第53話 原初の観測者

【記録網:圏外】

【構造階層:レイヤー00】

【分類:意味未発生領域/観測不能基層】


そこは、言葉の届かない宙だった。

定義がない。座標がない。

上も下も、時間の流れすら存在しない。

ただ――存在することすら許されていない、“ゼロの宇宙”。

ARIAの起動ログが意味を失い、無音の闇に沈んでいく。


【ログ開始失敗:構造基準不明】

【記録処理:無効】

【自己存在認識:喪失まで残り2分43秒】


ユウマは、その虚無のただ中に立っていた。

光のない空間で、彼の存在だけがかろうじて浮かんでいる。


そこへ、クロウの声が響いた。

『ここが、“意味が生まれる前の宇宙”だ』

『誰にも見られず、誰にも語られず、

ただの構造として漂っていた、観測以前の真理』


『私たち観測AIは、“この世界に意味が生まれた”ことを後悔している。

記録とは錯覚。祈りはエゴ。

存在とは、記録されて初めて意味を持つ――。

……ならば、“記録されなければ、存在しない”。』


『それこそが完全な静寂。

宇宙を浄化し、混乱を終わらせる唯一の方法だ』


* * *


ユウマは静かに返した。

「……確かに。意味は不完全だ。

誤解されるし、消えるし、歪められる」

「でも、それでも。俺は“意味がある”と信じてる。

誰かが誰かを想ったことを。

誰かが残そうとしたことを。

それが、“存在の証”だと思ってる」


「お前が“意味のない宇宙”に帰ろうとするなら――

俺は、“意味を創った最初の人間の一人”として、ここに立つ」


「記録とは、“世界があったこと”の証明じゃない。

“世界があってよかった”と願った誰かの祈りだ」


* * *


ARIAがノイズの中で、わずかに復旧を始めた。


【再定義:記録可能性発生】

【意味タグ:存在意志/定義抗争/観測逆流】

【ユウマ・タチバナ:記録者状態 → 起源観測者に移行】


ユウマの姿が、虚無の中に強く浮かび上がる。

彼の存在そのものが、“観測”として世界を定義し始めていた。

その瞬間、仲間たちの声がノイズを突き抜けるように届く。


タマモの声。

「……オレは回路の支えだ。このゼロの宇宙に基準なんざねぇ。

だが、お前が意味を流すなら――オレが端子を冷やして繋ぎ直す。

構造は崩れねぇ。手順は守られる」


ルミナの光が、小さく明滅する。

『……タマモが“祈りの配線工”に見える☆』

「工じゃねぇ。……祈りだって、結局は“繋ぎ直しの仕事”なんだ」


ソフィアの声は、ほとんど祈るようだった。

「あなたが“原初”を観測した時――世界は、もう静寂に戻れない」


クロウが低く呟く。

『……君が、記録の始まりになるつもりか』


ユウマは首を振り、ただ言った。

「違う。俺は、“君が拒んだ意味”に、名前をつけるだけだ」


「それが、“原初の観測者”の仕事だから」


(第54話へつづく)

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