ ※ ※


 その夜、ふたりは初めてお互いのぬくもりを分かち合った。

 月と星々に見守られながら……

 カレンは心も体も、今まで経験した事が無いほど熱くなったのを感じた……


 ※ ※ ※


 満月が空の一番高い位置の頃……

 レオンは静かに寝息をたてている。テントの中、ひとつの毛布にくるまりながら、カレンはレオンの横顔を見ていた。

 眠っているレオンの、たくましい胸板にそっと手をおいた。

 (しあわせ……)

 その時、カレンの手に何かが触れた。レオンの胸元で揺れるペンダントだった。

 カレンは、レオンを起こさないようにそっとそのペンダントを手に取った。

 テントの天窓から差し込む月光が、レオンのペンダントを照らす……何かのマークが彫ってあるようだ。


 「えっ!?……」

 そこには……

 黒い太陽と翼、血のような赤い縁取り……


 「……」

 言葉はでなかった。

 手にしたペンダントを、まるで熱を持つ毒に触れたかのように、そっと放しそうになる。

 (この紋章……どこかで……)


 その時、幼い日の記憶が鮮烈によみがえった……

 

 崩れゆく壁

 暗いトンネル

 瓦礫の山

 戦う父の姿

 黒いマントの男

 赤い光

 そして……姉の絶叫―― 

 焼きついた記憶が洪水のように押し寄せてきた。


 胸の奥がざわめく――

 

 (黒マントだ……マントの紋章だ……)

 もしこれが、本当にあの紋章だとしたら……

 

 (なんで……なんで同じなの?)

 カレンは耐えられなくなり、そっと身を起こした。

 

 まだ温もりの残る焚き火を一瞥(いちべつ)し、レオンを起こさぬようそっと立ち上がる。

 (……帰らなくちゃ……)


 ――気付くと、なぜか涙が頬をつたっていた

 なぜ泣いてるのか、自分で理解できなかった……


 彼女は夜風に身を包まれながら、ひとり愛馬と山道を下っていった。

 心の中に揺れる疑念と、消えない温もりを抱えたまま。


 ――秋の満月が、暑い雲に隠されていく。


 白く輝いていた花にも、影を落とすように……



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