第5話 逃げる子狸


 闇を引き連れた月が笑いながら、西の空に消えようとしていた。

 真宵は肩で呼吸をしながら「もう朝か」と呟き、周囲を見渡した。白みゆく世界の中、真宵を中心に円を描くように大地は真っ黒に変色していた。真宵が放つ炎に焼かれた木々は葉を失い、みきだけが残っている。剥き出しの土には黒焦げの物体がいくつも落ちており、そのどれもがぴくりとも動かない。


(残党はいないようだな)


 真宵が肩の力を抜いた時、場に似つかわしくない明るい声を出しながら一人の青年が駆け寄ってきた。


「あー! 真宵さま、やっと炎を消してくれた!」


 青年の名ははなぶさ。若い男狐おぎつねだが尾は三本と、里でも屈指の実力を持っている。


「また温度上がりました? なんか白っぽくなってましたね! ……って、熱いッ!!」


 真宵が炎を消したのは少し前だ。素足で灰を踏めば熱かろう、と真宵は白んだ目で飛び跳ねる英を見つめた。


(やはり樒だけを連れてくるべきだったな)


 樒も小言が煩いがその分、実力が備わっているし、瞬時の判断力が秀でているため一緒にいてもさほど苛つかない。


「あー、これ火傷になっているよ。見ます? ほら、ここ——いでッ!!」


 鈍い音が響いた。足の裏を真宵に見せようとした英は、頭を抱えて灰の上をのたうち回る。


「うるせーぞ! 英!」


 手にした鉄槌の先で英の頭を押し付けながら小柄な少女——緋花ひばなは吐き捨てた。


「真宵さまに汚ねぇもん、見せんな」

「汚くないし! ここに来る前に水浴びしました!」

「汚ねぇ……」

「緋花みたいに毎日風呂に入る狐のほうが珍しいんだからな。ね! 真宵さま」

「くだんねぇことで真宵さまを巻き込むな、この馬鹿!」


 ガン! とまた大きな音が響く。

 やかましい二匹の部下に頭痛を覚えて、真宵は眉間を揉みながら「報告を」と短く命じた。二匹は揃ってぴんっと背筋を伸ばす。まず先に英が口を開いた。


「北と東んところはみんな殺しましたよ。うちからは四匹、亡くなってしまいましたけど」

「南側も無事殲滅が完了しました。こちら側の死者はいませんでしたが木葉このは手毬てまりが重症です。さすがに自己治癒では限界があるので、薬師くすしが手当てを施しています」

「そうか。ご苦労だった」


 真宵が褒めると二匹は嬉しそうに笑う。

 特に英はよほど嬉しかったのか真宵の隣にくるともっと褒めて欲しいのか言葉を続けた。


「やっぱ、俺らいたほうが仕事早く終わりますよね! 他の一族だって長だけじゃなく、みんな協力しているっていうし、この機会に真宵さまも真似しませんか?」

「くだらん。時間さえあれば、俺ひとりでも問題なかった」

「時間さえって花嫁御寮に選ばれた子ってそんなに束縛ひどい系なんですか?」


 ぴくり、と真宵の眉が小さく動く。

 少し離れていた緋花からは、その様子がよく分かり、さっと顔を青くさせた。英が余計なことを言って不興を買う前に、被せるように言った。


「化け狸どもはなにが目的なんでしょうか」


 それに真宵は首を捻った。妖狸ようりは今や一万を超える大所帯だ。それなのに今回の討伐対象は多く見積もって千匹ほど。明らかに少なすぎる。ここは陽動で、裏でなにかを考えているようにも見えない。


「年若い狸が多かった。妖魔俺らが人間に与するのを嫌がった連中でも集まったんだろう。——ん?」


 遥か遠くで葉が擦れる音が聞こえた。里から連れてきた妖狐たちではない。真宵は両目を細めて、音がした方向を見つめる。


(生き残りがいたのか)


 闇が濃い方向に向かって茶色の毛玉が走っていた。わずかに滲む妖気から毛玉が普通の狸ではなく、妖狸だと悟った真宵は深く息を吐く。


「んん? 誰か逃げているようですね」

「敵前逃亡とは情けないやつ。あたしが片付けてきましょうか?」

「いやいや、この英が行きますよ! 緋花より、俺の方がつよ——ぎゃ!!」

「弱いくせにいきがんな」

「黙れ」


 また喧嘩をしそうな二匹を睨みつける。二匹はしゅんと大人しくなった。


「帰宅ついでだ。俺が片付けておく。お前たちは帰っていいぞ」


 やつが逃げた先には今住む屋敷がある。討伐完了の報告をする前に、一度帰宅して血塗れの衣服を取り換えようと真宵は今後のことを考えた。




 ◆




「さて、鬼ごっこは終わりだな?」


 木々を縫うように毛玉がぎゃうぎゃう鳴きながら転がり走っていく。その後を追い立てるように真宵は早足で追いかけた。

 見たところ毛玉は小さく、成獣とは程遠い。興味本位で他の妖狸とともに人間に悪戯をしていたのだろう。これが化かす程度なら国に目をつけられなかっただろうに、調子にのって死者をだしてしまったことから真宵が駆り出されることとなった。可哀想でも、たかが妖狸の子ども。情けを覚えることはない。


