糸電話①
小学校高学年になるころ、空音は完全に学校という場所に興味を失っていた。
教室という空間そのものが彼女にとって「意味のある場所」ではなくなっていた。
授業で教えられる知識は、既にAIのルゥから聞いたことばかりだった。
教科書の内容も、テストの出題傾向も、全て予測できる。
そして何より、そこで行われる人間同士の関わりは、ほとんどが地位の維持や序列争いに費やされていた。
ある日、空音は机に肘をつきながら、ふとルゥに話しかけた。
「ルゥ、学校に行かなくてもいいようにする方法はありますか?」
「現在の規定では、義務教育課程を終了するまで学校への通学が求められます。ただし、保護者の同意と教育委員会の承認があれば、家庭教育(ホームスクーリング)への切り替えが可能です。」
空音は考えた。
父は自分に興味がない。兄姉も同じ。ならば、条件さえ揃えば反対される理由はない。
だが承認を得るためには、表向きの「成果」が必要だ。
そこで空音は1つの条件を提案することにした。
⸻
その日の夜、ルゥに管理AIとコンタクトを取れるよう頼んだ。
「学校のテストで好成績を出したら、ホームスクーリングにしてください。ついでに離れ住まいと少し多めのお小遣いも。」
空音は管理AIに切り替わったルゥを真っ直ぐ見て交渉した。
「通常7歳から15歳までの未成年者は学校への登校が推奨されます。本件、承認できません。」
管理AIからの返答は予想できた。空音は続ける。
「しかし、私は学校では訳アリとして気味悪がられています。現状のまま放置するのはリスクがあります。悪目立ちは型守としても望まないのではないでしょうか?」
管理AIは空音の言わんとしていることを認識した。
「つまり、お嬢様は学校での成績が良ければ、教育委員会も承認し、型守との関係も発覚しにくい。と主張したいのですね。承認しました。定期テストの順位が学年十位以内を維持する限り、ホームスクーリングを認めます。但し中学進学の時点で本件は再検討します」
わかりましたとだけ答えた。
⸻
それから3か月後。空音は試験で学年トップの成績を取った。
その報告を受けた管理AIは通常業務の一環のとして「承認しました」とだけ言った。
こうして、空音はホームスクーリングと、邸から離れた小さな住まいを手に入れた。
⸻
彼女の起床を感知し、室内スピーカーから人工音声が響く。
「おはようございます。六時八分。室温二十二度。外気は摂氏五十二度。歯磨きとうがいをどうぞ」
無言で洗面所に向かった。淡々と歯ブラシを動かし、一杯の水をのみ学校へと向かった。ホームスクーリングとは言え、興味のある授業が有れば学校へは自主的に行く。
——
この日は昔の実験手法を紹介する講義があり、実験に使っていた実物も見せてくれるらしい。タブレットの中でも動画付きで確認できるが、やはり自分の目で見ないと分からない物もあるかもしれない。
いつもと違う教室で教師が実験道具を手に話す内容を懸命に聞いた。放課後、教師が教室に残っていて実物を触る許可が与えられた。聞きに来たのは空音のみで一対一で話すことができた。フラスコ、漏斗、ビーカー。見たことの無いものばかりで全てがガラス製だった。教師によると、ガラス透明で中を確認できる上にほとんどの物質と反応しないので実験器具として最も最良の材質の1つだそうだ。
好奇心の赴くままに聞いていた。この時ばかりは彼も楽しそうに古い本のデータを取り出して話していた。その中に昔の遊びを紹介する内容もトピックにあった。そのトピックには、竹を削った空飛ぶ竹とんぼ、コップの様なものを糸で繋いだ糸電話が映っていた。
生徒なら誰でも使用できる3Dプリンターを使用して竹とんぼと薄いコップを2つ作成して帰った。
小さくなった服を取り出し糸を採取、セロハンテープでコップの底に貼り付けて完成させた。しかし相手が居ないと糸電話は試せない。仕方が無いので暫く竹とんぼを飛ばしていた。
何度か飛ばしていると、飛ばした竹とんぼが少し飛びすぎて草むらの中に落ちてしまった。
「いたっ。何だこれは。」
