第18話 盤上の駒

 リズがテュラン修道院で古代知識を探求していた同じ頃、ザルエスは王都の宰相邸に向かっていた。


 夕暮れの王都は、各地の混乱とは対照的に、表面上は平静を保っている。しかし、街の随所に配置された兵士の数は明らかに増えており、緊張した空気が漂っていた。

 魔導士ギルドは閉鎖されたままで、各所で散らばっている瓦礫が宝珠暴発の凄まじさを物語っていた。


 宰相邸は華美な装飾など無い、実用的な造りの建物だった。しかし、白い石造りの外壁に刻まれた王国の紋章が、王家の第一の重臣の邸宅であることを示している。

 門前では衛兵が厳格な警備を行い、訪問者を慎重に確認していた。


「ザルエス・ドレイヴと申します。宰相閣下とお約束をいただいております」


「確認いたします。少々お待ちください」


 衛兵の丁寧だが緊張した対応に、ザルエスは王都の政治的重要性を改めて実感していた。


(ついに中央政府の中枢と直接対話することになった)


 伯爵からの紹介とはいえ、一介の男爵が宰相と直接会談するなど、通常では考えられない事態だった。


 重厚な扉が開かれ、ザルエスは宰相の執務室に案内された。室内は品格ある調度品で整えられ、壁には歴代王の肖像画が並んでいる。窓からは王城の一部が見え、権力の中枢にいることを実感させた。


「お忙しい中、お時間をいただき恐縮です」


 宰相は五十代後半の男性で、白髪混じりの髪を品良く整え、顔には知性と威厳が宿っていた。国政の実務を一手に担う人物として、その存在感は圧倒的だった。


「いえいえ、こちらこそ」


 宰相は穏やかに微笑みながらザルエスを迎えた。


「これほどまでに王国の安定に貢献しておられる方とお会いできるのは光栄です」


 丁重な挨拶だったが、ザルエスにはその言葉の奥に何かを探るような響きを感じた。


「恐れ入ります。微力ながら、王国のために尽力させていただいております」


「いやいや、微力どころか」


 宰相は書類を手に取った。


「各地からの報告を見る限り、東部地域だけが異常なほど平穏を保っている。これは偶然ではないでしょう」


 ザルエスの背筋に緊張が走った。どこまで把握されているのだろうか。


「商人ギルドの協力と、伯爵閣下のご指導の賜物でございます」


「なるほど、商人ギルドですか」


 宰相の目が鋭く光った。


「最近の商業政策について、興味深い動きがあると聞いております」


「はい……地方の実情に合わせた、柔軟な対応を心がけております」


「柔軟な対応……」


 宰相は立ち上がり、窓の方へ歩いた。


「卿のような実務能力のある方が地方におられることは、王国にとって心強い限りです」


 その言葉には称賛と同時に、何かを確認するような響きがあった。


「ところで」


 宰相は振り返った。


「私が思うに、西部の暴動はじきに収まるでしょうが、王都の混乱は続きそうです」


 ザルエスの心臓が早鐘を打った。これは単なる情勢分析ではない。


「その時は、ぜひ卿のような力がある方に、混乱を収めてほしいものです」


 言葉は丁寧だったが、その真意は明らかだった。宰相は、伯爵が言った「新政府樹立」について語っている。


「そ、そのようなお言葉をいただき……」


 ザルエスは動揺を隠しきれなかった。予想以上に、宰相が状況を把握している。


(この人は、どこまで読んでいるのか?)


 額に薄っすらと汗が浮かんでいるのを感じながら、ザルエスは必死に冷静を装った。


「もちろん、適切な支援体制があってのことですが」


 宰相の視線が鋭くザルエスを見つめる。


「そうでしょうね。それに……」


 宰相は意味深に微笑んだ。


「技術的な基盤も重要でしょうな」


 ザルエスの血の気が引いた。宝珠技術についても知っているのか。


「ぎ、技術的な……?」


「ええ。時代は変わりつつあります。古い手法だけでは、新しい課題に対応できません」


 宰相はザルエスの前に戻ってきた。


「卿のような先見性のある方なら、きっと革新的な解決策をお持ちでしょう」


 もはや隠すことは不可能だった。宰相はきっと、全てを知っている。


「はい……微力ながら、新しい時代に適した方法を模索しております」


「素晴らしい」


 宰相は満足そうに頷いた。


「それでは、今後ともよろしくお願いいたします。何かございましたら、遠慮なくご相談ください」


 会談は穏やかに終了したが、ザルエスの心は嵐のように乱れていた。


(自分は完全に読まれている。いや、最初から全て筋書き通りなのか……?)


