第5話 復興と剣(王の娘:ソフィア編)


 黒き艦の襲撃から数時間後――夜が明けていた。


 焼け落ちた王国の跡を、冷たい朝の風が渡っていく。

 かつて美しくそびえていた白亜の塔も、今は瓦礫と灰に覆われて、無残な影をさらしていた。


 ソフィアは、まだ幼さを残す顔を、凛とした決意で引き締めていた。その隣を、黒いアイパッチをつけた老兵――ダリウスが、ゆっくりと歩を進める。

 足元には割れた石畳、崩れた梁、砕けたガラスの欠片がきらりと光っている。


 「……まずは、城の庭へ戻るわ」

 ソフィアの声はわずかにかすれていた。

 「承知しました、姫様」とダリウスは短くうなずく。

 二人は崩れた回廊を越え、かつて花々が咲き誇った庭園へと足を運んだ。

 そこは、ソフィアが幼いころ父王と駆け回った場所。

 だが今は、瓦礫と灰が一面を覆い、どこが花壇でどこが芝生だったのか、形をとどめていない。

 「……このあたりに、父上が……」

 ソフィアは足を止め、瓦礫の向こうを必死に見つめる。

 幼い日の記憶がよみがえり、胸の奥が締めつけられる。

 「ダリウス……どこ……?どこにいるの、父上は……」

 ソフィアは急に走り出すと、瓦礫と灰をかき分けようとする。しかし、触れるのはただ崩れた石や焼け落ちた枝ばかり。

 あの東屋も、花の咲いていた跡も、すべてが混じり合っていて、探しようがなかった。


 やがてソフィアは膝をつき、うつむいたまま小さく震えた。

 「……見つけられない……何も……」


 ダリウスはそっと肩に手を置いた。

 「……姫様。お気持ちは痛いほど……。ですが、どうか……」

 「……わかってる。だけど……」

 ソフィアは言葉を詰まらせ、風にまぎれるように小さくつぶやいた。

 「……父上……」


 しばし、二人はそこに立ち尽くした。

 瓦礫と灰の向こう、淡い朝日が庭を照らすが、何も答えは返ってこない。

 やがてソフィアはゆっくりと立ち上がった。涙をぬぐう手は、もう震えていなかった。

 「……行くわよ、ダリウス」

 「御意」


 その後、彼女たちは王都の中央広場へと歩を進めた。

 ――瓦礫の向こうから、かすかな声がした。

 「……たすけ……て……」

 ソフィアは、はっと顔を上げた。

 「ダリウス、今……!」

 ダリウスは片膝をついて耳を澄まし、剣を握る手に力を込めた。

 「……あちらの残骸の向こう、地下へ続く階段が……」


 二人は駆け寄った。瓦礫を必死にどけるソフィアの指先は、すぐに擦りむけて赤くなる。

 「姫様……無理は――」

 「大丈夫、わたしがどかす!」


 崩れた梁をよけたその下で、二人はようやく人影を見つけた。灰にまみれた青年兵が、かろうじて息をしている。

 「しっかり……!」

 ソフィアは膝をつき、彼の頬に手を添えた。


 青年兵はかすかに目を開け、乾いた唇でささやいた。

 「……ひ、め……さま……ご……無事……」

 「ええ、大丈夫。もう大丈夫よ」

 ソフィアの瞳が潤み、声が震える。

 ダリウスが素早く布を裂き、傷口を圧迫する。

 「動かすぞ……姫様、お手を」

 「はい……!」


 二人が力を合わせて青年を瓦礫の上から引き上げると、彼はかすかに笑った。

 「……たぶん……西の砦に……生き残りが……」

 「分かったわ、必ず……!」

 ソフィアは青年の手を握りしめ、強く頷いた。

 焼け焦げた空の向こうに、朝日がゆっくりと昇り始めていた。

 かつての王国の跡地で、彼女の胸に新たな誓いが芽生える。


 ――必ず、皆を見つけ出す。

 ――必ず、この国を再び立ち上がらせる。


 ソフィアは立ち上がり、ダリウスと視線を交わした。老兵は短くうなずき、その瞳に静かな光を宿した。


 「……行くわよ、ダリウス」

 「御意」

 瓦礫と灰の風の中、ふたりは再び歩き出した。

 その歩みは、やがて王国の新たな未来へと続いていく――。


※ ※ ※


 ――あれから、半年の月日が過ぎていた。


 かつて王都であった場所は、まだ瓦礫と灰に覆われ、風が通り抜けるたびに小さな破片が舞い上がる。

 けれども、そこにはもう絶望の沈黙はなかった。

 人々の声があり、笑い声さえ少しずつ戻りつつあった。


