第2話 裂けた空(王都陥落:姉妹編)

 

その日、リュミエール王国の空は、初夏の陽光にきらめいていた。城下町を渡る風は草花の香りを運び、遠くの丘では羊たちがのんびりと草を食んでいる。平和な王国の日常――誰もがそう信じて疑わなかった。


 だが、午後を過ぎた頃、最初の異変が訪れる。南の空に、陽光を裂くような閃光が走ったのだ。

 城壁の見張り台にいた兵士が目をこすり、双眼鏡を覗き込む。

 「……なんだ、あれは……?」

 彼の視界の先で、雲を引き裂きながら黒い影が姿を現していた。鳥の群れではない。それは――戦艦。しかも、リュミエール王国の紋章を持たぬ、見たことのない異形の艦影だった。


 前夜、偵察機(シルフィード)が南方宙域でその艦影を捕捉した。だが、報告し撤退の最中、艦影は忽然とレーダーから消えた。通常の航跡や残留熱源もなく、まるで空間そのものを折りたたんだかのように消え去ったという。情報将校たちは「どこに行った……?」と顔を見合わせ、結論を出せずにいた。

 もしそれがワープ航行だったのなら――敵は既に、通常の防衛網を越えて王国領の深くへと潜入していたことになる。


「敵襲――! 敵襲だ!!」

 城門に立つ将兵の怒声が響き、教会の鐘が「ゴーン! ゴーン!」と何度も鳴り響く。

 先陣を切った偵察機が、上空侵犯の警告信号を敵機に送るも即撃墜された。

 航空隊は緊急発進を試み、ミサイル防衛網も起動した。すでに大気圏上層にその姿を現していたサイレントな黒い艦影へ、無数の光弾が放たれていく。


 だが――

 その光はすべて艦の装甲に届く前に霧散し、虚空へと掻き消されていった。

 まるで、そこに底知れぬ闇が口を開け、あらゆる攻撃を呑み込んでしまうかのように。

 「な、何だと……!? ミサイルが……通じない……!」


 空を裂くように急降下した航空隊の編隊も、返す一閃の光でまとめて消し飛ばされた。炎と黒煙だけが空を漂い、抵抗の痕跡さえ闇に溶けていく。


 王宮の高い塔――執務室の窓辺に立ったオリヴィエ王は、低く息をついた。昨夜、ダリウスから聞いた『未知の艦影』の報告が脳裏をよぎる。胸騒ぎは現実となり、黒き艦がこの空を裂いて現れたのだ。

 「……ダリウス、来ているな……」

 扉が開き、親衛隊長ダリウスが片膝をつきながら報告を叫ぶ。

 「陛下、敵艦が南方より接近!通常航行ではありえない速度です。長距離のワープを……使われた模様!防衛ミサイル網も突破されました!」


 オリヴィエ王は一瞬だけ目を閉じ、そして強く開いた。その瞳には、決意の光が宿っている。

 「――緊急脱出ポッドの準備をしろ!」王の声が執務室に響き渡る。

 「……陛下も、ご一緒に!」

 ダリウスが思わず叫んだ。

 「お二人の姫君と共にお逃げください!城のことなら、私が――!」


 しかし王は、ゆっくりと首を横に振った。その顔には、長年国を率いてきた者の揺るぎない覚悟があった。

 「ダリウス……わしは大丈夫だ。ダリウスが育てた、優秀な軍隊がここにおる」

 王は窓の外の、青く裂けゆく空を見上げながら続ける。

 「それにな……わしも、若かりし頃はお前の教えを受けたひとりの軍人だ ……この手で、城を、このリュミエールを――守ってみせる」

 「しかし――!」

 なおも食い下がろうとするダリウスを、王は鋭く、そして優しく制した。

 「案ずるな。わしはこの城の王だ。最後まで、この地に立つ。だが……あの子たちだけは、必ず守れ。ダリウス!これは命令だ!ソフィアとカレンを、確実に未来へ繋げてくれ……頼めるのは、ダリウス。其方だけだ」

