第35話:最高の投資

 あれから、数ヶ月が嵐のように過ぎ去った。


 カナリア商会のボロ小屋本部は、もはやただの拠点ではなかった。それは、エルドラドの金融市場に、静かなる革命を引き起こすための、作戦司令部。カレンフォンの実験室からはもはや爆発音は聞こえなくなり、魔道具が動作する規則正しい低音が静かに鳴り響いている。マングルの部屋の前には、エルドラドの地下水路から貴族街の見取り図まで、おびただしい数の地図と諜報情報が、まるで狂人の研究のように貼り付けられていた。私の寝室の壁には、魔法訓練中の幾らかの「誤射」によって空いた人型のシミや穴が、もはや見慣れた模様として存在している。


 そして、私の書斎前には、今や朝から数十人の列ができ、CSO(最高警備主任)であるモンスーンが、慣れない手つきで必死に整理券を配っていた。


「はい、順番に! 押さないでください! ……ああ、バリスさん、あんたは昨日も来たな? 今日こそ覚悟は決まったんだろうな!」


 彼の生真面目な声が、途切れることなく聞こえてくる。私の書斎は、今やカナリア商会金融部門の、最も活気のある融資申し込み受付窓口となっていた。


「次の方、どうぞ」


 私の冷静な声が響くと、扉から一人の男がおずおずと入ってくる。錆びた槍を背中に抱え、使い古した革鎧を身につけた日雇いの冒険者だ。ギルドからの報酬は、東方での戦況の悪化により低迷を続けていると聞く。彼の顔には、借金を申し込む罪悪感と、藁にもすがるような最後の希望が浮かんでいた。


「カナリア商会は、本当に、ギルドの半分の金利で貸してくれるって……本当ですかい?」

「ええ。契約書はこちらです。ただし、条件があります」

 私は、彼に羊皮紙の束を差し出す。彼は、その難解な文字の羅列を、ほとんど理解できないといった顔で眺めている。




【カナリア商会『事業再生支援融資』基本条項】


目的:

本融資制度は、エルドラド王国の経済基盤を支える中小規模の事業者および個人  (冒険者、職人等を含む)が、昨今の市場の不安定化(干ばつ、戦況の悪化等)によ り直面している短期的な資金繰りの困難を支援し、事業の再生および持続的な成長を促進することで、王都全体の経済発展に貢献することを目的とする。


第1条(融資対象)

エルドラド王国内に事業拠点、または居住権を持つ、全ての法人および個人。

(例:商人・職人ギルド、個人商店、工房、冒険者パーティ、個人事業主など)


第2条(金利)

月利5%の固定金利とする。

(※参考:エルドラド商業ギルドの平均標準金利は月利90%相当)


第3条(融資上限額)

原則として、提供される担保の資産価値評価額を上限とする。ただし、将来性が見込まれる事業計画を提示した場合は、CEOの裁量により、評価額を上回る融資も検討する。


第4条(担保)

不動産(店舗、工房、家屋)、事業権利(商業ライセンス、鉱山採掘権等)、その他、当商会が資産価値を認める一切の有形・無形資産を対象とする。


第5条(返済期間)

最短1ヶ月から最長5年まで、事業内容に応じて柔軟に設定可能とする。


第6条(遅延損害金)

返済期日を一日でも超過した場合、元金に対し、日利1%の遅延損害金を課す。


第7条(債務不履行時における特別条項)

債務者が返済不能(デフォルト)に陥った場合、当商会は以下のいずれかの権利を行使できる。


 A. 担保資産の所有権移転:

  提供された担保の所有権を、即時、カナリア商会に移転する。


 B. 転換権オプションの行使:

  債務者の負債総額を、当商会が指定する第三者機関の査定に基づき、当該事業の「株式」または「経営権」に転換する権利。当商会は、債務者の事業における株主または共同経営者としての地位を取得する。


第8条(経営コンサルティング条項)

本契約を締結した全ての債務者は、希望に応じて、カナリア商会CEOナツキ・カナリアによる、**無償の経営コンサルティング**を受ける権利を有する。当商会は、債務者の事業の成功を、最大限支援するものとする。


担当者:CEO ナツキ・カナリア

回収者:CSO モンスーン


サイン:_________________



 作戦を開始した当初、私たちの前には、約一年前に経験したのと同じ、分厚い「不信」の壁が立ちはだかっていた。だが、数人が勇気を出して契約を結び、本当にその条件で金が貸し出されると知るや否や、噂は燎原の火のように広まった。堰を切ったように、人々が私たちの元へと殺到し始めたのだ。


《お客様! ギルド系の金融機関からの顧客流出率が35%を突破! 我々のブランドイメージは『慈悲深き救世主』として市場に定着しつつあります! 計画通りです!》

 脳内で《リスク管理》が、満足げに報告する。


 瞬く間に、私たちの持つ金貨20万枚の資金のうち、半分にあたる10万枚ほどが、融資という形で市場へと流通していった。カナリア商会は、彗星の如く現れた新興勢力として、エルドラドの金融業で、確かな頭角を現し始めていた。