 「よいしょ……ここを持ち上げて!」

 少女の澄んだ声が、がれきの山の前で響く。ダリウスや兵士たちに混じり、ソフィアは袖をまくって瓦礫を運んでいた。

 かつて王女と呼ばれたその手は、今や土と汗にまみれていた。それでも、アクアマリンのような瞳は決して曇らない。


 「姫様、ここは我々が――」

 「いいの。わたしも一緒にやるわ。皆と同じ場所で」

 そう言って、ソフィアは重い石片を両腕で抱え、慎重に運んだ。ストロベリーブロンドの髪が風に揺れ、額に汗がきらりと光る。

 その後ろでは、老兵ダリウスが無言のまま見守り、時折そっと支えの手を差し出していた。

 「……無茶をなさいませぬように、姫様」

 「ふふ、ありがとう、ダリウス」

 笑顔を向けると、その場にいた兵士たちの表情が自然と和らぐ。


 瓦礫の片づけが一段落すると、広場の一角から湯気と香ばしい匂いが漂ってきた。

 そこでは、かつて城で仕えていた侍従たちが、大鍋を囲んで炊き出しをしていた。

 白いかっぽう着の上から古いマントを羽織り、かつての礼儀正しい動作のまま、今は国民のために手を動かしている。


 「そこの鍋、火を弱めて。……はい、お椀を並べてね」

 侍従たちの指示が飛ぶ中に、ソフィアも混じっていた。

 「私も手伝うわ」

 鍋の縁から立ちのぼる湯気が、ソフィアの頬を温かく撫でる。

 大きなお玉を握り、スープをひとりひとりの椀に注いでいく。

 「姫様……どうか、先にお召し上がりくださいませ」

 かつて宮廷で仕えていた老侍従が、深々と頭を下げた。

 ソフィアは小さく首を横に振り、穏やかな笑顔を返した。

 「ありがとう。でも、私は一番後でいいわ。皆が先よ」

 その言葉に、侍従も村人も、思わず胸が熱くなる。

 王女であった少女が、今は同じ鍋をかき混ぜ、同じ椀を配っている。過去の身分や役割を超えて、皆がひとつになっていた。


 「はい、どうぞ。熱いから気をつけて」

 「ありがとうございます、ソフィア様……」

 「わたしのことはソフィアって呼んで。皆と同じ、この村のひとりだから」


 彼女はひとりひとりに笑顔を向け、子どもには温かなパンを膝をついて渡す。

 それを見ていた老女が、涙をぬぐいながら小さくつぶやいた。

 「……女神さまのようだねぇ……」

 ソフィアは首を横に振り、少し照れくさそうに笑った。

 「わたしは、ただ皆と一緒にいたいだけなの」


 ――夕暮れ

 焼けた塔の影に新しい柱が立ち、半壊した家の隣に仮の住居が建つ。まだ道はでこぼこで、街並みも途中のまま。それでも、着実に復興は進んでいた。


 夜、焚き火を囲んだ人々は、今日運び出した瓦礫や、できあがった広場の話を交わす。その輪の中央で、ソフィアは子どもたちの膝をさすりながら、穏やかな笑みを見せていた。


 人々は、その笑顔を見るたびに胸の奥が温かくなる。

 ――決して消えぬ希望の火がそこにあった。

 王国の名残を抱えながらも、彼女は誰よりも前を向いていた。

 「明日も、一緒にがんばりましょうね」

 その優しい声に、皆がうなずき、夜空の星を見上げた。


 瓦礫と灰の大地の上で、確かな光が生まれていた――。


※ ※ ※


 ――あの日から、さらに三年の月日が流れていた。


 ソフィアは十五歳になっていた。

 かつて王城だった場所には、今や大きな教会が建っている。その白い尖塔せんとうは、焼け跡から立ち上がった希望の証のように、凛とそびえていた。


 教会の一角には、復興のために集った人々の寝泊まりする部屋があり、かつての侍従たちもそこに身を寄せていた。

 ソフィアもまた、その一員として、朝から晩まで国の端々へ足を運び、復興の力を巡らせていた。

 瓦礫は片づけられ、畑には新しい苗が芽吹き、街道には再び人の往来が戻りつつある。

 それでも、彼女の胸には燃えるような誓いが残っていた。


 ――あの日、奪われたものを、必ず取り戻す

 ――妹カレンを探し、父王の仇を討つ



 その日の夕暮れ、作業を終えて教会へ戻ったソフィアは、庭園だった広場に足を踏み入れた。そこは、かつてリュミエール城の庭園だった場所。今は子どもたちが走り回り、花壇には新しい花が咲いている。


