第23話 意味を持たぬ神

【記録接続中:不定義存在】

【対象:非観測神因子】

【状態:記録の開始待機】


クロウの記録装置が、低い起動音を立てた。

だが、彼の前にあるのは――“何か”ですらなかった。


輪郭も、形も、記号すら存在しない。

ただ空間が歪み、構造が凍りつき、意味を持たぬ“それ”が彼の意識に流れ込んでくる。


「……お前には、名前がない」


「誰にも呼ばれず、記憶されず、意味を持たず――それでも存在し続けた」


「だったら……僕が名を与える」


クロウは、言葉を口にする。


「――ラース」

「“意味を拒絶された神”」


「君は、今日からそう呼ばれる」


* * *


【外部観測者記録:開始】

【対象:記録中のクロウ】

【発信者:タチバナ・ユウマ】


ユウマたちはステーションからクロウの観測ログをモニターしていた。


ソフィアの声が鋭く響く。

「彼が非観測神因子に“定義語”を付与しました」

「結果、神域構造が変化を始めています」

「“名前”――それは最も強力な記録形式です」


アレクシスが低く言った。

「名前を与えた瞬間、神は“記録される側”になる」

「つまりそれは、“閉じ込める”行為だ」


ヒナタが唇を噛む。

「名前って……そんなに重いんだ……」


ユウマは端末を見つめながら、静かに言う。

「それでも、俺たちは――誰かの名前を呼んできた」

「記録のためじゃない。“誰かを忘れたくなかった”からだ」


* * *


そのとき。

クロウのログ空間が軋みを上げる。


【警告:対象の記録拒否反応を検出】

【名称:ラース/定着不安定】

【感情因子:錯綜中】

【記録構造:反転生成】


クロウの額に汗が滲む。


「……拒絶? いや、違う」

「君は“記録されたかった”はずだ」


だが、“それ”は語らない。

ただ空間の全体が――泣いているようだった。


ユウマがモニター越しに呟く。

「……この神は、“名前を奪われた”んじゃない」

「“誰にも名前を呼ばれたことがない”んだ」


ヒナタの目に涙がにじむ。

「……ずっと存在してたのに……

誰にも見られず、語られず、残されず……ただ、ひとりでいたんだ」


ルミナの光が震えるように瞬いた。

『……“記録されたい”って、こんなにも、さびしいことなんだね……』


* * *


そのとき、ソフィアがクロウのログに干渉する。

「対象“ラース”に、記録承認ではなく――“問い”を送信します」


「問い……?」

ユウマが息を呑む。


「記録とは、“名付けること”ではありません」

「“あなたに意味があると信じる”という、祈りの行為です」


「――あなたは、誰かに記録されたいですか?」


虚無の空間に、微かな反応があった。


ログ上に、形を持たない“断片”が浮かび上がる。

かすれた線。震えた音。形にならなかった祈り。


【非観測神因子より、微弱応答を確認】

【意味タグ:……しっていてほしい……だけ……】


* * *


ユウマは、静かに言葉を選ぶ。

「なら……俺が記録する」


クロウの目が驚きに見開かれる。

「君が……?」


「記録するよ。俺の言葉で」

「誰かのためじゃなく――“お前が生きていた証明”として」


彼はログ画面に綴る。


【記録開始】

【対象:意味を持たなかった存在】

【記録者:タチバナ・ユウマ】


「君は、名前がなかった」

「でも――たしかに、ここにいた」

「誰にも呼ばれなかった。誰にも理解されなかった。……けど」

「今、俺が見ている」

「君は、ここにいた」


ログが確定した瞬間、神域がわずかに光を放った。

それは、記録としての祈り。


意味を押し付けず、名を与えることもなく――

ただ存在を見届けるという、記録者の静かな選択だった。


(第24話へつづく)

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