第4話 またたび郵便のハル


 真宵が討伐に出て十日が経った頃、鈴音が夕霧と共に玄関前の掃除をしていると一匹の猫が訪ねてきた。


「お初にお目にかかります。あたくし、またたび郵便に勤めております、猫又のハルと申します」


 まん丸にえた三毛猫が大きく口を開くと、鋭い牙の奥から人語が発せられた。普通の猫だと思っていた鈴音は驚いて固まり、隣にいた夕霧の袖を掴む。夕霧は「大丈夫よ」と背中を撫でて、鈴音を落ち着かせてくれた。


「妖狐族の長である真宵さまの婚約者——鷹司鈴音さまで間違いないでしょうか」

「あっ、はい。鈴音は私です」

「三条潔子さまからお手紙を預かっております」


 くるりとハルは背中を向ける。

 いきなり背中を向けられて鈴音が困惑していると夕霧が「鞄から手紙を出してってことじゃないかしら?」と耳打ちした。ハルは「はい」と元気よく返事をした。


「あたくしたち猫又は人間の言葉を理解し、二本足での歩行もできるのですが、骨格上、背中に腕を回すことができないのです。配達物はご本人さまが直接受け取ってもらう必要がございます。お手数ですが鷹司鈴音さまが鞄からお手紙をお取りください」


 そう言われて鈴音はハルが背負う鞄を開けた。中に入っている一通の手紙を取り出すと、鞄を閉める。


「確かに受け取りました」


 ハルはくるりと身体を回転させて、鈴音と向き合うと興味深そうに鈴音の顔を凝視した。いつ桔梗に出会ってもいいようにとお面を着用しているのが気になるのだろうか、と鈴音は冷や汗を流しながら首を傾げる。


「どうかなさいましたか?」

「妖魔に嫁ぐことになった人間というものに少し興味がございまして」


 失礼ですよ、と夕霧がいさめるがハルは無視して言葉を続けた。


「あたくしたち、猫又は数多く存在する妖魔の中でも人間に近しい種族でございます。鷹司鈴音さまは猫又の成り立ちというものをご存知でしょうか?」

「長生きした猫が妖魔化したのが猫又だと聞いたことがあります」

「ええ、その通り。あたくしたちは元は飼い猫だったものが大半です。まあ、中には野良もいますけれど、野良と飼い猫では寿命がだいぶ異なりますからね」


 ハルは鈴音の肩に飛び乗った。重さで鈴音がよろけると楽しそうに喉を鳴らす。


「あたくしは人間というものが大好きです。幼かったあたくしを拾って、〝ハル〟と名付けた飼い主の影響でしょうか? 普通なら飼い猫が猫又になれば、気味悪がるものなのにあたくしの飼い主はたいそう喜んだものです」


 当時を思い出すのかハルは両目を細めてしみじみと言う。


「飼い主が子どもの頃から、皺くちゃになるまで共に生活をしてきました。周囲から猫魔びょうまは災厄をもたらすと石を投げられても〝ハルは大切な家族よ〟と言ってくださりました」


 猫魔とは、猫又の別の呼び名——いわゆる蔑称べっしょうだ。


「ハルさまはその方が大切なのですね」

「ええ。……ええ、とても。だから、あなたさまと直接、お会いしたかったのです」

「私に、ですか?」

「はい。妖狐族の長さまが、あなたさまに冷たく当たっていることは知っています」


 ハルは額を鈴音の首に擦り付けながら、夕霧を見つめる。金の双眸そうぼうが広がり、夕霧の——否、金髪の青年の姿を映しとる。


助けてはくれないことも、あたくしは知っております」

「ちが……ッ」


 夕霧しきみは唇を噛む。否定しようにもハルの言う通り。表立っては味方のふりをしているだけだ。鈴音を自分と重ねて守ると決意しても、本当の意味で救うためには動いていない。

