いない貴方に恋をして

三上ナヲミ

いない貴方に恋をして

リュックって、後ろにしてても前でも、ものすごい迷惑。

今日もまた、隣の男のリュックの角に肩を押される。

吊革に掴まるたび、私の顔面がもろに圧迫されるから、無理やり首をかしげる羽目になる。

なんでニジンスキーのバレエみたいなポーズで、通勤列車に立ってなきゃいけないのか。


その男、スマホをさかさかと操作していて──

その手が、肘が、何度も私の腕に当たってくる。


画面に夢中で、こっちの存在に気づいてすらいない。

肘鉄?新手の格闘術?ってくらい、あたる。あたる。あたる。


ちょっとくらい「すみません」って思えないの?

あぁもう、なんか言ってやりたい。

でもここで何か言ったら、トラブルになりそうで、

結局、また私が耐えるしかない。


前の女が、髪をばさっとかき上げた。

……顔に当たった。

うわ、最悪。不愉快。


だいたい、こういうことするのって、決まって不美人。

こぎれいな人はわかってる。ちゃんと片方に寄せたり、低い位置でまとめたりしてる。

無造作風とかやめて。無造作ってのは、整ってる人しか許されないの。

おまけにネイルが凶器のよう。

しかも付け根が3㎜くらい伸びてる。

3週間くらいの周期でケアしなきゃ、意味ないじゃん。

早くサロン行けよ。みじめったらしい。


そして極めつけは、ラッシュのこの時間に大きなカートを引きずってる外人。声も大きい。

なぜ今乗車する!?もう帰れ、頼むから帰ってくれ。


後ろからは、微妙に酸っぱく脂っぽいノネナール臭……朝から全身にダメージをくらう。


──なんか私、ちゃんと生きてるだけでえらくない?


心の中で自分に小さく拍手を送る。

誰も言ってくれないから、自分で自分を褒めておくの。こういうの大事だと思う。


毎朝、地獄の儀式をこなすように満員電車に立っている。

本来、誰かに寄り添って安心できるはずの密着が、すべて苦行に変わる。

誰のぬくもりもいらない。ただ息ができればそれでいい。



ふと、昨夜の“あの人”の声を思い出す。

ざらついていて、まっすぐで、だけどあたたかかった声。


あの人は、存在しない。

架空のキャラクター。

アニメの中の、強くて、不器用で、誰よりも真っ直ぐな──最高の剣士。


どうして、あの人は現実にはいないんだろう。

男はこうであってほしいという理想像。


……いや、いなくてよかったのかもしれない。


もし、あの人が本当にこの世界にいたら──

今度は、手に入らない絶望を味わうことになったと思う。


だって私には、何の才能もない。

あの人に愛されるような特別さなんて、ひとつも持ち合わせてない。

ただの、平凡で地味で、不満だらけの女だ。


でも、二次元のあの人は、

私を傷つけない。

浮気もしない。

私にお金を借りたりもしない。

私の価値を測ったりしない。

誰かと比べたりしない。

勝手に変わったりしない。

私を拒むこともなければ、受け入れることもない。


だから私も失望しないで済む。

現実じゃないからこその安全圏。

物語の外にしかいられないのは寂しいけど。


この矛盾した感覚が、痛かったり心地よかったりする。

初めての経験だ。



嗚呼、不死川実弥さん。

好きです。大好きです!

言わずもがな、『鬼滅の刃』のキャラクター、不死川実弥。


そりゃあ、結局は「私のフィルター」を通した解釈のあなたでしかないんだけど、脳内のあなたは「信じたい愛と正義」の権化そのもの。


最初はどちらかというと嫌いだった。

初登場時の実弥さんは、サイコパス・戦闘狂・当て馬臭を感じた。

原作を途中までしか読んでなかったので、

「弱いから傷だらけなんじゃ?」

「早く死んじゃうんじゃ?」

「意地悪だなあ」

と、まんまとミスリードに乗っかっていた。


ゲインロス効果というらしいが、原作を読み進めていくうちに、どんどん気になっていった。


――え?この人かっこいい。


気付けば、ファンブックや外伝も読み漁り、グッズを買い、ファンアートを描き、毎日彼のことを思っている。


感情に蓋をしてでも、誰かの為に闘う覚悟と自己犠牲。

粗暴な態度の裏にある優しさ。

柱の中でも上位の強さ。

7人兄弟の長男としての責任感。

寝顔が幼くて、まつ毛が長くて、おはぎが好きとか、動物に優しいとか、いわゆるギャップ萌え。

そしてアガペーの対象が、実の弟である美しさ…。


まだまだいくらでも彼の魅力を語れるが、同様に実弥さんを好きな誰かと語り合いたいとまでは思わない。


よく言う同担拒否という訳ではないけれど、なんというか解釈の少しのズレがおそらく苦しくなるから。

私の中だけに存在する、大切な不死川実弥像をいじってほしくないのだ。


だから、映画もイベントも一人で行く。

たった一人で神話を、詠み綴り祈るような孤高の推し活。

この感覚をもっと理解したくて、なぜそんなに好きなのか探りたくて、家人に話してみたことがある。


「私は、自分だけに懐く狼みたいな感じが好きなのかな?」


「確かに日向小次郎も好きだったもんな」


「じゃあ、兄妹の為に身を削る長男属性が好きなのかな?」


「その理論だと、左門豊作が好きじゃないとおかしいだろ」


……左門豊作は好きじゃない。


決め手はルックスなのか!?

答えは出なかった。


だけど、この時の会話で見えてくるものがあった。



現実に躓いた時に彼を通して、


・自分がどういう価値を信じたいのか。

・世界がどうあってほしいと思っているのか。


少しずつ、自己理解に繋がっていくのだ。


いい年した大人が、二次元のキャラクターを想うなんて、なんの生産性もないかもしれない。

辛い現実からの逃避と思われるかもしれない。


でも確実に、今の私にとっては「現実を生きるための羅針盤」となっている。


こんな時、実弥さんだったらどうする?

今、実弥さんがいてくれたら…。

きっと実弥さんなら、こうするはず!


ラッシュの電車に乗って、今日も私はイマジナリー不死川実弥にぶっきらぼうに愛を囁かれながら、自己肯定感を高めているのだ。


「お前を傷つけるものすべて、糞味噌にしてやらァァァ!!」


ありがとう実弥さん。本当にありがとう。


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