第4話 新しき地(星の導き:カレン編)
――無数の星々が、暗い宇宙の海を埋め尽くしていた。
脱出ポッドの小さな窓からは、光の川がゆるやかに流れて見えた。
少女の胸の奥では、かすかな鼓動がゆっくりと続いている。
カレン・リュミエールは、深い眠りの中にあった。
冷たいベッドに横たわり、生命維持装置が規則正しく吐き出す空気に守られている。
彼女の胸元では、母から託された三日月のペンダントが淡く光を宿していた。
――どれほどの時が過ぎただろう。
外界では、ポッドの自動航行プログラムが複雑な軌道を描き、時には微小隕石の群れを避け、時には重力井戸を巧みに回避しながら進み続けていた。やがて、ポッド内部に静かな機械音声が響く。
『ピピッ 自動航行モード。本日の定期環境調査を開始します』
薄いモニターに青い光が走り、次々と数値が読み上げられる。
『大気成分:窒素……約78パーセント 酸素……約21パーセント アルゴン……約0.9パーセント その他微量ガス 重力比率……惑星リュミエールと誤差0.01パーセント 海水比率……惑星リュミエールと誤差2パーセント』
続いて、さらに詳細な水循環データがスクリーンに展開する。
『水の総量……約十五億立方キロメートル 海水……約99パーセント 淡水……約1パーセント 淡水の分布……氷河・氷床が約70パーセント、地下水が約30パーセント、その他わずか……生存可能。生存可能』
カレンの指先が、かすかに動いた。閉じた瞼の裏で、懐かしい誰かの声が聞こえたような気がした。
『周辺の安全を確認……確認…… 長距離航行モードを解除……
軌道修正――データ外の惑星に緊急着陸します』
機体がわずかに震え、姿勢を変える。赤い警告灯ではなく、やわらかな青のランプが点滅した。
『減速を開始します……外殻温度上昇……正常範囲内』
カレンはまどろみの中で、幼い頃の祈りを口にしていた。
――「リュミエール・ディア・ゾーエ・アウローラ……」
やがて、ポッドは雲を抜け、緑豊かな大地が眼下に広がる。夜空の中、光を放ちながら地面が近づいてくる。
『着陸モードに移行……衝撃吸収システム作動』
ふわり、とポッドが森の外れに降り立つ。衝撃をやわらげる重力ダンパーが作動し、ほとんど音を立てずに着地した。
『着陸成功……着陸成功。……乗員の身体スキャン完了。
異常なし…… 異常なし…… 生命維持装置…… モード E へ以降』
ピピッ
『カレン・リュミエール様…… この錠剤と水分の補給をお勧めします』
ピピッ
『全システム モード E へ移行します』
ブシュー……
「うぅうん」カレンは、ゆっくりと目をあける。
ベルトを外し、ベットから降りる。足が棒のように重い。震える手で小さなハッチを押し開ける。
湿った風と土の匂いが、一気に頬をなでた。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
「風……風が吹いてる……ここは?……リュミエール?」
夜空の星の下。
ふらりと一歩を踏み出した瞬間、足がもつれ、膝をつく。長い眠りで体力はほとんど残っていなかった。
それでも、彼女は這うようにしてポッドから抜け出すと、見上げた空に向かって呟いた。
「お姉さま……わたし……生きてるよ……」
その瞳に、大粒の涙が光った。
夜風が吹き抜け、遠い星の瞬きが、彼女の頬の涙をやさしく照らした。
※ ※ ※
惑星エルディアの村。村長のゲノンは、畑で使った鍬を片づけていた。夕食の前、最後の仕事を終えたその時。
――空気がわずかに明るくなった。
「……?」
眉をひそめ、夜空を見上げる。尾を引く大きな光が、山の向こうへと落ちていった。流れ星にしては、あまりに大きい。
「……なんだ、あの光は……山火事などにならなければよいが……」
後ろから柔らかな声がした。
「あなた、どうかしたの?」
振り返ると、妻のマーニャが灯りを手に立っている。陽気で料理上手、村の誰からも頼りにされる女性だ。
「いや……光ったんだ。……空が」
そう言いながらも、ゲノンは鍬≪くわ≫を握り直し、思案するように空を見上げた。
そこへ、息を切らしてバロックとエレーナが駆けてくる。バロックは村長の息子。狩りや森の道に詳しい屈強な男で、無口だが村一番の働き者だ。
その隣で妻のエレーナが声をあげる。優しい微笑が印象的な、村の母のような女性だ。
「お父さん、空が明るくなったわ。何なの?」
エレーナが見上げる空は、まだ淡く光を残している。
ゲノンは二人を見渡し、低くしかし決然とした声で言った。
「……わからん。だが、あの山の向こうだ。バロック、見に行け」
バロックは一度だけうなずき、腰の斧を確かめる。
「了解だ、父さん。……エレーナ、すぐ戻る」
エレーナは心配そうに袖をつかむが、彼の決意を読み取って黙って頷いた。
「村の若い衆を二、三人連れて行け」
ゲノンの言葉に、バロックは短く答える。
「……ああ」
マーニャが近づき、夫の肩にそっと手を置いた。
「気をつけて……バロック、無茶はしないで」
バロックはちらりと目をやり頷く。
そして馬を引き出し、若者たちとともに夜道を駆けていった。ゲノンはその背を、じっと見送りながら小さくつぶやいた。
「……あの光が、良きものをもたらすといいがな……」
夜の闇を切り裂くように、馬蹄≪ばてい≫の音が森へと響いていた。バロックは先頭で手綱を握り、肩越しに後ろを確認する。村の若者が二人、懐中灯を掲げて黙々とついてくる。