 宰相邸を後にしながら、ザルエスは深い不安に襲われていた。自分が主体的に行動していると思っていたが、実際は誰かの手のひらで踊らされているのではないか──しかし、もう後戻りはできない。



 その夜、宰相邸の同じ執務室に、もう一人の来訪者があった。


 深夜にもかかわらず、宰相は疲れた様子も見せずに客を迎えた。扉が開くと、東部の名門、伯爵の威厳ある姿が現れる。


「お疲れ様でした」


 伯爵は軽やかに挨拶した。ザルエスとの会談とは打って変わって、和やかな雰囲気だった。


「閣下、彼はいかがでしたかな?」


「ええ、野望あふれる若き皇帝、実によろしいかと」


 宰相は微笑んだ。


「そうですか……」


 伯爵は満足そうに頷いた。


「それにしても、よくここまで育て上げられましたな」


 宰相が感嘆の声を上げた。


「商業面での手腕は確かですし、例の……革新的な手法も、なかなか興味深いものがありました」


「ご評価いただき、恐縮です」


 伯爵の表情に、微かな安堵の色が浮かんだ。


「ただし、これからが本番ですな。様々な調整が必要になるでしょう」


「おっしゃる通りです。中央の一部には、まだ……古い考えに固執する方々もおられますからね」


「幸い、理解ある方々が多数を占めつつあります。特に、実務派の貴族の皆様は、現実的な判断をされる」


「それは心強い限りです」


 伯爵は安堵の表情を見せた。


「ええ。何より、混乱の収拾を最優先に考える方が増えております。実は公爵閣下も、水面下ではそのようにお考えのようです」


「なんと、公爵閣下も? あの御方は玉座の隣では?」


「出来の悪い畑を耕すのは、お嫌だそうで。実だけを召し上がりたいそうです」


「なるほど」


 二人は穏やかに微笑んだ。


「ところで」


 伯爵が慎重に口を開いた。


「この国の形は歪んでしまっております。我々が、その形を整えなければなりません」


「まったくその通りです」


 宰相は深く頷いた。


「適切な調整が必要な時期に来ているでしょうね」


「そこで気になりますのは……大公殿下は、形が小さくなることに、お気を悪くされないのでしょうか? 大丈夫であろうとは考えておりますが……」


 伯爵の問いに、宰相は安心させるように微笑んだ。


「ええ。殿下は、大きさよりも形を気にされる御方。問題ないでしょう」


「それは安心いたしました」


「血筋による正統性を何より大切にされる殿下にとって、あるべき形こそが重要なのです。ご自身がお持ちの珠の方が、より丸いとお考えのようですから」


 宰相の説明に、伯爵は深く頷いた。


「殿下より、我々に期待するとのお言葉を賜っております」と、宰相は付け加えた。


「もったいないお言葉ですね。まあ、殿下の件で何かありましたら、南部には侯爵家もございますし、そちらを通じて対応できましょう」


「ああ、あちらの侯爵殿ですか」


 宰相の反応に、伯爵の表情が少し和らいだ。


「ええ、私の長女がお世話になっておりまして」


「そうでしたね。素晴らしいご縁組でした」


「ありがたいことです。何かと心強い限りで」


 伯爵は目を細めた。


「それにしても──」


 宰相が声を潜めた。


「国王陛下のお体の具合が、気がかりですな」


「そうですね……ご高齢でもありますし」


 伯爵も神妙な表情になった。

 宰相が続けた。


「陛下は、この度の動乱で、ひどく心を痛めておられます。たしかに、ご高齢でありますゆえ、何かあってもおかしくはありません」


「まったくです。王都での騒乱を、日々憂慮しておられることでしょう」


「そこで、陛下には、西の離宮でしばらく静養していただこうと考えております」


 宰相の提案に、伯爵は深く頷いた。


「それは良いお考えです。陛下には、真に心安らかにしていただきたいものです」


「ええ。信頼できる侍医と護衛をお付けして、万全の看護体制を整えます」


「陛下のご健康こそが、王国の安寧でございますからね」


「まったくです。先年亡くなられた王妃様も、お喜びになることでしょう」


 宰相の含みのある言葉に、伯爵は意味深な微笑みで応じた。


「それにしても、時代の変わり目というものは、常に複雑なものですね」


 宰相が感慨深げに呟いた。


「おっしゃる通りです。しかし、それぞれの立場の方が、それぞれの役割を果たせば……」


「ええ。きっと、皆様にとって最善の結果となるでしょう」


「東部は東部の、中央は中央の、南は南の……それぞれの特色を活かした統治が可能になる」


 伯爵の総括に、宰相は満足そうに応じた。


「多様性こそが、真の安定をもたらしますからね」


「おっしゃる通りですね」


「──それでは、そろそろ失礼いたします」


 伯爵は立ち上がった。


「今夜は有意義な話し合いができました」


 伯爵が礼を述べると、宰相も立ち上がった。


「こちらこそ。今後とも、よろしくお願いいたします」


「ええ。王国の未来のために」


 王国の行く末を憂う忠臣たちの会談。しかし、その忠義の先に──もはや王の姿はなかった。

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