第3話 別れの時(王都陥落:姉妹編)
「……入り口が見えてきました!」
先頭を走るダリウスが叫ぶ。回廊の先、闇の向こうに、脱出ポッド区画へと続く開口部が見えた。
「すぐそこよ、カレン!」
ソフィアは妹の手を強く握り、駆けた。あと少し。あと少しで――。その瞬間だった。頭上から甲高い金属音が響き、直後に轟音。
――被弾
回廊全体が激しく揺れ、天井の一部が崩れ落ちた。
「危ない!」
ソフィアは咄嗟にカレンを突き飛ばす。咄嗟の行動だった。カレンの小さな体が瓦礫をすり抜けて前へ――。ゴロリ、とカレンは勢いのままスロープ状の床を転がり、脱出ポッドの入り口へと滑り落ちていった。
「カレン!?」
ソフィアの悲鳴が響く。
崩れた天井の瓦礫が、ソフィアとダリウスの行く手を阻んだ。土煙が立ちこめ、視界が霞む。そのとき、低く冷たい機械音が回廊に響き渡った。
『致命的な衝撃を検知しています。緊急自動脱出モードです。繰り返します――緊急自動脱出モードです』
透明の防護シールドが無常にもサイレンと共に閉まっていく……
「やめて……!」
ソフィアは必死に瓦礫を押しのける。
ポッドの入り口のスロープ下では、カレンが両手をつきながら必死でこちらに向かって叫んでいる。防護シールドで、声は届かない。しかし口の動きだけで何を言っているのか分かる。
「……お姉さま……!」
……冷たいA.I.の言葉が響く
『乗員1名を確認――識別検知――乗員 カレン・リュミエール。自動生命維持装置稼働。自動気圧調整モード、自動重力調整モード各チェック異常なし』
「だめ!ダメよ!あの子はまだ……私が……!」
ソフィアの声が枯れ、涙が頬を伝う。ダリウスも瓦礫を乗り越え、装置のパネルに手を伸ばし、操作を試みる。
「くっ……開け!開けろ……!」
『緊急脱出用カウントダウンを開始します。』
「カレン!カレン!」
ソフィアは脱出ポッドのガラスに手をつき、必死に叩く。
「ここ開けて!ダリウス!ここ開けて!」
ダリウスは血の滲む手で制御装置を操作するが、状況は変わらない。
10…… 9…… ポッドの奥では、カレンが泣きながらボタンを押している。
8…… 小さな肩が震え、涙が頬を伝う。
7…… 6…… 「カレーーーン!!」 ソフィアの叫びが震える回廊に響く。
5…… ダリウスがソフィアの肩にそっと手を置く。その手も、微かに震えていた。
4…… スロープの下、カレンは両手を伸ばしている。声は届かない。それでも必死に、姉へ向かって……
3…… 2…… ソフィアはガラスに両手を強く押し当てた。
「カレン……!」
互いの瞳が涙越しに交わり、時間が止まるような一瞬――
1…… ……
《ドシュッ!》
重低音とともに、脱出ポッドが発射される。炎と煙を残し、暗い宇宙へ向けて、カレンを乗せたポッドは闇の向こうへと消えていった。ソフィアは崩れ落ち、瓦礫の中で泣き叫んだ。
「カレン……カレン……!」
ダリウスはその肩を強く抱き寄せ、目を閉じた。回廊には、ポッドの発射音が消えた後の静寂と、遠くの戦火の轟音だけが残った。
※ ※ ※
夜風が回廊の奥から流れ込んでくる。瓦礫に埋もれた出口を、ソフィアとダリウスは夜が更けるのを待っていた。
かすかに聞こえていた戦火の轟音も、いつしか遠のいている。回廊を満たしていた焦げた匂いと土埃が、重く肺を満たした。
「……ダリウス、今よ」
ソフィアの声はかすれていたが、その瞳には強い光が宿っていた。二人は瓦礫をかき分け、崩れた岩壁に手をかけて、ゆっくりと上へと進む。脱出ポッドがあった場所から、山肌を抜けて――。
