第19話 故郷の兵士
男爵と宰相との会談から二ヶ月が過ぎた朝。ジョルジュは地下研究施設で、いつものように品質チェックの作業に取りかかっていた。
施設は大幅に拡張され、もはや工房というより工場に近い様相を呈していた。一部の施設はもはや地下には収まりきれず、地上にも建設された。
複数の作業ラインが整然と配置され、それぞれで専門の助手たちが黙々と作業を続けている。完成した宝珠は専用の棚に整理され、その数は既に五百個を超えていた。
一つ一つが美しく光を放つ球体は、まるで宝石のように陳列されている。しかし、その美しさの裏に秘められた破壊力を知るのは、この部屋にいるジョルジュだけだった。
「先生、本日分の検査が完了いたしました」
助手の一人が報告書を持って近づいてきた。当初は監視要員に過ぎなかった彼らも、この二ヶ月間でジョルジュの技術を学び、今では単独でも宝珠を製作できるようになっている。
「ご苦労様。品質に問題はありませんね」
ジョルジュは機械的に報告書に目を通した。技術改良への執念だけが彼を支えており、かつての理想への情熱は完全に失われていた。それでも、技術者としてのプライドだけは決して手放すまいとしていた。
「昨日で日産三十個のペースを安定して維持できるようになりました」
「そうですか……」
完璧な量産体制。二ヶ月前には夢にも思わなかった規模での生産が実現していた。しかし、その成功が大きくなればなるほど、ジョルジュの心は重くなっていく。
材料調達から品質管理まで、一貫したシステムが確立されている。助手たちは「先生」と呼んでジョルジュを慕い、技術を学ぼうとする熱意に満ちていた。技術継承という本来なら喜ばしいことが、これほど皮肉な形で実現されるとは。
「それでは、今日も頑張りましょう」
ジョルジュは深いため息を飲み込み、作業台に向かった。
同じ頃、城下町の外れにある訓練場では、二ヶ月間をかけて選抜・訓練された三百名の精鋭部隊が、最後の仕上げ訓練に取り組んでいた。
「整列!」
隊長の号令とともに、三百名の兵士が一糸乱れぬ動作で隊形を整えた。農民、職人、商人、元兵士──様々な出身背景を持つ彼らだったが、今ではすっかり精鋭部隊の風格を身につけている。
全員が男爵領内出身者だった。ザルエスは領内の人材を徹底的に調査し、魔法適性は低いが身体・精神両面で優秀な者を選抜した。年齢は二十歳から三十五歳まで、家族構成や人格も考慮した慎重な人選だった。
「宝珠、準備!」
各兵士が腰の袋から宝珠を取り出す。美しく光る球体を手にした瞬間、彼らの表情が引き締まった。二ヶ月前まで魔法とは無縁だった者たちが、今では自信に満ちた『魔導兵士』となっている。
「詠唱開始!」
三百の声が一斉に響いた。
「光よ、我に力を!」
瞬間、訓練場が眩い光に包まれた。三百個の宝珠から放たれた魔法の光が、まるで小さな太陽のように輝く。その光景は、見る者すべてを圧倒する迫力があった。
指揮官席では、ザルエスが満足そうに頷いていた。彼らは単なる兵士ではない。故郷を愛し、領主に忠誠を誓い、家族を守るために戦う戦士たちだった。
「実に素晴らしい」
ザルエスの隣で、伯爵が感嘆の声を漏らした。
「これほどまでとは……予想を遥かに超えている」
「二ヶ月間、彼らは必死に訓練に励んでくれました」
ザルエスの声には、部下への信頼と誇りが込められていた。
「地元出身者の結束力は格別です。家族も含めて生活を保障し、『領地を守る精鋭』としての使命感を醸成しました」
実際、兵士たちの士気は非常に高かった。訓練施設周辺の住民からは常に声援が送られ、地元の行事などにも参加を続けている。彼らは〝我らが精鋭〟として、領民全体から支持されていた。
「では、いよいよ実戦試験を」
伯爵の提案に、ザルエスは力強く頷いた。
演習場に設営されたのは、本格的な軍事演習だった。三百名の宝珠部隊に対し、近隣領から招聘した従来の魔導士部隊八十名が相手を務める。
観戦席には、伯爵と宰相を含む『新政府』の首脳陣が居並んでいた。東部貴族連合への軍事力実証デモンストレーションであると同時に、王都鎮圧作戦への最終確認でもある。
「始めさせていただきます」
審判役の貴族が両軍に合図を送った。
魔導士部隊は余裕の表情を浮かべていた。彼らから見れば、相手は所詮「地方の寄せ集め」に過ぎない。魔法の訓練期間も二ヶ月程度では、本格的な魔導士に敵うはずがないと考えていた。
しかし、魔導兵士たちは違った。故郷を守る戦士としての静かな闘志を宿し、慣れ親しんだ地形を熟知している。何より、同郷の仲間同士という絆で結ばれていた。
「開始!」
合図とともに、部隊が一斉に動いた。
まず驚いたのは、その統制の取れた動作だった。三百名が一糸乱れぬ隊形で展開し、瞬時に包囲陣形を構築する。地元出身者ならではの地形を活かした連携戦術が、見事に決まった。
「一斉詠唱!」
隊長の号令で、三百の声が響いた。
