第10話
金曜日の繁華街、それは社会人にとっての理想郷。帰り道の公園がオアシスだとするのならば、ここはユートピア。金さえあれば大抵の欲は満たすことが出来る。一週間を戦い抜いた企業戦士たちが1人、また1人と傷を癒やすため集まってくる。
俺もその中の一員だった。一ノ瀬を連れて夜の街を闊歩する。
「何食いたい?」
「いつもの店でいいだろ」
短い会話で決まった今日の店、高貴な位の焼鳥屋さん。大学生の頃からお世話になっているが、社会人になっても雑に飲むならちょうどいいのだ。そりゃいい店も、社会人の常識として知ってはいるけれど、一ノ瀬と行くのにそんな気にすることはないだろう。
個人的にはビールバーとかも好きなんだけれどね。酒があまり得意でない人間を連れ回すわけにもいかないだろう。クラフトビールは特に人を選ぶからね。そういうのは”理解”ってる同士と行くか、はたまた一人で行くべきだろう。
店に入ると騒々しさが俺達を迎えてくれた。浮かれた大学生やら赤ら顔のおっさんたちが誰も彼も楽しそうに声を張り上げている。これだから酔っ払いは嫌だねえ。まあ、30分もしたら俺もその一員になっているだろうけど。
店員に案内された席に着くと、タッチパネルで俺の分のビールと一ノ瀬の分のレモンサワーを注文する。ここらへんはいつもの流れなので何が飲みたいか尋ねることもない。しかし、最初は生って法律で決まっているはずなのにビールが飲めない一ノ瀬は平気で犯罪をやってのける。少人数の飲みなら良いけれど、人数が多くなるとこういう奴が注文を遅くする原因になるのだ。こちとら一刻も早く飲みたくて仕方がないのに。
言葉にしないで抗議の目線を送っているのに一ノ瀬は涼しい顔をしてやがる。難癖を付けるのもいつもの飲みの最初の儀式だからだ。運ばれてきた酒を手に取ると、これまたいつもと同じ呪文から始まる。
「今週もなんとか生き延びることが出来ました。乾杯!」
「乾杯!」
ぐびりぐびりとビールが喉を通っていく。ああ、このために生きてんな。一口でジョッキの半分ほどを飲み終える。空きっ腹に酒は効く。脳がグラッとする感覚がたまらなく心地よい。この感覚を同意してくれない一ノ瀬は多分人生を半分くらい損している。
「それでだ、佐藤。お前にどんな心境の変化があったんだ?」
「たまたまだって、俺も若者だったってことだよ」
「いいや、お前に限ってそんなことはない。俺の知っている佐藤という男は、むしろそんな軟派なアプリを入れるなんて言語道断だ。なんて時代から逆行した逆張り男のはずだ」
「お前の中の俺のイメージはどうなっているんだよ」
「信頼しているんだよ、悪い意味でな」
全く持って嬉しくもない一ノ瀬評を全面的に否定できないのは、俺にも思うところがあるからだろう。実際問題、榛名ちゃんに言われなければ同じことを口走っていた可能性がある。いいや、口走っていたに違いない。そういった意味では一ノ瀬はよく俺のことを理解していやがる。ものすっごく嬉しくないけどな。
しかしながら、女子高生と知り合って応援のために入れました、なんてことは口が避けても言えない。俺のムダに高いプライドがそれを許さないから。それに、変な疑いの目を向けられるのも面白くない。
「俺も変わったってことだよ」
「女か? 女か!」
「一ノ瀬って女性恐怖症な割にはこういう話大好きだよな」
「女性恐怖症というか、言い寄られるとあのストーカー女に包丁を持ち出された記憶がフラッシュバックして脂汗が止まらなくなるだけだ。それとこんな体質になってしまった以上、逆に他人の下世話な色恋沙汰が面白くてしょうがないんだ」
「良い性格していやがるよ」
「性格が良いだろ? おまけに顔も良い」
「耳と頭は致命的に悪いな」
今日の一ノ瀬テンション高くて面倒くさい。その御自慢の顔が変形するまで殴ってやろうか? 世の中の女性に問いたいがこいつのどこが良いんだ? 顔か? やっぱり変形させるしか無いな。
こうなったらもう酔いを回すしか無い。ええい、メガハイボール追加で。後焼鳥数種類追加で。