「父さんが言った場所は、この尾根を越えた先だ」
短く告げる声に、若者たちは無言でうなずいた。
夜気は冷たく、葉擦れの音と馬の息づかいが、静かな森に溶けていく。
やがて、木々の間に不自然な道筋が見えてきた。草が広くなぎ倒され、しっとりとした土が踏みならされている。火の跡はない。
「……ここだ。馬を置いて進むぞ」
三人は馬を繋ぎ、懐中灯の光を頼りに歩を進める。
やがて、木々の影の奥に――光沢を放つ何かが見えた。
「……なんだ、あれは……?」
近づくと、それは見たこともない銀色の楕円体だった。
丸みを帯びた白い外殻が月光を反射し、表面には傷ひとつない。入口らしきハッチが半ば開き、内部からかすかな機械音が漏れている。
森の中に突然現れたその存在は、どこか神秘的な気配を放っていた。
「……船だと?いや……俺たちの知ってるものじゃない」
若者のひとりが思わず息をのむ。バロックは指先で外殻に触れた。熱の痕跡は感じられず、ひんやりとしている。
焼け跡も、火の匂いもない。完全な状態で、ただ森に静かに佇んでいた。
「……人が、乗っていたのかもしれない」
彼はハッチの中を覗き込んだが、そこには誰の姿もなかった。シートには小さな体が横たわっていた形跡――わずかに沈んだ跡が残っている。
「……近くを探すぞ」
三人は船を後にして周囲を探り始める。月明かりが木々の隙間から差し込み、夜露を帯びた草が銀色に光る。わずかに草の向きが乱れ、奥へと続く小さな足跡が見えた。
「こっちだ!」
バロックは草をかき分けて進む。夜露で裾が濡れ、若者たちが後ろで息をのむ。
そして、茂みの奥――月光の中に白い布が揺れていた。そこに、少女が倒れていた。年の頃はまだ幼さを残すが、凛とした面影を宿している。
月光が差し込み、長いプラチナブロンドの髪を輝かせた。胸元では見たことのないペンダントが静かに光を宿している。衣は異国のもの、繊細な刺繍が施され、どこか神秘的な気配を放っていた。
「……生きてる、のか?」
そっと頬に触れると、微かな体温が伝わる。呼吸も確かに感じた。
バロックは言葉を失い、ただ見つめた。こんな少女が、この森の奥にいるはずがない。
――その姿は、夜の森のすべてを凌駕する光をまとっていた。
思わず、彼の唇から言葉がこぼれた。
「……女神だ……」
風がそっと吹き、遠くで鳥が一声鳴いた。
夜が、静かに明けていく……
※ ※ ※
――あの夜、森で保護されてから、カレンがこの村に来て7年の月日が流れた。少女は14歳になろうとしていた。
いまや彼女は、エルディア村の人々にとって、かけがえのない家族のような存在だった。
「おはよう!お父さま!お母さま!」
カレンは幼き頃からそのまま、髪の毛はプラチナブロンドの輝きを放ち、肌は透き通るような明るさだった。瞳はアクアマリンの宝石のような澄んだブルーの輝きを放つ。バロックとエレーナの家で育ち、二人の温もりに包まれて、すくすくと成長した。
「お父様、馬にエサをあげてくるわ」
プラチナブロンドの髪が風になびく。その微笑みは、誰をも癒した。
義理の父。バロックは、村長ゲノンの息子であり、村で最も頼りにされる狩人だった。大柄な体つきに、長年の森での暮らしで鍛えられた筋肉。無口で寡黙だが、言葉少なに口にする一言には、いつも確かな重みがあった。
エレーナは、そんな夫をやわらかな笑顔で包む女性だった。明るく朗らかで、家の中はいつも温かい香りに満ちている。カレンが夜遅くまで縫い物をしていると「無理はだめよ」とそっと肩にショールをかけてくれるような人だった。
――そんなふたりのもとで、カレンは新しい”家族”というぬくもりに守られていた。
――そして、カレンは村の子どもたちとも打ち解けていく。ある日、草原で。
バロックの息子、ティオが羽根付きの木の実を投げて「女神さまー!」と笑うと、カレンは腰に手をあてて「こらー!」と笑いながら追いかける。
夕陽が草原を染める中、村の子供達と一緒に声をあげて駆け回り、夜には焚き火を囲んで昔話をしながら笑い合った。
ある日の庭先では――
「カレン姉さま!はい、これ……王冠、つくったの!」
ミリィが摘んだ花で編んだ輪を差し出す。ティオの妹だ。
「……ありがとう、ミリィ」
カレンは少しだけ遠い目をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ミリィ、お礼に髪の毛を結ってあげよっかぁー」
ミリィは、くりくりとした大きな目を輝かせた。
「ほんとっ!カレン姉さまと同じ髪型がいいっ!」
「よーし!じゃあ、そこに座って」
カレンは、ミリィを芝生に座らせると、器用に髪を三つ編みに結ってあげた。
「……似合うよ、ミリィ」
結い上げた髪に花冠を乗せると、ミリィはくるりと回って嬉しそうに笑った。
「カレン姉さま、どう?」
その姿に、カレンは胸がいっぱいになり、思わず小さく抱きしめた。
「……ミリィ。何があっても……お姉ちゃんはミリィを守ってあげるからね」
ミリィは不思議そうに瞬きをして、ぎゅっとカレンの腕に手を添える。
――その後、ミリィに気づかれぬよう、空の向こう側を見ながらカレンはそっと涙をぬぐった。
こうしてカレンは、星を渡り歩いた先のこの小さな村で、誰かを愛し、誰かに愛される日々を重ねていった。
そして、彼女にとって、ここでの生活は確実にかけがえのない、第二の故郷となっていったのだ……
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