「光よ、我に力を!」
その瞬間、魔導士部隊は愕然とした。三百個の宝珠から放たれる魔法攻撃の規模は、彼らの想像を遥かに超えていた。約四対一の数的優位を活かした圧倒的な物量攻撃に、個人技能では対処のしようがない。
魔導士たちは必死に反撃を試みたが、一人が数発の魔法を放つ間に、魔導兵士部隊は数十発の攻撃を浴びせかけてくる。しかも、宝珠の持続力により、彼らは疲労することなく攻撃を続けられるのだった。
「これは……」
魔導士部隊の指揮官が茫然と呟いた。
「勝負にならない」
開始からわずか三十分で、演習は完全に決着がついた。魔導士部隊は、一方的に制圧されてしまったのである。
観戦席からは、感嘆の声が上がった。
「これは革命だ」
伯爵の興奮した声が響いた。
「魔法の『民主化』が、これほどまでの戦力向上をもたらすとは」
「既存の軍事理論が、完全に陳腐化しましたね」
宰相も深い感銘を受けているようだった。
「これなら王都制圧は確実でしょう」
東部貴族たちも、男爵領への畏敬の念を新たにしていた。一介の男爵領が、これほどの軍事力を保有するとは思わなかった。
一方、演習場の周辺に集まった地元住民からは、熱狂的な声援が送られていた。
「やったぞ、我らが精鋭!」
「すげぇじゃないか、マルクも魔法が使えるようになったのか!」
顔見知りの農民や職人が活躍する姿に、住民たちは我がことのように喜んでいた。彼らにとって、この勝利は領地全体の誇りだった。
ザルエスは静かに立ち上がった。
「諸君、見事だった」
彼の声は、訓練場全体に響き渡った。
「君たちは今日、歴史を変えたのだ。『選ばれた少数』ではなく、『訓練された多数』の時代の到来を告げたのだ」
兵士たちの顔に、誇らしげな表情が浮かんだ。自分たちが歴史の転換点に立っているという実感が、全員に共有されていた。
その夜、ジョルジュは地下施設で一人、演習の詳細報告を読んでいた。
圧倒的勝利。自分の技術が完璧に機能したことへの、職人としての複雑な満足感があった。しかし同時に、その技術が故郷の人々を戦争に駆り立てていることへの深い罪悪感も押し寄せてくる。
(顔見知りの人たちが……兵士になっている)
報告書に記載された兵士の名前を見ると、幼なじみや知り合いの名前がいくつも見つかった。彼らが自分の技術によって「魔法を使えるようになった」ことを、素直に喜んでいいのだろうか。
(俺の理想は『誰でも魔法を使える世界』だった。それは確かに実現した……でも、こんな形で)
街の人々の笑顔が思い浮かんだ。宝珠を手にして、生まれて初めて魔法を使えた時の感動。それは確かに美しい瞬間だった。しかし、その技術が戦争の道具として利用されている現実から目を逸らすことはできない。
(でも、もう止められない)
技術はひとり歩きを始めている。助手たちは既に単独で宝珠を製作できるようになり、量産体制は完全に確立された。自分がいなくても、生産は続けられるだろう。
(それならば……せめて最高の技術で故郷に貢献しよう)
屈折した決意だった。理想とは正反対の用途だが、故郷の人々の期待に応えることだけは裏切れない。技術者としてのプライドと、故郷への愛情。それだけが、今の彼を支えていた。
遠い将来、この技術が平和利用される日が来ることを祈りながら、ジョルジュは再び作業台に向かった。明日も、完璧な宝珠を作り続けるために。
窓の外では、故郷の星空が静かに輝いていた。
三日後の朝、ザルエスは書斎で最後の作戦会議を開いていた。
「王都鎮圧作戦を開始する」
彼の声は確信に満ちていた。
「宰相閣下との連携も完了している。我が男爵領の威信をかけた、歴史的作戦だ」
部隊長たちが神妙に頷く。彼らもまた、故郷出身の兵士たちへの絶対的な信頼を抱いていた。
「諸君らは、新しい時代の扉を開く。その誇りを胸に、作戦を遂行してくれ。諸君らの力で、王都を救うのだ」
明日の出発を前に、城下町には緊張と期待が満ちていた。家族や知人を部隊に送り出す住民たちが、最後の激励に訪れている。
地下研究施設では、五百個を超える宝珠が静かに光を放っていた。その一つ一つに、故郷の人々の期待と、ジョルジュの複雑な想いが込められている。取り返しのつかない歴史の転換点へ、すべてが動き出そうとしていた。
ジョルジュは一人、宝珠を見つめながら考えていた。
(この技術の行く末を……最後まで見届けなければ)
理想は失われた。しかし、技術者としての責任だけは残っている。作り出した者として、その結末を見届ける義務がある。
翌朝、兵士たちは王都へ向かう。その時こそ、技術者として最後の責任を果たす時なのかもしれない。
ジョルジュは決意を固め、隣の部屋の助手に言った。
「ザルエス様に取り次いでください。……私は、この目で最後まで見届けたいと」
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