第42話 影を渡る鳥

その日、村の空を渡り鳥の群れが覆った。

春の空に広がるはずの光は、羽音と影にかき消され、昼が一瞬にして黄昏のように沈んだ。

人々は戸口に立ち、沈黙のまま空を仰いだ。

渡り鳥は豊穣の兆しであると同時に、不吉の影でもあると古くから語られてきた。


鳥の群れはただ飛び去るのではなかった。

幾度も旋回し、村の上に影を落とし続けた。

それはあたかも、村を選び、何かを探しているようだった。


少女は人々と共に立ち尽くしていたが、やがてその影の中へ足を踏み出した。

彼女の表情は恐れよりも、どこか引き寄せられるようなものだった。

私は声を持たぬ喉を震わせ、彼女の名を呼ぼうとしたが、息しか出なかった。


そのとき、ひときわ大きな影が頭上をかすめた。

群れの中心にいた一羽の鳥が、他の鳥とは違う黒い羽を広げていた。

その鳥は低く鳴き、まるで地を震わせるような響きを残した。

少女はその声に応えるように顔を上げ、次の瞬間、走り出した。


「待て!」

心で叫んだ。

だが声にはならなかった。

私は必死に追いかけた。


鳥の群れは少女を導くように森の奥へ飛び去り、彼女もまたその跡を追った。

私は枝をかき分け、息を切らしながら森を駆けた。

鳥の鳴き声が頭上で響き、影が地を滑るように走っていく。


やがて視界が開け、石の祭壇の前に出た。

あの「影の祭壇」だった。

少女はその前に立ち尽くし、頭上の鳥を見上げていた。

群れは旋回をやめ、祭壇の上に降り立った。

その瞬間、影は濃く広がり、昼であるはずの森が夜のように沈んだ。


私は少女に駆け寄ろうとした。

しかし、足が地面に縫い止められたかのように動かなかった。

影が私の足首を掴んでいた。

声を失った私には、その名を叫ぶこともできなかった。


少女は振り返り、私を見た。

その瞳には恐怖ではなく、むしろ決意の光が宿っていた。

彼女は小さく頷くと、祭壇の影の中へと身を沈めた。


鳥の群れが一斉に鳴き、空を裂いた。

影は渦を巻き、少女の姿を飲み込んだ。


私はその場に取り残され、ただ喉を震わせるしかなかった。

声にならない叫びが影の中に吸い込まれ、森は再び静寂に包まれた。


私は拳を握りしめ、影の余韻の中で立ち尽くした。

胸の奥には焦燥と喪失が渦巻き、祈りの形を探していた。

やがて目の前の暗闇に溶けるように、静かに目を閉じた。

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