第6話 暴かれた密事と取引
カウンター越しに氷を落とす音が、澄んだ空気の中で硬く響く。
夜のすすきのは、空気が透き通っているぶん、外から入り込む風が肌をきゅっと冷やした。
窓越しには、街灯に照らされた銀杏の葉が金色に光り、ゆっくりと揺れている。
そんな静けさを切り裂くように、中折れハットが視界に入った。
額の薄さが琥珀色(こはくいろ)の照明を反射し、ヒロシが腰を下ろす。
今日は酒の匂いがまだ漂っていない。
「やあ、貴代美さん」
ヒロシの低く掠れた声。
額の薄さが琥珀色の照明を反射し、今日は酒の匂いがまだ漂っていない。
「この前の奥さんとの会話……聞かせてもらったよ。」
胸の奥が冷たくなる。
「何の話です?」
平然を装い、グラスを磨く。
「とぼけるなよ。
とぼけるなよ。お前、繁和とできてるんじゃないのか?」
「そんな事実、ありません」
はっきりと言い切る。
──まだ一線は越えていない。
それだけが、唯一の救いだった。
ヒロシは口角を上げ、ゆっくりと身を乗り出す。
「俺と一緒になれば、黙っててやる」
声は低いが、押し潰すような圧があった。
「……何のつもりですか」
「元刑事の勘は外れないんだよ。
お前と繁和のこと、奥さんにバラすなんて簡単だ」
背筋に氷を流し込まれたような感覚が走る。
ヒロシの目は、探るようでありながら、獲物を逃がさぬ肉食獣の光を帯びていた。
ポケットのスマホを握り、迷わず短いメッセージを打つ。
《今、店に来られますか?》
それからの数分は、時計の針の進みが異様に遅く感じられた。
ヒロシは酒をおかわりし、時折こちらを値踏みするように視線を這わせてくる。
カウンターの空気は、じわじわと重く沈んでいった。
やがてドアベルが鳴り、外の冷たい空気とともに繁和が入ってくる。
「ヒロシ、もうやめろ」
静かな声だったが、その奥には鋭い怒りが潜んでいた。
「何だよ、邪魔する気か?」
「貴代美さんが困ってる」
「困ってる?そんなわけないだろ」
ヒロシの声が一段高くなる。
「お前とは絶交だ!」
吐き捨てるように言い、椅子を蹴るように立ち上がった。
中折れハットをかぶり直し、乱暴にドアを開ける。
外から流れ込んだ夜風が、銀杏の葉の匂いをかすかに運んできた。
残されたのは、私と繁和だけ。
「……ありがとう」
「気にするな」
短い言葉のやり取りの間に、胸の奥で熱が広がっていく。
──この人がいてくれれば、きっと大丈夫。
そう信じた瞬間、どこかで小さな崩落音が響いた気がした。
それが間違いの始まりだった。
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