第6話 絆されていく
たかが畑を食い荒らしたぐらいで
積年の恨みを晴らすために人間どもを化かして遊んでいたら、人間の犬に成り下がった妖狐に目をつけられてしまった。他の仲間が死んでいき、一匹生き残った伊紗那は故郷に帰り、父に泣きつこうと考えた。
そう思い、命からがら逃げようとしたが妖魔の長は余興を楽しむかのようにじわじわと伊紗那を追い詰めた。伊紗那が幻術で
けれど、妖狐の長とのやりとりを聞いていると女は対等の立場であることが伺えた。あの傲慢ちきないけ好かない妖狐の長が——確か鈴音という名の——女には少し弱く見えたため、利用することにした。
化け狸の本性は人を化かすことに有り。ここはか弱い子狸を演じて、妖力と体力が回復するまで機会を伺うのが賢明だろうと判断した。
(こいつ、邪魔だな)
手当てを受け終えた伊紗那が子狸らしく、少女の膝の上で丸まって寝たふりをしているとちくちくと背中に棘が刺さる気配がした。伊紗那は薄く瞼を持ち上げて離れた場所で自分を睨み続ける人物を盗み見た。妖狐の女——いや、男だろうか。変化の術は全身に薄らと妖力を張るので、目を凝らせば元の姿が視認可能だ。
(早くどっか行ってくれ)
心の中で切に願う。人間の膝に乗って、撫でられるだけでも不愉快なのに、忌まわしい妖狐と同じ空間にいるのは鳥肌ものだ。居心地が悪くて伊紗那が寝返りを打つと頭上で小さな
「起こしちゃった?」
顔を持ち上げると真っ赤な瞳と視線がかち合う。あれほど怯えていたのに、今は穏やかで春の日差しのように笑うので伊紗那は面食らう。
「もう少し、おやすみなさい」
小さな手が優しく背中を撫でる。ここは妖狐の
◆
伊紗那が目を覚ました時、窓の外は暗くなっていた。
(あの娘はどこだ?!)
この屋敷での唯一の安心処である少女の姿が見当たらないことに伊紗那は混乱した。もし伊紗那が一匹でいると知られれば、妖狐たちに殺されてしまう。まだ妖力が完全に回復していない状態で奴らに挑んでも勝算はない。
伊紗那は少女を探すために立ち上がった。その拍子になにかが毛並みを滑り、ぱさりと音をたてて畳に落ちた。見ると少女が羽織っていた着物が畳の上に広がっていた。
(なんで僕に?)
不思議に思い、羽織りを鼻先でつつくと背後から冷ややかな声が投げかけられた。
「それを傷つけるな」
驚きに毛を逆立てた伊紗那は牙を向く。
「それはお前よりも価値があるものだ」
「ふ、ふん! お前ら化け狐の言うことなんて聞くかよ!」
伊紗那は虚勢を張る。本心は恐ろしくて仕方ないが、自分は偉大なる
牙を見せて唸ると青年は、瞳にますます険を宿らせる。
「化け狸風情が。温情で生かされていることを理解した上での行動か?」
「なら殺せばいいだろ! できないくせに偉そうなこというなよっ!」
「いいだろう。ならば、望み通り殺してやる」
青年が纏う妖力が滲みながら膨張していく。
(幻覚か?!)
妖力に触れないように後退りした伊紗那は、出口がないか視線を素早く彷徨わせた。
「ぼ、僕が死ねばあの小娘が悲しむぞっ」
「ふっ、たかが狸の子ども一匹。幻術でどうとでもできるさ」
化かすのが大得意で幻術に対して耐性がある妖狸と違い、人間は幻術に対して耐性がない。見たところ青年の得意分野は幻術だ。伊紗那を駆除した後、少女に幻覚で子狸が生きているように視せるつもりなのだろう。
伊紗那が死を覚悟した時、場違いの足音が廊下から聞こえた。それとほぼ同時に青年の姿が霧が胡散するかのように消え去った。青年が開け放ったはずの襖も閉められており、伊紗那が目覚めた時と同じ光景が広がっている。
「あら、起きたの?」
すっと襖が開いたらお面をつけた少女が顔を覗かせた。その背後に静々と付き従う人間の女——に化けた妖狐を見て、伊紗那は心臓がはち切れるかと思うほど驚いた。
(まさか幻覚か? 全然気が付かなかった)
幻術を見破れなかったことに歯噛みしていると目の前に小さな皿が置かれた。一口程度の大きさに切り分けられた肉が置かれている。匂いを嗅いで、毒が入っていないことを確認してから少女を見上げた。
少女はお面の紐を解きながら「食べないの?」と小首を傾げている。
「お腹、空いていないのかしら」
「さあ、それか好みじゃないのかも。これなら食べるかしら?」
妖狐も小皿を置いた。そこには
(お前たち化け狐が用意したやつなんて食えるわけがないだろ!!)
しかし、昨夜からほぼ食べていないため、お腹が空いているのは事実。背に腹はかえられないと伊紗那は少女が持ってきた肉だけを食べることにした。こんな量じゃ腹は膨れないが、妖狐の持ってきた物は絶対に口にしたくはない。
「ゆっくり食べないと喉詰まらせちゃうよ」
伊紗那が肉を
あまりにも少女が優しく撫でるから。
あまりにも少女が嬉しそうに微笑むから。
それなのに、どこか寂しそうな顔をするから。
少しだけ、許してやろうと思った。
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