第3話
「だめだな。まったく匂わん」
ユメオはクンクンと動かしていた鼻先を止めた。ジャーマン・シェパードの嗅覚は、超高性能。8キロ先で揚げられたフライドチキンの匂いすら、正確に探知できる。ユメオの場合、超能力で強化することで、より繊細に嗅ぎ分けられるようになっていた。
にも関わらず、何の手がかりも得られていない。
間違いない。匂いの届かない遠方に、イロハはいる。
「まったく、役に立たないワンちゃんだこと」
履いて捨てるように、ルナが言った。
「犬よりも鼻の効かん猫は尚のこと、役に立たんだろ」
「まあ、そこらの地球猫ならね」
ふさふさの宇宙猫は、澄ました顔で首筋あたりをカイカイしている。
すると、ぴっ、と電子音が鳴って、どこからともなく工具箱のような電子端末が展開された。
ルナが、端末の表面を引っ掻く。左前脚で3回、右前脚で4回。ホログラムが起動し、宙空に映像がうつしだされる。
『エージェントシステム/起動しました/ルナルナ/ご指示をどうぞ//.』
「なんだ、これは」
ユメオが映像を覗き込む。
「トップシークレット。あっち向いてて」
ルナはふううっ、とひと唸り威嚇する。それからホログラムの映像を、爪を研ぐようにして操作する。画面が複数現れ、左右に動き、拡大され、消され、別の画面が拡大される。
あまりの蚊帳の外っぷりに、ユメオがしびれを切らした。
「おい、いったい何をやってるんだ」
「あっち向いてて、て言ったでしょ!……ただのGPSよ。イロハが持ち歩いているスマホの位置を探索できるわ。脳インプラントでも内蔵していてくれたらラクちんだったのに……まったく、地球のボロっちい技術に合わせなきゃだから、使いにくいったら」
ぶつくさと文句を言いながら、右へ左へ爪研ぎは止まらない。
見たことのない文字列が入力され、見たことのないアイコンが選択される。
『検索条件/人物の現在地調査/対象/三崎イロハ/地球/ホモ・サピエンス/メス/検索方法/古典的GPS探知/以上の条件でお間違え』
「お間違えないわ、早くしなさい」
ルナは人工知能相手にもそっけなく、言葉尻を丸呑みした。
爪研ぎ操作は止まり、やがて、無数に浮かんでいた処理画面が次々と閉じられていき、最後には一枚の地図の表示された画面だけが残った。
「見つけたわ。ここよ」
ルナが尻尾の先で地図上の一箇所を示した。白いドットが、てかてかと点滅している。
「よくわからん。この絵はどう見るのだ」
ユメオは、首を傾げた。彼は
「はんっ、出たわキモ犬。地図も読めないくせに、よくもワタシのことをバカ猫だのドブ猫だの言えたものね。いい? ここが今ワタシらがいるところ。で、この点滅してるところが、イロハの現在地よ」
「なるほど。つまり、この街を空から見た絵というわけか。俺は鳥じゃないから、わからなくて当然じゃないか」
「はーい、無視しまーす。ウダウダ言ってないで、行くわよ。意外と近いわ」
本当にユメオを無視して、ルナはホログラムを縮小する。ガジェットを首のあたりに収納しなおし、すたすたと歩き始めてしまった。
仕方なく、ユメオも後を追う。
狭い歩道を一列になって通る。
竹林を右側に見ながらコンビニの裏を抜ける。
やがて、小さな川がせせらぐ日差しのいい場所に。橋らしい橋はないが、一本だけ、川幅いっぱいに渡されたパイプがあった。渡る。ルナはひょいと飛び乗って、音もなく駆け抜けた。ユメオが乗ると、パイプはぎしぎしと不安な音を鳴らせた。
田んぼ道を抜ける。飛び交う昆虫を追う。ミミズの死骸を踏んづける。
ルナはぐんぐん進んでいく。迷いなく。ホログラムのナビゲートをチラ見しながら。
やがて、ルナの首筋から、ぴーぴーとアラート音が発された。
「ついたわ、ここよ」
「……ここに、イロハがいるというのか?」
「間違いないわ。ほら、白いドットと、ワタシたちの位置が重なっているでしょ」
ユメオはホログラムを覗き込み、そして周囲を見渡した。
「なるほど、確かにその機械が教えている場所はここのようだ。しかし、よく見てみろ、バカ猫。ここはどう見ても、三崎家の正門なんだが」
言われて、ルナも顔をあげた。
二匹の前には、立ちふさがる大きな門。その脇に、見慣れた「三崎」の表札が掲げてある。クリーム色の塀。はみ出した松の木。
まぎれもなく、ユメオとルナは、スタート地点に戻っていた。
「まあ、つまり、こういうことよ」
ルナは悪びれず、鼻を鳴らした。
「どういうことだ」
「あの子、スマホを家に置いてってるわ」
「つまり?」
「GPSじゃ辿れない」
「役立たずのドブ猫が」
「黙れ、能無しのボケ犬」
ばうばうっ、ふにゃー、と口喧嘩の応酬。
しかし、悪態をつきあっていても始まらない。ユメオは次なる手段に出る。
三崎家を守る巨大な門に、鼻先をこすりつけ、
「ひえ、汚ちゃなっ」
「しゃべりかけるな。門の記憶をたどる」
サイコメトリーだった。
物質がもつ残留思念を読み取り、この場所で、過去に、どんな出来事が起こったのかを教えてもらう。超能力のひとつだ。
ユメオは脳裏に浮かぶ断片的な映像に、意識を注ぐ。
見知らぬ男が、インターフォンを鳴らしている。
金髪、センター分け、サングラス。
開襟のシャツはワインレッド。首飾りが、三つ。
イロハが出てくる。荷物は肩提げのバッグひとつ。親しげに、男に触れる。
車だ。
男は車へと、イロハをいざなう。促されるがまま、イロハは助手席に乗る。
そして、男も運転席に着くと――。
「あっちだ。風が吹いている方向、でかい公園のある。イロハは変な男に連れられて、車であっちの方へ向かったようだ。車は黒塗り。おしっこ《マーキング》したら怒鳴られそうな類の高い車だ」
「三崎の主人が乗ってるやつ、みたいな?」
「あれは、ベンツとかいうやつだろう? それとは違った。なんかこう……手羽先のような」
「オーケー。素晴らしい語彙力ね。手がかり豊富で助かるわ」
言いながら、ルナは再び首筋をカイカイしてガジェットを呼び出す。
ホログラムの画面に爪を立てる。
『検索/場所/現在地/時間/昨日午前/対象/黒い車/金髪の男/検索しています……/結果/一件の情報が検出されました』
「ヒット。路上の衛星データアーカイブから、昨日の三崎家前を撮影した動画を抽出できたわ。三分だけ、だけど」
「ほう、データアー……よくわからんが、凄いな」
「当然。ま、あんたのサイコメトリーも、そこそこ微妙に役立ったかもね」
「ふん。行くか」
「ええ」
ガジェットが前方に映写する黒い車を追って、二匹は同時に駆けだした。
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