 その言葉に、ダリウスの拳が強く握られた。

 「……御意。たとえこの身が果てようとも、必ず――!」

 腰の《暁光ぎょうこうつるぎ》が、主従の誓いに呼応するようにわずかに鈍く光を返した。

 王都を見下ろす空に、さらに大きな閃光が走る。ついに敵艦からの砲火が地上に放たれ、青空を真っ黒な炎が裂いた。遠くで悲鳴が上がり、炎の柱が立つ。


 ――裂けた空が、すべてを飲み込もうとしていた。

 その瞬間、ソフィアは妹カレンの手を強く握りしめていた。まだ幼いカレンが怯えた瞳で姉を見上げる。

 「お姉さま……こわい……」

 「大丈夫。私がいるわ。絶対に守るからね」

 遠くから、敵艦の唸りが獣のように響く。穏やかだった王国の空は、もはや戦火の色に染まり始めていた。


 ※ ※ ※


 王宮の廊下は、すでに人の波で満ちていた。侍女≪じじょ≫たちが慌ただしく走り、兵士たちが叫び交わす声が響く。天井のシャンデリアが揺れ、遠くで砲撃の轟音がくぐもって伝わってきた。

 「お姉さま……怖い人達が来るの?……」

 カレンがソフィアの手をぎゅっと握りしめる。小さな手は冷たく、震えていた。

 「大丈夫よ、カレン。私がいるもの」

 ソフィアはまだ幼いながらも、毅然とした声を作り、妹を抱き寄せた。


 その時、重い軍靴の音とともにダリウスが現れた。瞳は鋭く、しかし姉妹を見た瞬間、わずかに和らぐ。

 「姫様方、こちらへ。――急ぎますぞ!」

 「ダリウス……お父様は?」

 ソフィアの問いに、ダリウスは一瞬だけ目を伏せ、すぐに口を開いた。

 「……後から……王は後から来られます。ですから、どうか……お急ぎを」

 その言葉の裏にある真実を、幼い姉妹は知る由もない。ただ、胸の奥がざわつくのを感じた。窓の外では、リュミエール王国軍隊がすでに動き出していた。裏山の格納庫からは戦闘航空機が次々と発進し、空へと舞い上がっていく。西の森に隠された格納庫からは、陸上戦闘用車両が地響きを立てて飛び出していった。


 何十年もの間、戦争など知らず平和を享受してきた王国――だが、ダリウスが鍛え上げてきた部隊は、その長い平和を恥じることなく、いざという時のために剣を鈍らせてはいなかった。彼らは整然とした動きで迅速に展開し、勇敢に未知の敵へと挑んでいく。

 「……行きますぞ」

 ダリウスの低い声に、ソフィアは小さく頷いた。その腕の中で、カレンが怯えた瞳を彼女に向ける。

 「お姉さま……ほんとに、お父さまも一緒に来るの?」

 「……ええ。あとでね。大丈夫よ」

 ソフィアはそう言いながらも、胸が締めつけられるのを感じていた。そのとき、ダリウスが短く息をつき、ソフィアを見やった。

 「……姫様。ひとつ、お伝えしておきましょう。この国がこれほどの剣を持つことを、驚かれているかもしれませぬ。ですが――かつてリュミエールは、一度、外敵に焼かれた歴史がございます。歴代の陛下はその教訓を胸に刻み、表には見せずとも、影の軍備を整え、我ら親衛隊を鍛え続けてこられました。平和を守るための剣……それが、今こうして姫様をお守りしているのです。どうか、ご安心を」

