第43話 森の裂け目

少女を飲み込んだ影を追いかけるように、私は森の奥へ足を進めた。

鳥の羽音はすでに遠のき、残されたのは湿った土の匂いと、枝葉を揺らす風の音だけだった。

しかし、胸の奥で絶えず鳴り響く焦燥が、私を休ませなかった。


やがて森の空気が急に変わった。

鳥も虫も声を潜め、風のざわめきすら途絶えていた。

その静寂の先に、あり得ない光景が広がっていた。


地面が裂けていた。

まるで大地そのものが口を開いたかのように、黒々とした亀裂が森を横切っていた。

裂け目の底からは光とも闇ともつかぬ揺らめきが漏れ出し、低いうねり声のような響きが立ち昇っていた。

それは人の耳では聞き取れぬはずの音でありながら、確かに心臓の鼓動に重なり、全身を震わせた。


私は裂け目の縁に立ち、覗き込んだ。

底は見えなかった。

ただ、影と光が渦を巻き、そこに少女の気配が確かに溶けていた。


声を持たない喉を震わせた。

「そこにいるのか」と叫びたかった。

だが、声は風に変わり、裂け目へ吸い込まれていった。

すると、亀裂の奥から一瞬だけ、少女の名を呼ぶような響きが返ってきた。


私は身を乗り出した。

そのとき、地面が震え、裂け目がさらに広がった。

足元の土が崩れ、私は必死に木の根を掴んだ。

裂け目の奥から吹き上がる風は冷たくもあり、熱くもあり、矛盾する感覚で体を引き裂こうとした。


視界の端に、影が形を成していた。

それは鳥の影に似ていたが、羽はなく、ただ黒い霧の塊が人の形を模していた。

その影は裂け目の縁に立ち、私を見下ろしていた。

目はなかった。

それでも確かに「見られている」と感じた。


私は声を失った喉で必死に唸り、木の根を掴む手をさらに強めた。

影は一歩、こちらに近づいた。

その足音はなかった。

だが、確かに大地が軋む感覚だけが伝わった。


次の瞬間、裂け目の奥から光が噴き上がった。

その光は影を押し返し、私の体をも包んだ。

意識は揺らぎ、森の匂いも、風の音も、遠ざかっていった。


私は木の根にしがみついたまま、視界を光に奪われた。

そして、その白さの中で少女の笑みを一瞬だけ見た。


――彼女は、裂け目の向こうにいる。


そう確信した瞬間、私は力を失い、光と闇の狭間に落ちていった。


やがて意識が遠のき、私は静かに目を閉じた。

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