第五話
人里から離れ、鬱蒼とした山小屋に荷台車をわざわざ運び訪れた赤茶毛の男は童顔に見えるが、二十代の半ば頃だ。名はルイスという。
今の世の英雄、白狼が白狼と呼ばれる前。まだ新米冒険者だった頃、その旅路を一時共にしていたことがあった。
その頃の白狼の名前はザナックと呼ばれていた。
当時でも彼の実力は素晴らしいもので、彼のその腕とその観察眼に、自分の知識を合わせて旅をしていたのだ。
時には命の恩人にもなったし、大分お世話になった。
やがて彼のすることの規模の大きさにはついて行けなくなり離れたが、英雄白狼となってからも、良き付き合いを続けていくことを望んでいた。
彼が隠居暮らしをしてからも。むしろ、そんな状況だからこそ、ルイスは定期的に彼のところへと訪れることにしていた。
やってきた来客の声に、ネールが目を覚まし、もそもそと目を擦りながら、二人の所に近づいてきた。
ルイスが興味深げにネールのことを一瞥した。
「白狼さん……いつの間に。伴侶の方ですか?」
「……弟子のネールだ。」
好奇の瞳で尋ねるルイスに、はっきりとそう告げるがどこか動揺している。
「あ……弟子です。……どうも。」
何故かちょっと恥ずかしそうに赤面し、顔を反らしながら言うネールに、師匠は釣られて恥ずかしい気持ちになる。
堂々と言って欲しい。
ルイスのヤツ、なるほど、と何かを納得したような顔をしている。
「ユコック村が……襲われたんですか?!」
朝食の食事をはるばる訪れてくれた来客のルイスにも一緒に振る舞い、あれよこれよと話しをした。
ルイスから話を聞けば、最初に襲われたのは、ネールの故郷ノーイ村だった。
その事について王都でも周知はされていたが、魔獣はどこかに姿をくらましてしまった。
そして当初にネールが危惧した通り、ネールが向かった隣村、ユコック村が今になって襲われたらしい。
しかしユコック村は全滅はしなかった。生き延びることができた数名の者の証言で、そいつの今の居場所が特定できたかもしれないということだ。
ネールは、今すぐにでも向かいたいという目をしていた。
確かに、敵討ちが目的なら、王国からの派遣の冒険者に先を越される前に行きたいだろう。
「ネール。焦る気持ちはわかるが……そんな気持ちになる時ほど、基礎を取り乱さずに磨くことが大事だ。」
「はい……。」
「というわけで、今日は……また山への往復だ。」
今日のトレーニングは以前の縛りより更にキツくて、重りも重量を増している。
ネールは木刀しか手持ちに持っていなかったので、以前に渡した細身の剣を、そのままネールの剣として使ってもらうことにした。
魔獣と戦う時も、そのままこの剣を使ってもらうと良いと思える。これにネールが得意の風を技を使えば、幾らでも応用が効くだろう。
ネールが山に向かっている間、白狼はルイスからいろいろな世間話を聞かせてもらった。山籠りの暮らしでは、何も情報が入ってこないので、とてもありがたいことだと思っている。
「白狼さん。山籠もりの暮らしをしてからも、全然お変わりないですが。少し心配で……。良い人が見つかったんならよかったです。」
会話の中で、ルイスがこんなことを言う。
「……ネールはただの弟子だ。ノーイ村の生き残りだ。魔獣を倒す復讐を果たす目的のために、俺に弟子入りをしている。」
「魔獣を倒した後はどうするんだろうな?」
白狼は平静を装った態度で、ルイスの方にそう投げかけるが、ルイスはうんうんと聞き流している。
白狼は隠居暮らしをしてからも相変わらずの隙がなく鋭い眼差しは変わっていなかったが、何処か暗く、会話も億劫そうな態度になるばかりだったので、……何か元気になったような感じがする。
昼も過ぎた頃に、ネールが戻ってくる。きちんと言われた食材も全部採ってきていたし、それ以上の果実がいろとりどりたくさんあった。
「これはすごいな。大したもんだ。」
実は、ネールの拘束具と重りの重さを考えると、ここまで速くもどってくるのはかなりの目覚ましい速度で体力が上がっている。
多少は心配だったのだが、これではもう魔獣相手に遅れはとらないのではないか?
