第4話
衛星データアーカイブを追って15分間。
走り続けた2匹は、普段の散歩コースを大きく離れ、見知らぬ道を歩いていた。
市役所。
フィットネスジム。
タワーマンション。
およそイヌネコには用のない建物が、所狭しと立ち並んでいる。
「なんか情報あった?」
「ガソリンと、廃棄物と、ヒトの群れの匂いがするな」
「ビンゴ。さすがね。見りゃ分かるわ」
大きな橋を渡りながら、二匹は無駄口を叩く。
ユメオは、さらなるサイコメトリーを試みた。しかし、どの建物にも、道にも、橋にも、手がかりとなる思念は残されていなかった。
そもそも、三崎家の門と比べて、これらは多くの情報を目撃しすぎている。都合の良い記憶だけを残してくれているはずがないのだ。
「待て」
地面に鼻をこすりつけるようにして匂いを嗅いでいたユメオが、ふいに、前方を行くルナを止めた。
ちょうど、橋を渡り終えようかという瞬間だった。
「なによ?」
「匂う」
「え?」
「あっちだ!」
ユメオが駆け出す。一気にルナを追い越し、横断歩道を走り抜ける。
歩行者用信号の緑色が、点滅しはじめる。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
普段はスカした態度のルナが、慌てて後を追う。
知らない街で猫一匹取り残されることに、不安があったのかもしれない。
ルナが横断歩道を渡る途中で、信号の点滅が終わる。
危険、の赤が灯る。
急接近してくる、大型トラック。
衝突するよりも早く、ルナのホバーが起動した。
一瞬でトラックの背丈を超える高さまで跳ねあがり、空中を前進する。足元から視線が集まるのを感じていたが、ルナはまるで気にしなかった。
周囲を見渡して、ユメオの姿を見つける。
公園の入口で立ち止まり、舌をへっへっと垂らしている。
そのそばに降りるべく、ホバーを操作していく。
「ワタシを置いていくなんていい度胸ね」
しゅぼぼぼぼっ、と逆噴射しつつ、着陸した。
ユメオはちらっ、とルナのほうへ視線を投げ、また前方を睨んだ。
そこは、街でいちばん大きな公園だった。
思う存分駆け回れそうな広大な芝生。夏休みを満喫中の親子がレジャーシートを並べている。
遠くの方に、遊具が見える。
夏休みのせいもあって、子ども連れが多い。
大人たちが木陰から見守っている。
「ここに何か、手がかりが?」
「見ろ」
ユメオが
どうやら、ぬいぐるみのようだ。全身茶色の悪趣味なキャラクター。
「あれって、イロハの……?」
それは、イロハがいつもバッグにぶら下げていたゆるキャラのマスコットだった。どこか地方のものらしく、なかなか手に入らないと自慢げに語る様子を、二匹は鮮明に覚えていた。
「間違いない。イロハの匂いを感じる。濃い」
ぬいぐるみがある、ということは。
イロハはこの公園にいた、ということに、違いない。
ぬいぐるみの残留思念を読めば、この先の足取りもわかるはずだ。
二匹の推理が合致したところで、ぬいぐるみを取り合う子どもたちのもとへ、父親らしき男が近づいた。
大きな体だ。ドスの利いた声で怒鳴る片手には、ビール缶が握られていた。
「面倒だな。大人が出てきた」
「ワタシに任せなさい。かわいい、はこういうときに使うのよ」
ルナが自信満々に言った。尻尾をゆらゆらと妖美に振りながら、ゆっくりとした歩みで一家に近づいていく。
何するつもりなのやら。ユメオは尻を落とし、おすわりの姿勢でそれを眺めた。
一直線に、しかし優雅さは保ちながら、ルナは大声の親父ににじり寄っていく。
やがて、怒鳴り散らしつづける父親のサンダル履きに、頭をこすりつけた。ふわふわの毛を堪能できるように、ゆっくりと。
次の瞬間。
親父は驚いて飛び上がり、1秒、2秒、ルナを見下ろした。
みゃああお、とごますり声で、ルナが鳴く。
その長い声が終えるかどうかの瀬戸際で。
ルナは、男に蹴り上げられた。
子どもが驚いて、声をあげる。その目線とほぼ同じ高さまで、猫の体は浮きあがった。
空中のルナめがけて、親父がビール缶を投げる。ルナは浮いたまま、バランスを取ろうと手足をばたつかせる。爪が、一緒のすれ違うビール缶の丸みにふれて、きっ、と小さな音を出す。
落ちる。
ユメオはただ、あっけに取られてそれを見ていた。一連の動きがゆっくりに感じた。あまりに突然の出来事だった。
しかし、地面に叩きつけられたルナに追撃しようと親父がにじりより、脚を振り上げたところで、我に返った。
と、同時に、怒りがこみあげてくる。
とっさに”伏せ”て、超能力で近くの小石を浮遊させ、親父めがけて投げつける。
と同時に、自身も駆け出した。
身を低く、黒い弾丸のように素早く、親父の足首に噛みついた。ユメオの鋭い歯が、皮膚に食い込む。
「ぎゃあ! なんだ、犬!?」
親父が驚き、慄くような声を出す。がつ、がつ、と小石が突撃する。
子どもが悲鳴をあげ、それを聞きつけた母親も寄ってきて悲鳴をあげた。
「離せ、離せ、コイツ!」
親父が引き剥がそうと、脚を振る。離すものか。揺られるたび、ユメオの口元から唸りがこぼれた。ユメオの中の怒りが、次第に大きくなる。何に対しての怒りなのか、判然としないままに。
親父の
「ユメオ、もういいから!」
背後の声に、ユメオは血走った眼球を向けた。ぐるる、と唸りが自然、漏れる。
怯えた表情で立ちすくむルナがいた。ふさふさの毛に、泥がついている。
「ユメオ、いいから、もう逃げよう。ワタシは大丈夫だから」
ユメオは、まだ離さない。ぐるる。離していいものか、判断しかねている。
「ユメオ、早く! アンタ、保健所に連れて行かれちゃうよ!」
ルナの指摘で、ユメオはようやく周囲の様子に気づいた。
子どもは泣き叫び、母親は怯えながら電話を耳にどこかへ通報しているようだった。
周囲にも人だかりができ、一様にカメラをユメオに向けている。
ユメオは親父の足首から口を離した。ルナの元へ駆け寄る。
「ほら、これ。アンタが持っておきな」
そう言って、獲物を離したばかりのユメオの口に、何かを押し付けた。
イロハのゆるキャラマスコットだった。騒動に乗じて、回収していたのだ。
親父がその場に倒れ込みながら、「つ、つつ、捕まえろっ、そ、そその野犬を! 殺せえええっ!」と誰にともなく叫んだ。
親父の命令に従う者が現れるより早く、ルナが、ごぽっと喉の奥を鳴らした。
スーパーボール大の毛玉が、ごろんと芝生を転がる。
次の瞬間、割れて、ねずみ色の煙が溢れ出す。
周囲数メートルを、煙のドームが覆っていく。
「こっち。行くよ」
ルナがホバーを起動させながら、ユメオの首裏を引っ張った。
まだ興奮冷めやらぬユメオは、ルナに引きずられるように、公園からの脱出を果たすのだった。
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