エピローグ

 僕は、お嬢様と一緒に館の台所で囲炉裏を囲んでいた。薪がパチパチと音を立て、僕たちの顔を優しく照らしている。目の前には湯気を立てる土鍋。その中には、お嬢様の好物である、ひっつみ汁がぐつぐつと煮えていた。


「書生。やっぱり、このひっつみは格別ですわね」


 お嬢様は熱々のひっつみを口に運びながら、満足そうに微笑んだ。


「はい。お嬢様とゆっくり食事をするのは久しぶりです」


 僕はそう言ってひっつみをお椀によそい、お嬢様へと差し出した。


「書生……。わたくしは、ずっと考えていましたわ」


 お嬢様の声は、かつての彼女が持っていた、冷たく、世界を達観したような響きを帯びていた。


「この世には、殺す人と、殺される人しかいない、と」


 お嬢様は僕の顔をじっと見つめた。その瞳には、僕の顔が映っている。


「でも、違いましたわ」


 短く、しかし確信に満ちた言葉だった。


「あなたもじいやも、わたくしやきらめ様、そして愛梨を守ってくれた。殺意を向けるのでも、向けられるのでもない。心の奥底から湧き上がるような、確かな温かさを伴う、違う力があることを知りましたわ」


「……僕もです、お嬢様」


 僕は、お嬢様の双眼を見つめて返事をする。


「僕たちの『正義』は、ジゴマのそれとは違います。大切な人を守りたいと願う、ささやかだけれど、誰にも負けない力です」


 ジゴマはまだ捕まっていない。警察はジゴマを追い、帝都中を血眼になって捜索している。しかしジゴマは神出鬼没。彼の次の標的が僕たちに向けられる可能性も決して否定できない。 


 それでも、僕はもう恐怖に震えるだけではない。お嬢様が隣にいる。この事件で手に入れた、確かな『正義』の力が僕たちにはあるのだから。


「さあ、書生。わたくしたちの推理は、まだ始まったばかりですわ。ジゴマがどこに隠れているのか。その正体、解き明かしてみせましょう」


 そう宣言してお嬢様は続ける。


「この大正浪漫のきらめく光の裏に潜む『闇』は、わたくしたちの想像を遥かに超えて深いです。けれど恐れることはありません。このひっつみのように温かい心があれば、どんな闇にも立ち向かえます」


 お嬢様の言葉に、僕は力強く頷いた。ひっつみを食べる二人の横顔に、希望の光が射し込んでいた。


あやめのめ 完

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あやめのめ〜大正浪漫捕物帖〜 広野鈴 @hironorin

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