第8話
湖畔のシャワーと新たなる力
純がハンドルを握るトラックは、荒野の道を快適に突き進んでいく。ガタガタと揺れる馬車しか知らなかったリーザにとって、そのスムーズな乗り心地と速度は驚異の連続だった。
「す、凄いです、純様!馬車や軍馬とは比べ物にならない速さです!風になったみたい!」
助手席で目を輝かせながら、リーザは興奮したように声を上げる。その姿は、歴戦の騎士団長ではなく、初めて見るものに心躍らせる少女のようだった。
「そうですか?まあ、高速道路じゃもっと出せますけどね。じゃあ、もうちょっとスピード出しちゃいますよ?」
純はニヤリと笑い、アクセルをぐっと踏み込んだ。エンジンが一段と力強い唸りを上げ、車体が猛然と加速する。
「きゃああああ!最高です!!」
体にのしかかるGの感覚と、窓の外を飛ぶように過ぎ去っていく景色に、リーザは喜びの悲鳴を上げた。国を追われ、追っ手と戦う緊張の日々の中で、彼女がこれほどの解放感を味わったのは、いつ以来だろうか。
しばらく走り続けると、前方にきらきらと光る広大な湖が見えてきた。
「お、湖だ。ちょうどいい。リーザさん、良かったらシャワーでも浴びません?」
「え!?シャワー…とは、一体?」
聞き慣れない言葉に、リーザは首を傾げる。純はトラックを湖畔の木陰に近づけて止めると、手際よく準備を始めた。
「このトラック、浄水機能が付いてて。水を汲み上げれば、温かいお湯が出るようになるんですよ」
純は車体の側面パネルを開け、中から長いホースを取り出すと、その先端を湖の中へと入れた。トラックのエンジン音がわずかに変わり、ポンプが水を吸い上げる微かな振動が伝わってくる。彼は簡易的なシャワーヘッドを取り付けると、使い方をリーザに教えた。
「このツマミをひねればお湯が出ます。じゃあ、俺は向こうでオークでもいないか見張ってるんで、ごゆっくり」
「お、オークですか!?縁起でもない!」
「はは、冗談ですよ」
純はそう言って、リーザに背を向け、少し離れた場所へと歩いていった。
一人残されたリーザは、目の前の不思議な魔道具を見つめる。これが…シャワー。泥と汗にまみれた体を洗い流せる。ゴクリと喉を鳴らし、彼女は覚悟を決めて服に手をかけた。
「は、はい…。では、失礼します…」
リーザが鎧を外し、まさにその至福の時間を味わおうとした、その時だった。
ブゴォォッ!!
背後の茂みから、野太い雄叫びと共に、緑色の巨体が複数飛び出してきた。手には錆びた斧や棍棒。豚のような醜悪な顔。オークだ。
「くっ!オークめ!」
リーザは瞬時に剣を抜き、戦闘態勢に入る。数は5体。今の自分なら倒せる。しかし、なぜこのタイミングで…!
「え?オーク?本当にいたのか…。やれやれ」
遠くで待っていた純が、面倒くさそうに呟きながらトラックの運転席へと戻っていくのが見えた。
彼は運転席に座ると、何やらコンソールを眺めながら独りごちた。
「なんか最近、よく分からんスイッチが増えてきたんだよな。まあ、試してみるか」
純が、ダッシュボードに新しく表示されていたミサイルのアイコンが付いたスイッチを、ポチッと押した。
シュゴォォッ!
次の瞬間、トラックのコンテナ上部がスライドして開き、中から一本のミサイルが姿を現した。それは白煙の尾を引きながら、空気を切り裂いてオークの群れのど真ん中へと飛んでいく。
リーザは、剣を構えたまま、目の前で起こった光景に思考が停止した。
ドッッッッカアアアアアアンンン!!!
凄まじい爆発音と衝撃波が、湖畔の森を揺るがす。土煙が晴れた後には、巨大なクレーターがぽっかりと口を開けているだけで、オークたちは文字通り、跡形もなく消し飛んでいた。
静寂の中、リーザはゆっくりと純が降りてきたトラックの方を振り返る。
そして、腹の底から、絞り出すような声を上げた。
「えええええぇぇぇぇぇ!?」
その絶叫は、しばらくの間、穏やかな湖畔にこだまし続けた。
彼女の主(あるじ)は、勇者などという存在を、遥かに超越した何かであることを、リーザは改めてその身に刻み込んだのだった。
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