師匠はネールの拘束具を外してやる。
「わー、すごく、身体が軽くなった感じがしてびっくりします」
「白狼さん、ネールさん、では、僕はこの辺で失礼しますよ。」
ルイスが別れの挨拶を告げて離れようとしている。
「ちょっとまってくれ。ルイス。……ネールの稽古に付き合ってくれないか?」
「え?……稽古ですか。まあ、構いませんけど。」
昨日の稽古では、俺はかなり本気になっていた。俺が全部攻撃を止めてしまったのだが、相手が俺だけではネールが自分で実力を実感できないかもしれない。
「やああ!」
「……くぅ!」
ネールは剣技を交わす間合いより大分遠いところから飛び跳ね、ルイスの元に詰めより、剣撃を舞わせていた。
強い。あまりにも強い。防御に尽くすしかなくなっているルイスは溜まらず声を放った。
「まいりました。無理ですよ。はぁ。……白狼がさんが弟子を迎えるなんてと思いましたが。さすがですね。」
昔、自分が稽古づけてくれと頼んだ時には確か断られた覚えがある。
「ルイスさん。ありがとうございました。」
ルイスだって、中堅冒険者としての腕をかなり昔に超えて磨き上げていたものだったはずなのだが。
これでは、すぐにでも魔獣討伐に向かえそうである。
「あの。ルイスさんいろいろありがとうございます。せめてお礼に夕食も食べていきませんか?」
「いやあもう僕はいいっすよ。夫婦の夜の時間邪魔するのも嫌ですからね。」
まだそう言うか。師匠もネールも何も返す言葉もなく沈黙した。
「それじゃあ、また近いうちにでも来ますよ。」
「ああ。助かってる。また来てくれ。」
今日はまだ夕暮れに遠い。
「穀物がこんなにたくさん。うれしいですね。」
ルイスが持ってきた穀物の山を見て、ネールが感嘆する。
「油も作ったし。蜂蜜もとってきたし。果物もあります。私、パイを焼きますね!」
稽古はもう終わりだ。ネールの器量の良さ故か。
気が付けば生活にお互い何をすればいいのか、会話もなく、息が合う様になっている。
ここでの俺との2人暮らしの生活を心の底から愛おしく思ってくれているようで、せっせとこの小屋での家事に励み始めた。笑顔が可愛かった。
「ネール……」
どういうわけだろう、その笑顔を見ていたら今はネールが何も誘惑してきたわけではなかったが気が付けば勃ってきていた。どうやら股間の逸物が既に嫁だと認識しているらしい。
「へえー。お酒もあるんですね。師匠。お酒、飲まれるんですか?」
二升半ほどの大きさの酒もふたつほど持ってきてくれていた。これは都市からの寄贈品のようだ。
英雄白狼の元へ訪れると言えば、こうして手土産を用意してくれる人は多いのだ。
「飲めなくはないが……いや、いい。このまま部屋の隅にでも置いておこう。」
こちらを上目遣いで伺ってくる少女の目つきは愛らしく自分の逸物をより硬くさせる。
飲めなくはないがこれはまずい。くそ。どうやら酒まで運ばれてきた。かなりまずい。
「師匠……、」
ネールがこちらをじっと見つめている。様子が違うことに気が付かれたのかもしれない。
「薪を採りに行ってくる」
狼狽し高鳴る鼓動をなだめながら、師匠は小屋から出て行った。
夜になり。
師匠はいつも通り温泉に浸かっていた。
向こう側の湯に誰かが入ってきた音がする。
ネールか?
振り向くとそこには、狸がいた。めずらしい。狸も温泉に浸かるらしい。
何を残念がっているんだ俺は。
今日はなぜか疲れたな。早朝から、ルイスの来客があったからか。
長年の独り身での暮らしにネールが訪れ、そこにルイスがやってきた。久々の賑わいだった。
ため息を付き、平静を取り戻そうとした。
嫁に子供か……そうか、居てもいいのかもしれない。
どうせこのまま、独り死を待とうと思っていた身だ。
そうか……。……いいのかもしれない。
※ ※ ※
あとがき & イラスト
https://kakuyomu.jp/users/Yellow32/news/16818792438952633982
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