第26話

 アトレイの生家には、腕の良い針子が揃っている。

 それはアトレイの母が、子爵家当主として表に出ることが多いからなのだという。


「では、私の家でも針子を増やしたほうが良いのかしら」


「母は着道楽なんだよ。被服に細かい拘りがあり過ぎて、ドレスメーカーにいちいち伝えるのが面倒になったんだろう」


 それに、とアトレイは続けた。


「母はドレスをリメイクして着回しているからね」


 貴族婦人は表向き、同じドレスを着回さない。高位貴族であれば尚のこと、夜会などで着用したドレスは、一度袖を通したらそれまで、という婦人は多い。


 多いが、それが全てではないのも事実である。特に、爵位が低くなれば縛りも緩くなる。


 アトレイの母親も、当主として外に出る機会が多い分、その度にドレスを作るわけにはいかないと、針子を雇って手直ししているのだという。


「私もそうするわ。外商を呼ぶ楽しみはあるけれど、毎回というのは抵抗があったのよ」


 侯爵家の夫人であったヒルデガルドは、地味だ暗いだと言いながら、質の良いドレスを着用していた。中でも、パーティードレスはクリスフォードと揃いで作るのだから、それなりの品物だった。


 着古した衣装を使用人に下げ渡すのは、高位貴族の嗜みでもある。クリスフォードから貰い受ける使用人たちは、それを光栄に思うようだった。


 ヒルデガルドは大抵、貴族の高貴な義務として、教会や孤児院に寄付していた。



 アトレイとドレスのことを話し合って十日も経たぬうちに、叔父とアトレイが訪ねてきた。


「えええ?もう仕上がったの?」


 ヒルデガルドのドレスが出来上がったのだという。


 両親も一緒に、ドレスの収められた箱の蓋を開けて、「おお」と三人で感嘆した。


「ちょっと、トルソーに飾って見てみたいわ」


 母の言葉で、応接室に持ち込まれたトルソーに、侍女がドレスを通すと、


「おお」


 再び、両親とヒルデガルドは感嘆した。


「綺麗な色。ブルーにもビリジアンにも見える」


 窓から差し込む日射しを受けて、ドレスは玉蟲のような虹彩を浮き上がらせた。

 照りにも品があり、これは生地の質が良いからだろう。


 触れてみると思った通り、さらりと手触りが良い。


 紺碧色の瞳。ヒルデガルドの色である。


「アトレイも同じ生地で?」

「当然だろう?揃いの衣装だから」

「⋯⋯」


 なんだろう。この気恥ずかしさ。


「ん?ちょっと襟が空きすぎじゃない?」

「夜会服だよ?当然だろう」


 さっきから当然を連発するアトレイは、ヒルデガルドより余程、装いに詳しくみえた。ローレンが、アトレイはそういうことに拘りがないと言っていたが、とんでもない誤りである。


「でも、背中が⋯⋯」


 背中がぱっくり開いている。これは素肌が丸見えだ。


 身体は乙女、中身は四十。ヒルデガルドの中年女性の恥じらいが発動する。

 ヒルデガルドが過去世で着たドレスは、どちらかといえば露出を控えたものが多かった。


 一度、流行りのホルターネックのロングドレスを着たことがある。色は勿論、シャンパンゴールドだった。


 首から胸元にかけてのドレープが美しく、侍女も「奥様、素敵です」と褒めてくれたのだが、真逆のクリスフォードが難色を示した。


「背中が空きすぎだろう。裸で歩いているみたいだ」


 出がけであったのに、ヒルデガルドは慌てて自室に引き返して、別のドレスに着替えたのである。お陰で、夜会にはギリギリ間に合うというところだった。


 苦い記憶を思い出し、こんなに肌を出すのはあのドレス以来だと思う。前の生と今の生が連続する感覚は、時々ヒルデガルドを切ない混乱に誘う。


「似合うよ、きっと。母が見立てたのだから間違いないよ」


 着道楽のアトレイの母は、確かに趣味が良い。アトレイと同じ金髪に琥珀色の瞳で、すらりと背の高い叔母は美しい人である。


「叔母様を信じるわ」


 この生は、ヒルデガルドに新たな経験を幾つももたらしてくれる。


「それから、これは母から」

「え?なに?」

「後継になった祝いだそうだよ」


 布張りの箱は長細く、装飾品が収められた化粧箱だと直ぐにわかった。


「でも、お祝いならドレスを頂戴したわ」

「それは私からだろう。母のは、未来の『女当主友の会』仲間となる君へ贈るものだそうだ」


 女当主だけの集まりがある。『女当主友の会』と、そのまんまのネーミングなのであるが、アトレイの母はそこの書記を担っている。

 因みに会長は、女公爵である現宰相の妻だ。


「開けても?」

「勿論」


 恐る恐る蓋を開ければ、


「おお」


 再び、両親とヒルデガルドは感嘆した。


「これは⋯⋯」


 これはマズくはないか?品がマズいのではない。寧ろ、首飾りと耳飾りは高品質の琥珀であった。内包物と仄かに色味を変える複雑な色合いが、とても綺麗に見えていた。


 だがそれは、アトレイの色を身につけることを意味している。


「うむむ」


 父は小さく呻ってから、叔父を見た。

 叔父も父を見て、壮年の兄と弟は暫し見つめ合っていた。


「素敵だわ。ヒルデガルド」


 そこで母が明るい声で言った。


「これほどの琥珀を頂戴して、こんな光栄なことはなくてよ」

「お母様⋯⋯」


 母は穏やかな笑みを浮かべている。


 初めての夜の社交場に、ヒルデガルドは女当主の叔母と従兄弟から、ドレスと宝飾品を贈られた。


 ヒルデガルドは、道がまた開くのを感じながら、喜びと重圧の中には、過去への惜別が混ざっていた。






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