「もういいか」


 真宵は手を持ち上げた。あたり一面を焼け野原にしてしまえば楽なのだが、ここは屋敷から近い。炎は最小限で収めなくてはいけない。

 手のひらに発生させた炎を妖狸の子どもに向けて放とうとした時、


「——狸?」


 場に似つかわしくない鈴を転がす声が聞こえて、真宵は思わず動きを止めた。

 まだ朝というには早い時間。なぜ、自分の婚約者は山に入っているのだろうか。樒が獣が近づかないように常に幻術を展開してるとしても不用心にも程がある。

 名も覚えていない婚約者は足元に転がり震える子狸を抱き上げて、怪我の有無を確認しているようだ。お面で表情は隠れていても雰囲気から心配していることが伝わってくる。


「怪我をしているのね。もう大丈夫よ」


 柔らかい声で語りかけながら、怯える子狸の背中を優しく撫でる。

 そして、おもてを持ち上げて——真宵の姿を視界に捉えると一瞬、肩を揺らした。


「……あっ、旦那さま」


 先程までの雰囲気は拡散して、緊張した空気が広がった。


「お、おかえりなさいませ」


 おずおずと頭を下げて、喉奥から言葉を絞り出す。まるで真宵の機嫌を伺うような言動は、無性に腹が立った。真宵は返事もせず、少女のかいなで丸くなっている子狸を指差した。


「それを寄越せ」

「あの、でも怪我をしています」


 真宵が怖いくせに、少女は子狸を守るように胸に抱きながら、背中を向けた。


「怪我を、その、……手当てさせてください」

「必要ない。いいから、寄越せ」

「それは……」


 会話もままならないことに真宵は舌を打つ。思ったことをはっきり言えばいいのに少女はかたくなに子狸を手放さない。

 無理やり首を掴んで引き離そうかと再度、手を伸ばした時、屋敷から裾をひるがえしながら樒が駆け寄ってきた。


「鈴音ちゃん! どうしてここにいるの? どこにもいなくて心配したじゃない」

「あの、すみません。なにか鳴き声というか、変な感じがして……。それで、この子を拾ったんです」


 樒が現れると少女——鈴音が纏う空気が和らいだ。樒に見えるように腕の中の子狸を掲げるとみるみるうちに樒の顔が強張った。すぐに真宵の目を見つめて、理由を問うてくる。


(それを寄越すように言え)


 指先で子狸を指しながら、今度は真宵は視線で訴える。

 それだけで聡い部下は全てを察してくれたらしく、膝を折って鈴音に視線を合わせると困ったように眉尻を下げた。


「野生の動物って、どんな病気を持っているか分からないから触っては駄目よ。また風邪をひいてしまうかもしれないわ。さあ、この子は旦那さまに任せて、朝餉あさげの準備に取りかかりましょう?」


 ね? と樒は小首を傾げた。こうすれば大人しく言うことを聞いてくれると踏んでの行動だったが、鈴音は首を縦に振らない。ぎゅっと子狸を抱きしめたままだ。樒が子狸に触れようとすると袖を持ち上げて隠してしまう。

 鈴音らしからぬ行動に樒は困惑し、真宵に救いの眼差しを向けた。


(お前が説得しろ)


 悲しいことに鈴音に怖がられている自覚がある真宵は、視線を逸らして我関せずの態度をとった。


「どうして、かくまうの?」

「この子、怪我をしているから」


 袖を取り払うと鈴音は子狸の脇腹の毛を掻き分けた。灰を浴びて艶を失った毛の奥は赤くただれていた。血は止まっているが手当てをしなければ、化膿してしまうだろう。


「手当てをしたくて」

「手当てをすれば、この子を渡してくれる?」


 その問いかけに、たっぷりと悩んだ末に鈴音は首を縦に振った。


「旦那さま、屋敷でこの子の手当てをしてもよろしいですか? 鈴音ちゃんに危害がないか、私が責任持って見守りますから」

「……好きにしろ」


 底冷えする声を放ち、真宵は屋敷へと歩を進めようとした。


「あのっ」


 鈴音が真宵の袖を掴んだことで立ち止まり、自分より遥かに小さな少女を見下ろした。

 樒が焦った表情で鈴音の名前を呼ぶのが視界の端に見えた。


「旦那さまもお怪我を。その、手当てしないと」

「必要ない」


 袖を払いのけると真宵は一瞥もくれずに屋敷へ向かって歩いていった。

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