 悔しさから拳を握りしめた時、くん、と袖が引っ張られたことで樒は意識を戻す。


「いいえ、夕霧ねえさまにはいつも助けられています。薪田先生も私の体調を心配して、週に一度は来てくださりますし、私はいつも誰かに助けられてばかりです」


 樒はただ驚いて、自分より小柄な少女を見下ろした。お面のせいで顔は隠れているが凛とした声音から彼女が本心でそう言っていると分かった。

 その様子を見ていたハルは双眸を細めて、喉を鳴らす。


「それならば安心です。あなたさまは彼女に似ていますゆえ、あたくしは個猫的に気になっていたのです」

「ハルさまの飼い主さまに?」


 鈴音が腕を持ち上げてハルの喉元に触れと、ハルは嬉しそうに瞬きをしながら体重を預けてくる。ごろごろという振動がより強く指先に伝わった。


「ええ、優しく、芯があるところがそっくりです」

「そんな方に似ているなんて、もったいないです」

「あたくしの飼い主も言っていました。やはり、似ています。とても、懐かしくなるほどに」


 鈴音の肩から地面に降り立つと、ハルは空を見上げた。太陽は真上から西の空へと傾きつつある。


「長話をしすぎてしまいましたね。あたくしは仕事がございますゆえ、これにて失礼いたします」

「はい、ありがとうございます。お仕事、頑張ってください」

「ふふっ、仕事の応援をされたのも初めてです。それでは、また後日。お返事を受け取りに参りますのでよろしくお願いいたします」


 ハルが去るのを待ってから夕霧は、まだ手を振る鈴音に声をかけた。


「三条潔子さまからとあのは言っていたけれど、鈴音ちゃんのように妖魔と結婚することになった方?」


 三条家は四大華族の一つ。その系譜は平安前期、左大臣を務めた三条さんじょう義之よしゆき を祖とし、代々に渡り朝廷を支え続けてきた。

 ゆえに皇室より幾度も降嫁こうかたまわったこともある。

 四家の中でもその家格は群を抜き、威勢と格式はいまなお揺るがぬものとして知られていた。


「あまり詳しくは……。私は家からほとんど出たことがないので潔子さまという方は知らないのです」


 忌み子である鈴音は華族として社交の場にでたことはない。母も鈴音に話してはくれなかったため、知る由もない。


「私宛てでよかったんでしょうか? 旦那さまに渡したほうがいいのでは」


 手に持つ封筒を眺めて、首を捻る。春先らしく薄緑色に染められた封筒には鈴音の名前が書いてあるが、なぜ自分に届けられたのか分からない。こういう時は家主である真宵に渡すべきか、と悩んでいると夕霧は「読んでみたら?」と提案した。


「あの猫又は鈴音ちゃんの名前を出していたし、問題ないと思うけれど。旦那さまもこんなことで怒らないと思うし、もし怒られたら私から怒り返してあげるわ」


 と胸を張られたので鈴音は小さく笑う。夕霧が怒るところは想像できないが、そう言ってもらえると心強い。


「ありがとうございます。……誰かからお手紙をいただいたのは初めてなので、緊張しますね」


 どんなことが書いてあるのかどきどきしながら封筒を破り、中から便箋を出した。封筒と同様に爽やかな薄緑色に染められた便箋は、右下に若葉の絵が描かれている。綴られている文字は流れる川のように美しい。



 ❀



 拝啓

 強まる日差しに夏の気配を感じる今日此の頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、もうじき新たなる伴侶と共に生活を営み、早くも一月ひとつきが経とうとしています。妖魔と人間、異なる世界で生きてきた私たちが価値観を擦り合わせて協力し、生活をするのは困難を極めます。

 現に私は伴侶となる方と何度も衝突しあっており、これからの生活に不安を覚えているのです。

 このお手紙をしたためました理由は、同じ境遇にいる者同士で親睦会を行いたいと思ったのです。

 ご多用中とは存じますが、ご出席いただけましたら幸いです。

 季節の変わり目ですので、体調にはぜひお気をつけください。

                                    敬具

 5月10日

                               三条潔子・蘭丸


          記

      開催日時:6月1日午前10時より

      場  所:明皇館めいこうかん



 なお、お手数ではございますが、ご出席の返事を5月20日までにたまわりますよう、お願い申し上げます。



 ❀



「潔子さまも私と同じように妖魔の方と婚約したようです」


 文章を読み終わると、便箋を夕霧に見えるように掲げ、鈴音は嬉しそうにはにかむ。


 ——価値観を擦り合わせて協力し、生活をするのは困難を極めます。


 鈴音と同じように悩んでいる人がいることに安堵を覚え、また親睦会というものに興味がでた。


「あの、私、これに参加してみたいです」

「ええ、いいと思うわ。旦那さまには私から聞いてみましょうか?」


 いいえ、と鈴音は首を振る。


「旦那さまとお話するきっかけになると思うので、私から話してみます」


 真宵のことを理解できずに恐ろしがるだけでは駄目だ。少しでも自分から歩み寄り、夕霧を解放しなくては。


「私、頑張ってみます」


 鈴音が意気込むと夕霧は目尻を下げた。

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