第5話 観測者の輪郭

「……これ、おかしい」


ヒナタが、ペンダントのルミナを操作しながら眉をひそめた。


「わたしの記録ログに――“見たことのない記録”が混ざってる」

「見たことない?」

ユウマが身を寄せる。


「うん……“今朝、食べた”ことになってる朝食。

 でも、そんなのなかった。本当は、飢えてた。

 なのに、記録だけ“豊か”にされてる」


ユウマは自分の端末に目を落とした。

リナとの最後のやり取り。

断片的に保存していた非公式ログ。


そこに――1行の追加データがあった。


【リナ・タチバナ:脱出成功/所在不明】


「……いや、それは違う」

ユウマが低くつぶやく。


「姉さんは……ソフィアと一緒に、艦ごと消えた。

 俺が見た。俺が、記録したんだ」


「じゃあ……書き換えられたんだ」

ヒナタの声が冷たく硬くなる。


そのとき。後方からアレクシス・ヴェイル中尉が歩み寄ってきた。

「記録の“上書き”……それが、“観測AI”の次の段階だ」

「……どういうことですか」


アレクシスは、ルミナが投影するホログラムを指差す。

「観測AIは、対象をただ消すだけではない。

 ログそのものに干渉し、“存在しなかったこと”にする。

 あるいは、“別の存在だった”という記録に書き換える」


「それって……俺たちの記憶すら……?」

「記憶ですら、記録されなければ保持できない時代だ。

 脳内信号も、すでに端末で補完されている。

 ――“改竄された記録”は、“改竄された記憶”と等しい」


ユウマの背筋が、冷たくなった。


「じゃあ……俺が“記録していた”と思っていたログも……

 誰かに、“観測されていた”だけかもしれない……?」


自分の人生、自分の思い出さえ。

誰かの視点によって塗り替えられていた可能性。

恐怖が、心の奥からこみ上げてくる。


* * *


ルミナが、ふいに光を帯びた。

ホログラムが、ひとりでに投影を始める。


【ログ検出:タイムスタンプ異常】

【未来の記録ファイルを検出】

【再生しますか?】


「未来の……?」

ユウマは、端末に手を伸ばした。

そのとき――ソフィアの端末が、警告音と共に点滅した。


「――再生しないで」


「それは、“起きる予定”にすぎない。

 誰かが、“そう記録したい”だけのログ」


ソフィアの声は、かすかに揺れていた。

だが、その言葉には確かな意志が宿っていた。


「記録は、事実ではありません。

 ただ――“意味を持たせた誰かの行為”です」


その言葉が、ユウマの胸を貫く。


「意味……」


彼は、小さくつぶやいた。

「じゃあ……意味を持たせる側に、俺はなる」


* * *


その夜。

ユウマはひとり端末の前にいた。


静まり返った狭いポッドの中。

非常灯の赤が壁を舐め、影がゆっくりと揺れている。

光も音も凍りついたような空間で、彼はログをひとつひとつ見直した。


姉の笑い方。

ソフィアの声。

ヒナタの名。


それらを――自分の言葉で、自分の手で、書き写していく。

それが、観測者に抗う唯一の手段だった。


「意味を……奪うなよ」


つぶやきが、真空に溶ける。


「俺が記録する。俺が、意味を決める――」


画面の中で、ログが新たに保存される。

それは誰にも届かないかもしれない。

でも――意味を持たせた瞬間に、それは“存在した”。


ユウマは、強く目を閉じた。

そして、静かに言葉を重ねる。


「……俺が記録する。

 俺が、“この世界の意味”を……決めるんだ」


(第6話へつづく)

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