やがて、冷たい夜気が二人を包んだ。夜中の山の中腹、そこにぽっかりと開いた裂け目から外へ出たとき、二人は言葉を失った。
眼下に広がるのは、かつての誇り高き
黒い夜空を背景に、城は燃え盛り、真っ赤な炎が波のようにうねっている。白亜の塔は炎に包まれ、広場を照らす筈のランタンの明かりではなく、瓦礫に燃え移る炎の光だった。風に乗って、かすかに焦げた布や木の匂いが漂ってきた。
そこには、つい数時間前まで歌声や笑いが満ちていたとは思えない、悲劇的な光景が広がっていた。炎の向こうに、ソフィアの記憶の断片が鮮やかによみがえる。
――あの大きなクスノキ
庭の片隅、幼い頃に夢中で木登りをしてダリウスによく叱られた。その枝先にいくつもの子どもの頃の秘密を隠した、あの優しい木が、いま炎に包まれ、ぱちぱちと音を立てている。
――あの高くそびえる東の塔
母と夜空を見上げて、星々に願いを祈った場所。夜風の冷たさと母の温かい手のぬくもりが、胸にこみあげる。その塔も、いまは橙色の炎に包まれ、崩れかけていた。
――あの花壇
カレンと二人、春の午後に笑いながら花を摘んだ日。薄紅色の花びらを摘んでは髪に飾り、姉妹で笑い転げた思い出。そこから立ち上る黒煙が、まるでその花たちの悲鳴のように夜空へ昇っていく。
――あの庭園のベンチ
カレンの髪を結ってあげて、お返しに下手ながら私の髪を結ってくれた優しい妹が座っていたあのベンチ。今は姿、形も無い。
――父とよく駆け回った芝生の庭
裸足になって走り回り、息を切らしては父の大きな手に抱き上げられたあの場所。いまは炎の赤に塗りつぶされ、煙に霞んで見えなくなっていた。
すべてが燃えている。
笑いも、涙も、誓いも。あの王国の日々が、炎に飲まれていく。
ソフィアは拳を握りしめ、頬を伝う涙を拭いもせずにその光景を見つめる。
「……カレン。必ず迎えに行くから」か細い声が、夜風に溶けていく。
「この手で……必ず」
彼女の瞳は、燃える城ではなく、遠い夜空を見ていた。
ダリウスは、瓦礫の匂いを含んだ風を深く吸い込み、胸に手を当てる。
「陛下……私は、あの御方の願いを……決して忘れませぬ」
老兵の背筋は、夜風の中で静かに伸びていた。ソフィアは夜空を見上げる……そこには、悲劇を見下ろすかのような無数の星々が瞬いていた。
「カレン……どこにいるの……?」
その瞳は必死に、あの小さな妹を探すように星々を追いかける。
そして――あの星の海のどこかに、カレンがいると思うと、胸が切なく疼いた。
夜空の奥深く、無数の星が流れる帯を形づくっている。まるで天の川に流されるように、ソフィアの視線はゆっくりと宇宙の彼方へと引かれていった。
※ ※ ※
真っ黒な宇宙空間――
遥か彼方、ひとつの小さな光が闇を滑っていく。
その光の中にある小さな窓――そこには、生命維持装置に守られ、長距離移動航行モードで深い眠りにつく少女の姿があった。
照明の淡い青が、彼女の横顔を柔らかく照らす。小さな胸が静かに上下し、安らかな寝息を立てるその表情は――まるで天使の寝顔のようだった。誰もいない船内に、わずかな機械音だけが響く。
その少女の名は――カレン・リュミエール。彼女を乗せた脱出ポッドは、星々の守りと天の川の流れに導かれるかのように……ひとすじの光となって、暗い宇宙の向こうへと消えていった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます