第26話 変わる視線、砕ける常識
代官ロザリアの狙い通り、西の崖道での強制労働は、村の一大見世物となっていた。
作業が始まって数日、村の女性たちは、興味本位で、あるいは日頃の鬱憤晴らしの娯楽として、崖道を遠巻きに眺めにやって来ていた。彼女たちが期待していたのは、もちろん、男たちの無様で、情けない姿だった。泥にまみれて泣き言を言い、危険な作業に怯え、やがて仲間割れを起こして、代官様に許しを乞う。自分たちが信じてきた「男のか弱さ」を再確認し、優越感に浸るための、格好の娯楽のはずだった。
最初のうち、彼女たちの期待は満たされているように見えた。男たちは、確かに泥と汗にまみれていた。だが、日が経つにつれて、見物に来る女性たちの表情から、嘲笑の色が少しずつ消えていく。
「…ねえ、あいつら、なんだかおかしくない?」
見物に来ていた女性の一人が、隣の友人に囁いた。
「おかしいって、何が?」
「だって…全然、へこたれてないじゃないの。それどころか、日に日に動きが良くなってる…」
彼女たちの目に映っていたのは、予想とは全く違う光景だった。
そこにいるのは、罰に喘ぐ囚人ではなかった。統率の取れた、プロフェッショナルな専門家集団にも似た、異様な活気に満ちた男たちの姿だった。
誰一人として、文句を言っている者がいない。代わりに響き渡るのは、互いのタイミングを合わせるための、力強い掛け声。重い岩を持ち上げる際の、魂を解放するような雄叫び。そして、その全てを統率する、あの巨大な男の、雷鳴のようなコーチングの声。
彼らの動きには、無駄がなかった。鍛え上げられた肉体を駆使し、驚異的な速度で、着実に、あの絶望的だった岩山を切り崩していく。その常人離れした仕事ぶりは、もはや見世物というより、一つのスペクタクルだった。
「見て、あのレオンって子…前は、風が吹けば飛ぶような子だったのに…」
「本当だわ…腕の筋肉、すごいことになってる…」
「あの大男ゴードンも、最初は崖の縁に近づけなかったのに、今じゃ平気な顔でハンマーを振るってる…」
女性たちの会話から、嘲笑は消え、困惑と、そして、本来自分たちが男に対して抱くはずのない感情――畏敬の念が、混じり始めていた。
彼女たちの社会は、「男性はか弱き性として虐げられるべき存在」という常識の上に成り立っている 。だが、目の前で繰り広げられている光景は、その常識を、根底から、そして暴力的なまでに覆していた。
汗に濡れた男たちの背中。隆起する筋肉の躍動。それは、彼女たちが今まで「醜い」と教えられてきたはずのものだった。だが、今、その光景は、不思議なほどの力強さと、そして美しさをもって、彼女たちの目に焼き付いていた。
ある日の午後、見物に来ていた女性たちの間で、小さな騒ぎが起きた。
リックが、足場の悪い場所で岩を運ぼうとして、バランスを崩したのだ。
「危ない!」
見物人の中から、思わず悲鳴が上がる。リックの体は、崖の外側へと大きく傾いた。誰もが、彼が谷底へ落ちると思った、その瞬間。
すぐそばで作業していたレオンとゴードンが、驚くべき速さで反応した。レオンがリックの腕を掴んで引き寄せ、同時にゴードンがその巨体で、崩れそうになった足場ごと、リックを受け止めたのだ。
三人は、泥まみれになりながら、崖の縁でなんとか踏みとどまった。
「…わりい、助かった…」
「リックさんこそ、怪我は!?」
「大丈夫だ、二人とも!」
互いの無事を確かめ合う三人の姿。そこには、仲間を信頼し、命を懸けて助け合う、確かな絆があった。
その光景を見ていた女性たちは、完全に言葉を失っていた。彼女たちの間には、競争と嫉妬はあっても、あのような、体を張った仲間意識は、希薄だったからだ。
「…なんなのかしら、あいつら…」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その日を境に、崖道を見に来る女性たちの目的は、嘲笑から、純粋な興味へと変わっていった。
代官ロザリアの狙いは、見せしめによって、男たちの無力さを知らしめることだった。だが、皮肉なことに、彼女が用意したその舞台は、男たちが持つ、未知の強さと気高さを、村中に知らしめる、最高のショーケースとなりつつあったのだ。
村の女性たちの心の中に、今まで信じてきた常識に対する、小さな、しかし確かな疑念の種が、確かに蒔かれた瞬間だった。
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