 もちろん、これは慈善事業ではない。契約書に盛り込まれた「経営権の一部譲渡」という毒薬が、いずれ彼らの首を絞めることになる。想定では、一年後には、私たちの資産は金貨30万枚ほどに穏やかに成長し、同時に、エルドラドの中小企業のいくつかが、実質的に我々の傘下に入っていることだろう。



 金融作戦と並行して、他の事業も着実に進んでいた。


 私は午後の業務をモンスーンに任せ、短い視察に出た。まず向かったのは、マングルの部屋だ。扉を開けるまでもなく、インクと炭、古い羊皮紙の匂いが鼻をつく。


「マングル、ギルドの内部資産に関する調査の進捗は?」


「ああ、会長。思ったより手強いぜ。連中、金の流れは徹底的に隠してる。だが、何人か、ギルドのやり方に不満を持ってる下級役人をリストアップした。ここから崩せそうだ」

 壁の地図を睨みながら、彼は自信に満ちた笑みを浮かべた。


 次に、カレンフォンのラボの扉の前に立つ。中からは、規則正しい魔力の唸りと、彼女が何かの数値を呟く声が聞こえるだけだ。爆発音がしなくなったのは、研究が安定期に入った証拠だろう。私は、扉を叩かずに、その場を後にした。彼女の集中を邪魔するのは、非効率だ。それに、また爆発に巻き込まれたくはない。



 そして、私の個人的な課題——護身魔法の開発も、水面下で進んでいた。


《リスク管理》の文字通り血の滲むようなチューンアップ作業のおかげで、私の指先から放たれる電撃は、今や、小動物程度なら一撃で仕留められるほどの威力を持つに至っていた。


 全てが、順調。



◇◇




 利息は巡り、私の十六歳の誕生日がやってきた。

 その日、ボロ小屋では、マングルが腕によりをかけたささやかな祝宴が開かれていた。主役である私よりも、周りの方がどこか浮き足立っている。


「ナツキ様、お誕生日おめでとうございます。これはわたくしから。古代経済に関する、希少な研究書ですわ。あなたの知的好奇心を、少しでも満たせればと」

 カレンフォンが贈ってくれたのは、彼女らしい知的な贈り物だった。研究書に目を通すと、古代経済は非効率で意味のないものだったようで、「共有」とか「平等」などの意味のわからない言葉が書かれている。


「会長、俺からはこれだ。護身用にでもな」

 マングルがくれたのは、掌に収まるほどの、精巧な作りの投げナイフだった。彼の贈り物もまた、彼らしい、実用的なものだった。だが、肝心の戦闘スキルが私には全くない。ダーツの練習でもやってな、ということのなのだろう。


 宴は鎮まり、私が一人、ショートケーキを頬張りながら帳簿の整理をしていた時だった。モンスーンが、どこか緊張した面持ちで、私の前に立った。彼は、カレンフォンやマングルのように、気軽に贈り物を渡すことができず、タイミングをずっと窺っていたらしい。


「……ナツキ」


「モンスーン、何?」


「その……誕生日、おめでとう」


 彼はそう言うと、背中に隠していた、細長い、上質な木箱を、少し照れくさそうに私に差し出した。箱の中には、黒いビロードの布に包まれて、一本の小さな杖が収められていた。


 それは、箸ほどの大きさしかない、小柄な杖だった。磨き上げられた黒檀の本体には、銀糸のような緻密な紋様が彫り込まれ、先端には、星の光を閉じ込めたかのような、小さな魔結晶が埋め込まれている。一目で、それがただの杖ではない、最高級の逸品であることがわかった。


「お前、ずっと魔法の練習、頑張ってるだろ。だから、ちゃんとした道具があった方がいいと思って……。俺が稼いだ金、全部使って、特注で作ってもらったんだ。だから……その……」

 彼は、言葉を探すように、視線を彷徨わせる。この一年、彼が森で魔物を狩り、伝説級の危険な依頼をこなして得た巨額の報酬の全てを、この一本の杖のために貯金し、はたいてくれたのだろう。


 その、あまりにも真っ直ぐで、不器用な思いやり。

 私は、思わず、一瞬だけ、顔を赤くした。

 心臓が、非効率な音を立てて跳ねる。非効率だが、悪いものではない。


 だが、私の思考は、すぐにいつもの冷徹さを取り戻した。


「……ありがとう、モンスーン」

 私は、杖を受け取ると、その完璧な重心と、指先に吸い付くような感触を、鑑定するように確かめた。


「これは……素晴らしい『杖』ね。この小型軽量化された設計と、高純度の魔力伝導率。私(《リスク管理》)の魔法研究に、大きな進展をもたらしてくれるわ。とても効率的な投資よ、感謝するわ」


 私の、あまりにも臨床的な感想に、モンスーンは少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐに「お、おう。役に立つなら、よかった」と、力なく笑った。


《最高のプレゼントです!これはもう実質的な婚約指輪ですよお客様!我が社の恋愛事業部の資産価値が、またしても上場来高値を更新しました!》

 脳内で《リスク管理》だけが、この状況を100%の好材料として、狂喜乱舞していた。


 私は、彼の純粋な善意を、また一つ、私の帝国の礎として、静かに組み込んだ。

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ファンタジー異世界ですけど、資本主義で暴れます。 ヤシさ @Yashisa

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