第7話 青葉の夏(星の導き:カレン編)

 

 エルディアの村――カレン17歳の夏

 カレンの狩りの腕は年を重ねるごとに上達し、義理父バロックの代わりに一人で山に入ることも珍しくなくなった。

 

 カレンは愛馬のたてがみを撫で、軽やかに鞍にまたがると村の方へ手を振った。

 「お父様、お母様! 狩りに行ってくるわっ!」

 馬の蹄が乾いた土を蹴り、カレンは風を切るように森の奥へと駆けていった。

 

 しかしその日は、いつもと違った。獲物はなかなか見つからず、ついには奥地へと足を踏み入れる。

 木々が密集し、薄暗い森の中。カレンは愛馬の背で慎重に進んでいた。

 

 突然、愛馬が大きくいなないた。

 ヒヒィーン!

 前足を高くあげた瞬間、カレンの体は宙に放り出された。

 「きゃっ!」

 地面に転がり、足首をひねってしまう。右手をついた瞬間、鋭い痛みが走った。

 

 「いたっ……!」

 愛馬は何かに驚いたのか……村の方へ駆け去ってしまった。

 

 ふと視線を向けると、馬と同じ大きさの大蛇が鎌首をもたげていた。

 「……っ!」

 大蛇と目があってしまった……

 

 大蛇は、舌を出し入れしながら、こちらへゆっくりと向かってくる。

 まるで獲物の匂いを確かめるように、周囲の空気に溶け込むように、その巨大な体躯がゆっくりと地面を這う。

 鱗が擦れるカサカサと乾いた音が、静寂な空間に妙な緊張感を生み出している。

 それは、ただの捕食者の動きではない。まるで、こちらを完全に理解し弄ぶかのような、不気味なほどの落ち着き払った動きだった。

 

 カレンは、弓を取ろうとするが、痛めた右手は思うように動かない。

 「はぁ……はぁ……」

 大蛇の濡れた舌先が光り、その度に冷たい気配が肌を刺す。一歩、また一歩と近づいてくるたびに、大蛇の動きに合わせて地面が微かに震える

 「はぁ…はぁ…はぁ…」

 カレンの呼吸が荒くなる。

 ――助けて!

 恐怖のあまり、声も出ない……

 大蛇がゆっくりとカマ首をもたげた――

 

 ――その時だった

 青い閃光が走った

 

 一撃……

 大蛇が崩れ落ち、地面に倒れる。

 青い光の残像がまだ、カレンの瞳の奥に焼きついていた。

 

 森の奥から現れたのは、背の高い男性。年齢はカレンより2、3歳ぐらい年上だろうか。彼は青く光る剣を、静かに鞘に収めた。

 

 「大丈夫かっ?」

 「は、はい……ありがとうございます」

 立ち上がろうとしたが足をかばってふらつくカレンに、彼は眉を寄せた。

 「……足、痛いのか? 麓の村から来たのか?」

 「え、ええ……でも馬が逃げちゃって……」

 

 男は指笛を鳴らした。

 ピィィイッ―

 彼のだろうか。木陰にいた馬が駆け寄ってきた。

 男は黙ってカレンを抱きかかえた。

 「ちょ、ちょっと!」

 「そんな足じゃ村に戻れないだろ」

 男はカレンをそっと乗せる。

 

 胸の鼓動が治まらないのを感じながら、カレンは小さく礼を言った。

 「ありがとうございます……」

 「……山奥は危ないから女の子は来ちゃ駄目だ。」

 男はそう言うと、黙って馬を走らせた。

 

