31話 ルルの黒い笑み

「お母様! 私のアンソニー様だわ!」


 マリンは勢いよく立ち上がると、イソイソと扉の方へ向かってゆく。


 けど、すぐにピタリと足を止める。


 なぜなら扉の間から顔をだしたのは白豚のサムだったからだ。


「お嬢様。迎えに着てやっただ」


 横柄な口調でそう言うと、サムは部屋の中に入ろうとする。


「もううううう。サムなんかお呼びじゃないわ!


 サッサと出て行きなさい!」


 マリンは両手でサムの胸を押す。


 それにしても、アンソニー様は一体どうしちゃったのかな?姿を変えるのを忘れるなんて。


 これはただのミス? それともわざとやっているの?


 何も聞かされていない私には状況がわからない。


 ただオロオロしてニ人のやり取りを見守っていると、突然サムがアンソニー様に変身したのだ。


「「「「え!?」」」」


 それを見た全員が目を丸くして驚きの声を上げる。


 するとアンソニー様は満足そうにニヤリと笑った。


 その表情はまるで悪戯が大成功して胸をはる悪ガキのようだ。


(ふざけてる場合じゃないでしょ)


 声を出さずに唇の動きでアンソニー様にそう伝える。


(わかってるぜ。俺の愛するルル)


 アンソニー様も同じように唇を使ってこう言うと、私に向かって軽く片目を閉じた。まったくもう。


 ふてぶてしいのか、度胸がすわっているというのか……。


 ハアッと大きく溜め息をついた。


ーカツ、カツ、カツー


 呆れかえっていると、アンソニー様が靴音を響かせて、部屋の中へと進んでくる。


 そして呆然とつっ立っているマリンの前に跪くと、高々とマリンに手を掲げる。


「初めまして。私はアンソニーハイランドです。


 宝石よりもお美しいマリン嬢をお迎えにあがりました」


 男らしい甘い声。


 白いタキシードで決めてきたアンソニー様はまるでどこかの王子様のようだ。


「宝石よりも美しいだなんて……。


 アンソニー様って正直な方なのね」


 マリンは頬を赤らめながら、アンソニー様の手をソッと取る。


 そして小動物のように小首を傾げた。


「お会いできて、こちらこそ光栄ですわ。


 それはそうと、さっき扉にいたサムはどこに消えてしまったの?」


「はあ? 


 そのような男は見かけませんでしたが」


「そう? おかしいわね」


 訝しそうな声をだすマリンに私はたたみかけた。


「そうよ!


 サムなんてこの部屋に来てないわよ。


 ね。パリス」


「はい。ここにいらしたのはアンソニー様だけでございます。


 こんな素敵な方とサムを見間違るなんて、マリンお嬢様はよほど緊張されているんでしょ。


 アンソニー様。マリンお嬢様はこのように、とても純情なお方なのですよ」


 さすがモリスだわ。サンキュー、ナイスフォロ-。


「モリスの言う通りなのよ。


 私は婚約者がいるのに、他に男をつくるようなお姉様と違って、とても初心なの。


 けど純情すぎるって、男の人にはつまらないのかもね。


 実は夫のピーターが姿をくらませて、何日も邸に帰ってこないのです」


 マリンは両手で顔を覆うと泣き崩れた。もちろんお得意の嘘泣きだろうけど。


「マリン。フィフィ家の恥を話してはいけません!


 アンソニー様に軽蔑されますよ」


 眉を寄せたネーネーがマリンを叱咤する。フリをした。


「そうだったわね。私ったらなんて愚かな事を。


 アンソニー様。さっきの夫の件はどうか聞かなかったことにして下さい」


 マリンはそう言うと、部屋から飛び出して行こうとした。


 アンソニー様が自分を引き止めてくれる事を計算にいれた行動なのは言うまでもない。


 マリン、ネーネ、アンソニー様がかなでるクサイ芝居はまだ私の目の前で続いてゆく。


「お待ち下さい。マリン嬢。


 軽蔑どころか、夫の事を話していただき感謝の気持ちでいっぱいです。


 これで私はもう貴方をあきらめる必要がなくなりました」


 アンソニー様はそう言って、マリンの腕をグイと掴むと、マリンを自分の胸の中に引き寄せる。


「「まあ、アンソニー様ったら」」


 マリンと私の隣にいるネーネが喜びいっぱいの声を上げた。


(いいぞ。名役者!アンソニーハイランド!)


 私は心の中で拍手と歓声をおくる。


「マリン嬢。馬車の中で私にもっともっと貴方の事を教えて下さい。


 さあ。早く参りましょう」


 マリンの肩を抱いたまま、アンソニー様はあわただしく部屋の外へ出て行った。


「モリス。私達も急ぎましょう。


 ルル。アンソニー様にお前の紹介をする時間がなかったけれど、いいわよね。 


 どうせ、もうすぐ私達は他人になるんですもの」


 ネーネが小鼻に皺をよせて、見下したように笑う。


 弱者を踏みつける悪趣味は相変わらずのようね。


 けどそれもすぐに出来なるわ。


 この私が貴方に最高に厳しい罰を与えてあげるから。


「ネーネ様。私のことなんか気にしないで下さい。


 それより早くマリンの所へ行ってあげてちょうだい」


「わかったわ。それとお前の見送りは必要ないから、玄関には来ないでちょうだい」


「どうしてですか?」


「お前の滑稽な姿でアンソニー様の美しい瞳を汚したくないからよ」


 ネーネは厳しい視線を私に向けるとモリスを従えて部屋を後にする。


 しばらくすると応接室の大きな窓から、ハイランド家の立派な馬車が出発するのが見えた。


「まずは作戦成功ね」


 ネーネと入れ替わるように部屋に忍び込んできた黒猫、アントワープ様を胸に抱いた私は黒い笑みを浮かべる。


 


 

 

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