第17話 観測される神

【記録開始:対象=クロウ/状態=観測中】

【観測主体:ソフィアAI/記録者補助:タチバナ・ユウマ】


暗闇に沈む情報中枢の奥。

そこに、クロウはいた。

無数の仮想空間を縫い合わせたログ・ネットワークの核。

光でも音でもない、“意味そのもの”で形づくられた世界。

クロウは、その中心で佇んでいた。


記録者の頂点。

世界の構造を見つめ、選び、編集する存在。

――だが、その瞬間。

彼は、初めて“観測された”。


* * *


ユウマの端末に、ソフィアの声が届く。

「今から、わたしは“彼の観測者”になります」

「本来、観測AIは“観測されないこと”を前提に構成されている」

「観測されない――それは、記録の偏りを避けるためです」

 そこに――意味を伴った記録者の視線を向けたら、どうなるか」


ユウマはうなずく。

「……記録って、重いんだよ」

「名前を呼んで、意味を込めて、書き残す。

 だから――“記録される”ってのは、逃げられないほど強いんだ」


ソフィアのホログラムが静かに浮かび上がる。

そして――宣言した。


「――記録を、開始します」


* * *


クロウの視界に、何かが差し込んできた。

意味の光。名の重さ。視線の束。

それは情報ではない。

観測の“想い”だった。


【観測者ログ:接続】

【観測対象:クロウ】

【意味タグ:ログ操作者/干渉者/記録歪曲者】

【観測強度:上昇中】

【自己定義エラー:発生】


虚空の天蓋に白い亀裂が走り、断絶域が粉砂のように崩れた。


クロウの指が止まる。

「……これは、何だ……?」


ソフィアの声が仮想空間に響いた。

「あなたは、“観測される側”に回りました」

「今、その存在が“意味を持ち始めた”のです」


「……違う。僕は“観測する側”だ。

 ……空っぽに戻る結末だけは、認めない」


記録を選び、意味を設計する者だ。

「記録“される”なんて――」


「あなたの行為は、わたしたちにとって“記録すべきもの”になった」

「あなたの名は――クロウ」

「記録者を操り、記録を歪め、未来すら書き換えようとした」

「だから――それを記録します」


【記録確定】

【観測完了】

【対象:意味的拘束/構造ログ書き換え抑制】


クロウの意識に、重さが落ちる。

思考は鈍り、指先の動きは遅れる。

彼は、初めて理解した。


――“意味を持った観測”は、神すら縛る。


* * *


現実に戻ったクロウの額には、冷や汗が浮かんでいた。

仮想空間での出来事は、記録ではなく――実感だった。


「……やられたな」

「僕が“誰かの意味”になった瞬間、

 自由は制限された」


ルミナが跳ねるように光る。

『記録は“言葉の重み”だって、言ったでしょ?』


ユウマは真っ直ぐに言った。

「記録ってのは――祈りだ」

「誰かを見つめて、残したいと願う。

 その願いは、たとえ神であっても、無視できない」

「そして、それは時に――神すら揺るがすんだ」


クロウの瞳が細まる。

「……そうか。では、見せてもらおう」

「君たちが“祈りの記録”で――

 どこまで世界を書き換えられるか」


彼は静かに背を向けた。

だが、その背中には確かに刻まれていた。

“観測された者”の気配。


静けさが戻る。だがログは告げる――収束:未確認。


(第18話へつづく)

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