 村に着いた頃、夕陽が木々の間を染めていた。

 「ありがとうございました。お名前を教えてください。私、カレンと言います。」

 男は一瞬視線を合わせると、短く答えた。

 「……レオン。レオン・エルナート。……女の子は、無理しちゃ駄目だ。」

 そう言って、レオンはきびすを返すと、山へと帰っていった。

 カレンは、レオンの姿が見えなくなるまで見送った。

 夕焼けの優しい日差しが、カレンの頬も染めていた―


 ※ ※ ※


 数日後――足のケガが治るやいなや、カレンはいつものように家を飛び出した。

 「お父様! お母様! 狩りに行ってきまーす!」

 あぜんとするバロックとエレーナを後にして、愛馬を駆る。

 バロックが珍しく大声を出す。

 「足の怪我は大丈夫なのかー!」

 カレンは馬を走らせながら叫ぶ

 「大丈夫よーー!」

 その横顔は幸せに満ち、なびくプラチナブロンドの髪が夏の日差しを反射してきらきらと輝いた。

 

 山奥。更に奥へすすむ。森の木々が風に揺れる。

 やがて、人里離れた場所に小屋を見つけた。

 「あったわ。きっと…ここね……」

 カレンは愛馬を近くの木にくくりつけた。

 「まっててね」

 胸の高鳴りを押さえきれず、何度も息を整えながら扉に向かって歩く。

 庭には花壇があり、野菜や果物も実っていた。小屋の周囲はきれいに整えられている。

 右手でドアを叩こうとする。指先がわずかに震えていることに気づく。

 小さく咳払いをするカレン。

 トントントン「……こんにちわー!」

 山の涼しい風がカレンの髪を撫でた。

 トントントン「こんにちわー!…………こ・ん・に・ち・わー!」

 

 しばしの静寂の後、扉がわずかに開く。

 レオンが姿を現した。驚いたように目を瞬かせ、言葉を探す。

 「ど!……ど、どうした?」

 カレンは慌てて背筋を伸ばし、笑顔を作った。

 「お礼を言いたくて」

 レオンの眉がわずかに緩む。

 「足は?……足は治ったのか?」

 「お陰で、ぜんぜん大丈夫よ!」

 言いながらも、カレンは無意識に左足をかばうように立っていた。

 レオンは視線を一瞬だけ足元に落とすと、静かに息を吐く。

 「……山奥は危ないから女の子は来ちゃだめだ」

 扉を閉めようとした手が、カレンの慌てた声で止まる。

 「ちょ、ちょっと待って! ……そ、そうだ、この辺りで獲物がいるところ教えてよっ」

 レオンはしばらく黙った。遠くの木を見つめる。腕を組んだまま目を細める。

 そして、ふっと肩の力を抜いた。

 「……山の水しか無いが……よかったら、中に入って休んでいけ。

 ……暑いのか? 顔、真っ赤だぞ。」

 「えっ……あ、あの……」

 カレンの頬はさらに赤くなる。


 「そこに座ってて」

 レオンは裏口そばの井戸から水を汲んできて、コップを差し出した。

 その仕草がどこかぎこちなくて、カレンの緊張はほぐれていく。

 熱くなった体を、冷たい山の水が駆けめぐる。

 「おいしいっ!」

 カレンの笑顔が輝いた。

 

 ──それから何時間だろう。

 小屋の奥に西日が差し込むまで、ふたりは狩りの話や野菜の育て方、食べられる草木の話まで、たくさんの話に花を咲かせた。

 笑い声が漏れるたび、レオンは時折カレンを見つめる。

 カレンはその度に胸の鼓動が早くなるのを感じた。

 

 それ以降、カレンは毎日のように「狩りに行ってきまーす!」と言っては、レオンに会いに山へ向かうようになった。

 二人で狩りに出かけ、大きな獲物を仕留めたときは一緒に村まで降りてくる事もあった。

 やがて、レオンが山から降りてきて、村人たちの力仕事を手伝う姿も見られるようになる。

 その隣には、いつも幸せそうに笑っているカレンがいた。

 村人たちは二人を、微笑ましく見守っていた……

 

 夏の日差しに照らされながら、青々とした葉は大きく育っていった。


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