届いた焼鳥をおもむろに食し、口に残った油をハイボールで洗い流す。やっぱ焼鳥はタレだよな。塩とか素材の味とか言っている連中は意識高い自分に酔いしれているだけだろ。
段々と回らなくなり始めてきた頭で言い訳を探す。見つからなくて強引に話を切り替える方向にシフトする。
「一ノ瀬って子供の頃に夢とかあった?」
「急にどうしたよ。そうだな、俺は大工さんになりたかった」
「ははっ、似合わないにも程があるだろ」
「こういうときは人の夢は笑わないみたいな展開になるのが普通じゃないか?」
「人様の夢を笑うなんてそんなの失礼な行為だろ。やったらいけない。⋯⋯一ノ瀬の場合は別」
「俺は人じゃないってか?!」
会話に意味なんて無い、酔っぱらいの会話に理由を求めるのなんて酷だろう。強いて言うなら榛名ちゃんの夢を聞いて、そんな上等な考えを持っていなかったことを共感したかったのかも。いいや、それじゃあ俺が面倒くさいメンヘラみたいじゃないか。むしろ俺がいちばん苦手なタイプだぞそれ。
どちらかと言えば自分のガキの頃の夢がクソガキすぎるから、どうせ一ノ瀬も同じだろうと思って笑ってやろうと思ってた。実際突拍子もなくて笑えた。こいつが大工って、理系のヒョロっこいのが向いているわけ無いだろ。
「そんなこと言うなら佐藤はどうなんだよ」
「俺か、小学校のときはサッカー選手だったな」
「へえ、サッカーやってたのか?」
「いや、やってない」
「⋯⋯は?」
「やってなかったけど、テレビで見て憧れた」
「なんだよそれ、アホなガキじゃん。今も佐藤はアホだけれど」
一ノ瀬にアホ呼ばわりされたことはムカつくが、言い返せないほど自分でもアホではあると思う。アイドルに憧れて、ダンス練習して、歌は今一つだけれど、それでも夢に向かって邁進している榛名ちゃんってやっぱりすごかったんだな。おう、反省しろよ。鼻垂らしたクソガキの佐藤。
「中高生の時はどうだった?」
「あー、笑わない⋯⋯?」
珍しく一ノ瀬が言い淀んだ。視線を泳がせ、いつもの胡散臭いスマイルが苦笑いになっている。人の夢を笑うかって? そんなのわかりきっていることだろ。
「いや、無理。めっちゃ笑う。そもそもが俺、酒飲んだら笑い上戸だし」
「だよなぁ。お前は人の心とか理解できないバケモノだもんな。端から期待はしていないよ。むしろこうなったら盛大に笑い飛ばしてくれよ」
「おうおう、ネタフリが丁寧だな。どんな抱腹絶倒の話が出てくるか楽しみだよ」
はあ、と騒々しい店内でも響くほどのため息を一ノ瀬は吐き出した。おいおい、そんなんじゃ幸せが逃げていくどころか吹き飛ばされるぞ。
酔いが足りないと判断したのか、レモンサワーを追加で頼む。お前は酒が強くないんだからあんまり飲むんじゃないぞ。俺の介抱役がいなくなってしまうだろ。そんな俺の思惑とは裏腹に、ぐびりと酒をあおってから口を開き始めた。
「えっとな、俺は昔歌手、というかバンドのボーカルをやってたんだよ。自慢じゃないけれど歌には自信があってさ。なんならそれで食っていけたらいいな、なんて思っていたことがあるくらいには」
「それがどうしてこんなうだつの上がらないサラリーマンになっているんだ?」
「うーん、バンドを脱退させられた。理由は女性トラブル、というか学生だからな。恋愛トラブルの果てだよ」
「あー、大体わかった。いつも通り誰かの彼女寝取ったのか」
「いつもではないし、寝てもいない。まあ、ライブに来た楽器隊の彼女が俺に惚れてって流れだな。よくある流れだよ」
「そうだな、Last Winterもそれでキャメロンが脱退しているもんな」
「知らないよ。どちらさんだよ」
知らないのか、無知なやつめ。まあ、俺も昔にそのCDのジャケットを見て衝動的に買ったことで知ったバンドだしな。知名度はほとんどないと言って差し支えないだろう。
それはさておきバンドのボーカル⋯⋯ねえ。一ノ瀬のくせに立派な夢があって正直に言ってしまえば羨ましい。笑うどころではない焦燥感を感じた。まあ、昔のことだし、今は同じところまで堕ちているのだから関係ないか。
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