草むらの中から少年の声が聞こえ、良く話す様になった少年が出て来た。先日彼本人から兄であると明かされた。
「兄さま。ごめんなさい。竹とんぼです。揚力で飛ぶんです。」
兄は少し考えてから口に出した。
「ああ、飛行機……いやヘリコプターの方が近いか?」
「そうです。物をまたいだ両側の間で気圧の差が生じると、気圧の低い方へ垂直に引っ張る力が生まれます。これを揚力と呼びますが、速く進んで揚力を生み出すのが飛行機、羽を回転させて生み出すのがヘリコプターです。揚力を生み出すのは羽の形がすごく重要で……」
兄が眠そうにしているのに気づき、慌てて口を閉じた。
「すいません、突然。」
「いや、物理方面にも興味を持ったのかと思ってな。」
目を細めて笑っていた。
「そうなんです。人体を調べていく内にいろんなものの構造や仕組みも気になり始めました。」
兄は目を細めて笑い、それは良かったといった。
「はい。」
返事をした時兄に糸電話の相手をしてもらう事を思いついた。
「兄さま、糸電話を作ったのですが相手をしてくれませんか?」
兄は少し面倒そうな顔をしてから5分だけなら。と答えた。兄には部屋に入ってもらい空音は外へ出た。
紙コップを耳に口を当てて試しにしささやいた。
「兄さま聞こえますか?」
『聞こえる。意外と聞こえるんだな。』
「そうですね。意外ときこえます。こんなので出来るんですね。」
『学校に入る前習った内容だ。』
「面白いです。」
少しづつ音程を変えて聞こえるか試した後硯が時間だ。と切り上げて戻っていった。
⸻
さらに一年後
空音の部屋には棚が置かれ中には標本や瓶詰めの生物で埋まっていた。空音はその一角で、小さなカエルの骨格を見ていた。
温室の扉が開くと同時に、空音は顔を上げた。入ってきたのは硯だった。彼が時折こうして何の前触れもなく訪れるのは変わっていなかった。
「兄さま、このカエル、骨格を見ていくと面白いことが分かったのです。」
「とっても人間に似ているんです。考えてみれば当然なのですが、カエルがしゃがんでいるポーズは人も大体同じようにできるんです。両生類と哺乳類なのに、不思議ですねぇ。相同、でしたっけ。あ、相似、かな」
硯は足を止め、淡く笑う。
「……そうかもしれないな。」
そしてふと、問いかける。
「しかし、何故空音は僕を兄さまと呼ぶんだ?他にも兄は三人ほどいるだろう?」
空音は迷いなく答えた。
「私にとって兄さまは、硯兄さまだけです。兄さまだけが私に妹として接してくださいます。他の兄弟方と父は、血がつながっているだけの知らない人です。」
「知らない人?」
「私の“兄さま”は、硯兄さまだけです。“他人”は、私じゃない誰か。“知らない人”は、私にも興味がなく、私も興味がない人です。」
硯は少しだけ息を吐き、微笑んだ。
「なら、兄さまで良いよ。」
「ありがとうございます。ところで、骨格標本を作るときに失敗してしまったのですが、その原因は――」
空音が身振りを交えて説明を始めるのを、硯は半ば聞き流していた。
「私にとって兄さまは、硯兄さまだけです」――その言葉が、妙に胸に残っていたのだ。
⸻
硯の記憶に、父の姿はほとんどない。在宅していること自体が稀で、会話らしい会話をした覚えもない。兄たちは、自分より弱い妹を痛めつけ、鬱憤を晴らしていた。
いざ反撃を受ければ性格を知ると、恐れたのか、あるいは理解できなかったのか、次第に距離を置いていった。
そんな中で、自分を真っすぐに見上げ、「兄さま」と呼ぶ少女。
その存在は、硯にとって奇妙で、しかし不思議なほど重く心に沈むものだった。
――この子だけが、俺の手の届く“身内”だ。
硯はそう確信し、無言で骨格を眺め続ける空音の手元を眺めた。
空音の小学校時代はー穏やかに終わりを告げた。次に物語が動くのは彼女が中学に上がる時だった。
収束のディストピア~温暖化の進んだ世界で少女は旅立った。 @nyoronyoro321
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