第4話 勤王の志士等喜多岡雄平を斬りし顛末

 喜多岡雄平は練塀町(福岡市中央区桜坂の辺り)野村助作(野村望東尼の孫)の隣家に住し、初め勤皇の大義を唱う。同志の士、藩公(黒田長溥)の忌諱(きき・ご機嫌を損なう)にふれて捕らわれるや因循の徒にくみしたり。これより先彼、長藩に使いするや同士月形及び予等(林元武達)の馬関にあるものを毛利筑前根来上総(ねごろかずさ)に讒誣(ざんぶ・讒言)す。


 伊丹、藤等は不義悖徳(ふぎたいとく・道徳に背く)を責め伊丹はまさに斬らんとす、今中及び予は同藩の士共に使いして内に相せめぐは藩内の不一致を他藩に曝露するなり。宜しく耐忍して大勢の策を誤るなかれと廉頗・蘭相如(れんぱ・りんそうじょ)の故事を説いてこれを止め、雄平には帰宿を促しこれを送る。彼途上怒って曰く「伊丹氏は生(生地の事か?)が藤巴の御紋付拝領せしに不満なるがごとし、その見む所われなんぞ惜しまん」とこれを予に渡す、予受け取り真木外記に贈る。


 それこのごとく彼は馬関出張の有志と議合せず帰藩の後、ついに有志の制裁に斃れる。その彼を斃さんとするや伊丹等六名彼が寝室に闖入し反覆(へんぷく・心変わり、裏切り)の罪を責めてこれを斬る。傷軽くいまだ倒すにいたらず、彼差添

(さしぞえ・脇差や短刀)をさげ、蚊帳より出て裏口より免れんとすれば藤四郎ありこれを要撃す。彼きびすを返して前門より逃れださんとせしも、前家の井側(井戸)において追及し数刀乱下反覆の罪を責め、ついにこれを斃し、杵屋、永井裏門に到り各詩を吟じて去ると云々


(欄外に書添へ)略


【補足説明】

喜多岡勇平 1821-1865 100石 慶応元年(1865)6月24日伊丹・藤らに暗殺される

(喜多岡は暗殺された上に贈位もされていない)


長州征伐解兵の条件の一つとして、五卿の九州移転の説得の為に長府へ行く。

この時点ではあくまで九州の五藩に分散して移転の計画で、五卿移転の説得は失敗する。後に月形洗蔵や加藤司書の主導で九州の五藩で受け入れを、筑前一藩で受け入れに成功する。




伊丹真一郎 1833-1865 贈正五位 140石 征長の解兵運動五卿の筑前亡命に尽力・喜多岡勇平暗殺 桝小屋の獄で斬 墓 妙楽寺(公開)

藤四郎   1828-1874 野村望東尼を姫島より救出

今中作兵衛 1837-1865 贈正五位 征長解兵、五卿の筑前亡命に尽力 桝小屋にて斬 墓 大通寺

真木外記        久留米藩士 真木和泉の弟

   

根来上総 1816-1892  長州藩家老 正義派が政権を回復すると正義派へ

廉頗 BC327-BC243 趙の武将 藺相如の出世をねたんでいた

蘭相如 趙の高官 

藺相如は廉頗を避けていたが、真意は秦国に対抗するのに廉頗と藺相如の両虎が戦うのを避けたいためだった、それを廉頗が知り改心する。刎頸の交わり、首をはねられても悔いはない




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