 ソフィアは一瞬目を見開き、そして小さくうなずいた。その腕の中で、カレンが怯えた瞳を彼女に向ける。

 「……うん……」


 ソフィアは妹の手をもう一度強く握った。やがて彼らは、王宮の一角に隠された石壁へとたどり着く。

 ダリウスが隠されていたレバーを引くと、重い石扉が軋む音を立てて開いた。そこには闇へと続く階段が口を開けている。

 「ここが……?」

 「非常時のため、陛下が整えた地下回廊です。――急ぎましょう」

 ひんやりとした空気が肌をなでる。階段は急で、松明の灯りだけが頼りだった。カレンは不安げに暗闇を見上げたが、ソフィアは妹の肩を抱き寄せ、優しくささやく。

 「怖くないわ、カレン。私たちは、いつも一緒だから」

 背後では、王国軍の怒号と砲撃音が遠く響く。

 ――父はあの城を守るために残る。その事実を、ソフィアは薄々感じていた。だが、涙をこらえ、前を向く。

 ダリウスは階段を降りながら、短く振り返った。

「姫様……どうか、お心を強くお持ちください。ここからが……本当の戦いでございます」

 その言葉に、ソフィアは小さく頷いた。

 ――この手で、妹を守りぬく。

 ――そして、父上と一緒に……。

 暗闇の回廊を、三つの足音が、希望を胸に駆け抜けていった。


 地下回廊を進む三人の足音が、石の壁に反響する。時折、頭上から伝わる轟音と震動に、松明の炎が激しく揺れた。

 「この回廊は、裏山の発射区画に出ます。今度は少し階段を上りますぞ」

 ダリウスの声は冷静だったが、その額に汗が滲んでいるのをソフィアは見逃さなかった。


 そのときだった――。ドォンッ、と大きな衝撃が回廊を揺らし、天井の石が崩れ落ちる。ソフィアとカレンは思わず身を伏せ、土煙が視界を覆った。

 「姫様っ!」

 ダリウスが二人の肩を抱え、咄嗟に庇う。だが次の瞬間、側壁の一部が大きく崩れ、山肌の裂け目から外の光が差し込んだ。

 

 ――そこは、王城の庭を見下ろす高台だった。舞い上がる土煙の向こう、城の庭は戦場と化していた。

 リュミエール王国軍の兵士たちが必死に敵軍と交戦し、火花が散る。黒い旗を掲げた侵略者たちが押し寄せ、庭の大樹の周囲で剣戟けんげきの音が響いている。

 「……お父さま……?」

 ソフィアは瓦礫の隙間から目を離すと、崩れた岩の間に手をかけ瓦礫をよじ登った。

 「お姉さま、待って!」とカレンが後を追う。

 「お気をつけて!」ダリウスが叫びながら瓦礫を運び、通路を確保する。


 その時、ソフィアとカレンの目に飛び込んできた光景――白銀の鎧をまとったオリヴィエ王が、兵たちを鼓舞するように剣を振るっていた。その前に立ちはだかるのは、黒いマントをひるがえす巨躯きょくの男。その顔は、漆黒の仮面で覆われている。

 一瞬……マントには禍々まがまがしい紋章が刻まれているのを2人の王女は見逃さなかった。黒い太陽と黒い翼。縁は血のような赤で縁取られていた。

 火花が散り、鋭い金属音が響く。王の白銀の剣と、黒仮面の男の赤い剣が何度も激しくぶつかり合う。周囲では王国軍の兵が奮戦し、敵兵と刃を交えていた。


 王は渾身の力で横薙ぎの一撃を放った。

 その刃が黒い男の仮面をかすめ、甲高い音を立てて欠け飛んだ。仮面が割れ、破片が石畳に散る。露わになった左目が、炎に照らされて鈍く光った。

 ――その目を見た瞬間、王の全身に戦慄が走る。

 「……お前は……」

 かすかな言葉が、王の唇から零れた。

 

 次の瞬間――黒いマントがひるがえり、血のように赤く光る剣が一直線に王の胸を貫いた。鋭い金属音と、肉を裂く鈍い音が重なった……


 ――……


 「父上ぇーーーーッ!!!」

 ソフィアの絶叫が、地下回廊に響き渡った。

 その瞳から大粒の涙がこぼれ、声はかすれていく。


 「ダリウス!助けに行って!助けに行って!早く!早くしないと……父上が……!!」

 悲痛な叫びが何度も繰り返される。ダリウスは岩陰に身を伏せたまま、歯を食いしばった。


 ――もう間に合わない。

 ソフィアも、心のどこかではそれを理解していた。だが、言葉にしたくなかった。


 「早く……早く……父上を……た……すけて……」


 カレンはその場に崩れ落ち、生気を失ったように姉を見つめている。

 ダリウスは決して見せまいとするように、素早く手で目頭を拭った。そして、二人の肩を強く抱き寄せる。

 「……ソフィア様、カレン様……今は……生き延びることをお考えください!」


 その低く震える声に、ソフィアは嗚咽を漏らしながらも頷いた。三人は再び闇の中へと駆け出す。


 その背後で、王国の庭に残された父の勇姿が、燃えゆく炎の中で静かに横たわっていた……

 

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