 石畳の上、夕陽を背に受けて立つひとりの老兵の姿があった。

 ダリウス。あの惨劇から年月を経て、髪はさらに白くなり、背筋には静かな歳月が刻まれていた。

 それでも、その瞳は変わらず鋭く、彼女の父の代わりであり続けていた。


 ソフィアは、まっすぐにその背に向かって歩み寄り、はっきりと声をかけた。

 「ダリウス ――剣を教えて」


 老兵はゆるやかに振り返る。

 深いしわが刻まれた顔に、静かな驚きがよぎった。


 「姫様……ご安心ください。

 姫様も国民も、今度こそダリウスが守り抜いてみせます……

 剣など、必要はございません」


 その言葉に、ソフィアは首を横に振った。

 その瞳には、迷いはなかった。


 「だめよ、ダリウス。わたしは……戦わないといけないの」

 「……姫様……」


 ソフィアは拳を握りしめ、言葉をつむぐ。

 「カレンのために…… 父上の……仇を討つために」


 沈黙が広がった。

 夕陽が長い影を落とす中、ダリウスはゆっくりと視線を伏せ、やがて重い息を吐いた。


 「……分かりました。

 ですが――覚悟をお決めください。

 剣を取るということは、血と涙を背負うということ……

 その道を姫が選ばれるのなら、私は……誰よりも厳しくお教えします」


 ソフィアはうなずいた。

 そのアクアマリンの瞳は、もう幼い少女のそれではなかった。



 ※ ※ ※


 ある夜。教会の二階、大広間。


 皆が寝静まった後、そこに響くのは鋭い風切り音と、光の刃がぶつかり合う衝撃音だけだった。


 ダリウスの手には――

 《暁光ぎょうこうつるぎ

 長年、忠臣として王を護り続けてきた。見た目は重厚な金属刀。鍔には古代文字の装飾が彫り込まれ、刀身には王家の紋章が刻まれている。

 彼が構えた瞬間、精神力に応じて刀身全体が淡く震え、やがて白銀の光が走った。刃先はまるで星を閉じ込めたかのようにきらめき、光が床の石に反射して細い光条を描き出す。《リュミエール王国に古くから伝わる剣》と人々が語り継ぐ、その象徴が今、老兵の掌で白銀に輝いていた。


 一方、ソフィアの手には――

 王家の血を引く者のみが扱える

 《エトワール・ソード》

 持ち手には精緻な装飾が施され、握るたびに彼女の胸の奥に宿る思いが反応する。光刃が生まれると、刀身は青い星明かりのような光を放ち、空気をかすかに震わせた。それは、王女が戦士へと歩む証でもあった。

 

 白銀と碧――

 ふたつの光が大広間の闇を切り裂き、交差した瞬間、火花のような閃光が弾ける。

 「はぁっ!」

 ソフィアの碧の刃が振り抜かれ、ダリウスの白銀の光がそれを受け止めた。

 ギィーン!

 耳を打つ衝撃音。

 光の筋が壁や床に走り、まるで昼間のように一瞬、大広間が明るくなる。

 「まだまだ!」

 ダリウスが打ち返す。ソフィアは力を込めて踏ん張る。

 ──真夜中まで衝撃音は響きわたった。


 激しい練習の最中、ダリウスの激しい圧力にソフィアは跳ね返えされ、膝を突いた。

 「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 荒い息が大広間に響く。

 うなだれたソフィアの顎から汗がしたたり落ちる。

 ダリウスがすぐさま駆け寄り、肩を支えた。

 「姫様!大丈夫ですか!」


 ソフィアは荒い息のまま、顔を上げる。

 「……まだ……まだよ……」

 その瞳には光が宿っていた。

 「ダリウス……まだ足りないわ」


 ダリウスはその決意を察し、鋭く声を放つ。


 「ソフィア!膝をつくのは、敵に負けた時だけだ!

 そんなことで――父上の仇など取れまいぞ!」


 「……はいっ!」


 ソフィアは再び立ち上がり、碧の光刃を構えた。

 老兵の白銀の刃と、少女の碧の刃が再びぶつかり合い、閃光が大広間を照らす。


 ――剣だけではなかった。

 昼間は弓矢の技を磨き、夜明けにはブラスター銃の構えを習う。

 時には森に入り、隠密の術やゲリラ戦法をダリウスから学んだ。


 剣を握る指先に、幼い日にはなかった決意が宿る。

 夜風が窓から吹き込み、髪を揺らした。少女だったソフィアの影は、月明かりの中でゆっくりと鋭い輪郭を描き出していく。

 「ダリウス……まだよ。私は……もっと強くなる」

 その瞳には、幼さを残さない強い光があった。

 老兵は黙って彼女を見つめ、わずかに口元を緩める。やがて再び構えを取り、夜空へと閃光が走った。

 夜風が開け放たれた窓から流れ込み、白銀と碧の光が交差しながら、教会の広間を照らし続けていた。


  その時、遠い裏山の奥――

 誰も気づかぬその闇の底で、長い眠りについていた”何か”が、かすかに脈打った。



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