第39話 引き分けという名の勝利、失脚する支配者
地鳴りのような大歓声が、リングを包み込んでいた。だが、当事者である二人の戦士には、その声は届いていない。
“紅蓮の”ヒルデガルドは、自らの割れた兜に触れたまま、呆然と立ち尽くしていた。生まれてこの方、これほどの屈辱を受けたことはなかった。最強であるはずの自分が、見下していたはずの「男」に、有効打を許した。その事実が、彼女のプライドを、粉々に打ち砕いていた。
対するレオンもまた、満身創痍だった。渾身のカウンターを放った代償として、彼の体力は、もはや限界に達している。槍を支えに立っているのが、やっとだった。
この異常事態に、最も早く対応したのは、決闘を司る神官の老婆だった。彼女は、ゆっくりとリングの中央へと進み出ると、二人の間に立ち、その枯れた、しかし、よく通る声で、宣言した。
「…これまでのようですね」
その声に、ヒルデガルドは、はっと我に返った。
「何を言うか! 勝負は、まだ…!」
「いいえ」
神官は、ヒルデガルドの言葉を、静かに、しかし、きっぱりと遮った。
「ヒルデガルドよ。あなたの剣に、もはや冷静さはありません。あるのは、怒りと、屈辱だけ。そのような剣は、神の御前で振るうに値しません」
そして、彼女はレオンの方へと向き直った。
「そして、若者よ。あなたの魂は、確かに、我々の心を揺さぶりました。ですが、あなたの肉体は、もはや限界。これ以上戦うことは、神が望むところではないでしょう」
神官は、天を仰ぎ、高らかに告げた。
「神は、どちらか一方に、完全な勝利を与えることを望まれませんでした! よって、この神前決闘、これにて『引き分け』とします!」
結果は、引き分けだった 。
その言葉が、広場に響き渡った瞬間、観衆の興奮は、頂点に達した。
引き分け。それは、事実上、レオンの、そして、ジョウイチたちの、完全な勝利を意味していた。
最強の騎士ヒルデガルドと、ただの村の男が、互角以上に渡り合ったのだ 。その事実は、この村の歴史を、いや、この世界の常識を、根底から覆す、あまりにも大きな衝撃となって、村人たちの胸を打った 。
「うおおおおおおっ!」
「レオン! よくやった!」
「男の誇りだ!」
村人たちが、リングになだれ込み、ボロボロになったレオンを、その肩に担ぎ上げた。彼は、もはや、村の笑い者ではない。理不尽な権力に、たった一人で立ち向かい、奇跡を起こした、紛れもない英雄だった。
その、熱狂の輪から、ただ一人、取り残された場所があった。
代官ロザリアの、席だった。
彼女は、血の気の引いた顔で、自分の計画が、最悪の形で破綻した様を、ただ見つめていた。
見せしめのための決闘は、逆に、男たちの価値を、最大限に証明する舞台となってしまった。村人たちの信頼は、完全に、自分から離れ、あの男たちへと移った。自分の絶対的な権威の象-徴であったはずの、最強の騎士は、その威信に、大きな傷をつけられた。
ロザリアは、完全に失脚したのだ 。
「…何を、しているのですか! 衛兵!」
彼女は、最後の権威を振り絞り、叫んだ。
「あの者たちは、罪人です! 今すぐ、全員捕らえなさい!」
だが、その命令に、動く衛兵は、一人もいなかった。彼女たちが仕えるべき村人たちが、今や、全員、レオンたちの側についている。この状況で、民衆を敵に回すことの愚かさを、彼女たちも、理解していた。
その、衛兵たちの無言の反逆に、ロザリアは、全てを悟った。自分の居場所は、もはや、この村にはない。
彼女は、誰にも見られることなく、静かに席を立つと、まるで亡霊のように、その場から、姿を消した。圧政を敷いた支配者が、その権威の座から、完全に引きずり下ろされた瞬間だった。
歓声の中心で、天高く担ぎ上げられたレオンは、必死に、ある人物の姿を探していた。
人々の輪の外で、腕を組み、静かに自分を見つめている、師の姿を。
ジョウイチは、レオンと目が合うと、ただ、一言も言わずに、深く、そして満足げに、頷いてみせた。
その、無言の承認が、レオンにとっては、村人たちからの、どんな称賛の言葉よりも、心に響いた。
彼は、仲間の想いを背負い、師の教えを胸に、確かに、戦い抜いたのだ。
その夜、村では、本当の意味での、勝利の宴が、夜が明けるまで、盛大に続けられたのだった。
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