第十八話:悪意の変貌

2042年7月10日

覚醒者・ケンジ

都市近郊・廃工場地帯


錆びついた鉄骨がむき出しになった、広大な廃工場。その中央で、ケンジけんじは、玉座のように積まれたドラム缶の上に座っていた。齢二十代後半。元暴走族リーダーだった彼は、その有り余る暴力性と支配欲を、覚醒という新たな力で増幅させた男だ。彼の周囲には、彼を恐れ、媚びへつらう若い覚醒者の部下たちが数名侍っている。


部下の一人が、弱々しい探索者グループから奪ってきた希少な魔石を、ケンジに差し出した。


「ケンジさん、今月の『上納品』です。こいつら、かなり渋ってやがりましたが…」


「ケッ! よくやった。力こそが全てだ。文句がある奴は、俺の前に出てくればいいだけの話だ」


ケンジは魔石を受け取り、高笑いした。彼は、自分の腕に埋め込まれた個人端末を操作し、自身のカルマ値を表示させる。その数値は、危険水域を示す真っ赤なマイナス表示だった。


「見ろよ、俺様のカルマ値。箔が付いただろ? 天国に行けねえ? 上等じゃねえか。俺は死後の世界なんざ信じねえ。この世で、今この瞬間の力が全てなんだよ!」


部下たちは、その狂気に満ちた目に怯えながらも、乾いた笑いで同調する。


その日の昼下がり。ケンジと部下たちは、一人の若い覚醒者を囲み、リンチを加えていた。彼の縄張りを荒らしたという、見せしめだった。若い覚醒者は、ボロボロになって地面に倒れている。


「てめえ、俺の縄張りを荒らしといて、タダで済むと思ってんのか?」


「すいません…もうしませんから…」


か細い声での懇願も、ケンジのサディスティックな欲求を煽るだけだった。


「口の利き方がなってねえなあ!」


ケンジは、とどめの一撃を加えようと、その覚醒した力で強化された拳を、大きく振り上げた。

その、瞬間だった。


ケンジの全身から、フッと力が抜け落ちる。彼の体から、これまで力の源泉だった白いモヤの気配が、まるで霧が晴れるかのようにスッと消え失せていくのを感じた。


「あ…?」


彼のステータスを示す腕の端末の数値が、見る見るうちにゼロへと落ちていく。鍛え上げたはずの筋肉は萎え、超人的な力は失われ、ただの人間以下の状態になった。振り上げた拳は、力なく地面に落ちる。


「な、なんだこれは…!? 力が…俺の力が…!」


初めて経験する無力感。存在の根源が揺らぐような恐怖に、彼の顔から血の気が引いた。


ケンジが愕然としていると、地面の影から、あるいは空間の歪みから、黒いモヤが滲み出し、彼の足元にまとわりつき始めた。

部下の一人が、恐怖に引きつった声を上げた。


「ケンジさん!? そいつは…!」


黒いモヤは、蛇のように彼の体を這い上がり、皮膚を突き破って体内を侵食していく。


「ぐっ…ああ…あああああっ!」


猛烈な頭痛。内側から体を焼き尽くすような激痛。彼の体が、人間のものではなくなっていく。骨が軋み、肉が盛り上がり、皮膚がただれる。


「グガアアアアァァァッ!」


彼の口から、おぞましい咆哮が上がった。彼の肉体は、見る見るうちに、巨大な牙と鉤爪を持つ、半獣半人の醜悪なモンスターへと変貌していく。

しかし、そのモンスターの目には、人間の頃の、狡猾な知性の光が宿っていた。

自分が化け物になっていく恐怖。しかしそれ以上に、以前とは比較にならない、禍々しい力が体に満ちていくのを、彼は感じていた。その口元は、歪んだ歓喜に吊り上がっている。


部下たちは、変わり果てたリーダーの姿に恐怖し、散り散りに逃げ出そうとした。


「に、逃げろーっ! あいつはもう、ケンジさんじゃねえ!」


しかし、モンスター化したケンジは、人間の頃の知性で彼らの逃げ道を塞いだ。そして、以前とは比べ物にならない速度とパワーで、彼らに襲いかかる。

悲鳴が、廃工場に響き渡った。


この「覚醒者モンスター化事件」は、瞬く間に世界中に報道され、新たな恐怖の始まりを社会に告げた。力の使い方を誤れば、誰もが「魔物」になりうるという、残酷な現実を突きつけて。


光に見放された魂は、闇の格好の器となる。この日、人類は自らの内なる悪意が生み出した、最も狡猾な敵と対峙することになった。それは、英雄の物語の裏側で、常に語られ続けるべき、力の代償についての、忌まわしい教訓であった。

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