第12話 魂の器と、心の宝物

最初の約束を終えたユイナの心は、不思議なほどの安らぎと、そして新たな決意で満たされていました。案内人は、そんな彼女の様子に満足そうに頷くと、二つ目の約束を告げるために、再び、優しく語りかけました。


「二つ目の約束。それは、『自分自身の体を、かけがえのない魂の器として、心から慈しみ、大切にすること』です」

「体を……魂の器として?」

ユイナは、不思議そうに聞き返しました。これまで、自分の体のことなど、あまり深く考えたこともなかったからです。


「ええ」

と案内人は、ユイナの目をまっすぐに見つめます。

「あなたのその体は、偶然できたものではありません。あなたという素晴らしい魂が、この世界でたくさんのことを経験するために巡り合った、たった一つのかけがえのない宝物なのです。清らかな魂が宿るのにふさわしい美しい器……それが、あなたの体です」


その言葉は、ユイナの心に、新しい光を灯しました。

(私の、体……)

ユイナは、そっと自分の両手を見つめました。この手は、ハーブを摘み、お茶を淹れ、傷ついた人を手当てすることができる。この足は、助けを求める人の元へ駆けつけることができる。この耳は自然の声を聞き、この口は優しい言葉を紡ぐことができる。嵐の中で、あれほど非力だと思った自分の体が、今はとても尊く、愛おしいものに思えました。


「この島では、体を不必要に傷つけたり、汚したりするものは、一切ありません。それは、自分の魂が宿る大切な器を、自分の意思で傷つける行いだからです」

案内人の言葉は、とても穏やかでしたが、その奥には、決して揺らぐことのない真理がありました。


「あなたの体は、この世界で様々なことを経験し、学び、そして喜びを感じるためにあります。悲しみに暮れることも、もちろんあるでしょう。でも、そのすべてが、あなたの魂を成長させてくれるのです。そして何よりも、その体があるからこそ、私たちは、愛する人と共に新しい生命を育むという、最も素晴らしい奇跡を体験することができるのです」


ユイナは、カフェで眠るお客さんの、無数の傷跡に覆われた体を思い出しました。彼の体は、どれほど傷つき、どれほど痛みを刻み込まれてきたことでしょう。


そして、海人の、太陽に焼かれ、漁で鍛え上げられた、生命力に満ちた体。その体を危険に晒してしまった自分……。体を大切にするということは、自分自身を大切にすることであり、自分を大切にしてくれる人々への、感謝のしるしでもあるのかもしれない。


「はい」

ユイナは、深く、深く頷きました。

「私のこの体は、お父さんとお母さんから受け継いだ、大切な宝物です。私の魂の器として、清く、大切に扱うことを、約束します」


ユイナがそう誓うと、今度は、彼女の周りに咲き乱れていた花々が、一斉に、ぱあっと光を放ち始めました。まるで、彼女の決意を祝福し、その約束を記憶するかのように。


「では、最後の約束です」

案内人の声は、これまで以上に厳かで、そして優しく、親密な響きを帯びました。


「これは、三つの中で、最も難しく、そして最も素敵な約束かもしれません」

ユイナは息をのみ、次の言葉を待ちました。


「三つ目は、『あなたの心の一番奥にある、とてもとても大切な宝物を、未来のたった一人のひとのために、清く守り抜くと約束すること』です」


「心の一番、奥にある、宝物……?」

それは、ユイナにとって、まだ少し、遠い世界の話のように感じられました。でも、その言葉の持つ、途方もないほどの甘やかさと神聖さは、彼女の魂を震わせるのに十分でした。


案内人は、ユイナの戸惑いを察したかのように、言葉を続けます。その声は、まるで恋物語を語るようでした。


「ええ。それはね、人と人とが結びつく一番深いところにある、愛の心のこと。そして、その愛から生まれる新しい心をはぐくむ奇跡のことです。自然はその奇跡の力を、信頼の証として、私たちにそっと預けてくださいました。いつかあなたが出会う、心から愛するたった一人のひとと、二人で紡いでいく新しい家族の物語……その最初のページを、誰にも汚されずに、真っ白なまま、大切に守っておく、ということなのですよ」


ユイナは、自分の両親のことを思いました。お父さんとお母さん。二人が愛し合い、そして自分が生まれたこと。それは、なんて素敵な物語の始まりだったのでしょう。


「その宝物を、本当に大切にしてくれる人以外に、軽々しく見せたり、渡したりしてはいけません。それはあなた自身の心を、そして未来のあなたの一番大切な人を、深く傷つけてしまうことになるから。この約束は、あなた自身が、誰よりも幸せになるための、島の心からの贈り物なのですよ」


ユイナは、海人の少し照れたような、優しい笑顔を思い出していました。彼の、自分に向けられる特別な眼差しを感じるたびに、胸の奥がきゅっと温かくなるのを感じていました。その気持ちが、いつか、もっと大きな愛へと育っていくのかもしれない。そして、その愛の先には、この約束が厳然と存在している。


それは、束縛などではありませんでした。むしろ、その逆です。本当に大切なものを、本当に大切な時まで、清く尊く守り抜くための愛に満ちた「垣根」のようなものだと、ユイナには感じられました。 それは、とても、とても、勇気がいる約束でした。これからの長い人生、自分がその約束を守り通せるだろうか。一瞬、不安が心をよぎります。 でも、ユイナは、ガジュマルの樹の向こう、天のさらに向こうにある、島の心の大いなる存在の心を感じようと、再び目を閉じました。


(大丈夫)

心の中に、あたたかく、力強い確信が広がります。それは、自然の声、そのものでした。

(あなたが約束を守ろうと誠実に努力する限り、私たちはいつもあなたを助け、支え、そして強めるでしょう)

ユイナは、目を開きました。その瞳は一点の曇りもなく、澄みきっていました。


「はい。約束します。私の一番大切な宝物は、未来のたった一人の人のために、清く守り抜きます」


ユイナが最後の約束を口にした、その瞬間。 天から降り注いでいた光の柱が、今までとは比べ物にならないほど、まばゆい輝きを放ちました。島全体が、祝福の歌を歌っているかのように、喜びに満ちたエネルギーで震え、ユイナの体は、その清らかな光に完全に包み込まれました。


彼女は、自分が新しく生まれ変わったような、不思議な感覚に満たされていました。深い悲しみは、消え去ったわけではありません。でも、その悲しみごと、すべてを包み込んでくれるような大きな愛と、前に進むための確かな力を、彼女はこの島の心からいただいたのです。


長い、長い時間が経ったかのように思えました。 光が収まると、案内人が、これまでで一番優しい微笑みを、ユイナに向けていました。


「おめでとう、ユイナさん。あなたは約束を果たしました。これで、あなたはこの島の祝福にあずかる資格を得ました」

彼女は、ガジュマルの樹の根元を指さしました。

「さあ、お行きなさい。あなたが求めていた〝月影草〟は、あの光の先にあります。あなたの助けを待っている人のために、そして、あなたの帰りを待っている大切な人のために」


案内人の言葉に、ユイナは深く、深く、頭を下げました。 そして、顔を上げると、彼女はもう、ただのカフェの店主ではありませんでした。 島の心と聖なる約束を交わし、その力を人々のために用いるという大きな使命を授かった、ひとりの強くて優しい女性の顔をしていました。 ユイナは、決意を胸に、光り輝く、ガジュマルの根元の洞窟へと、その最後の一歩を、踏み出したのでした。

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