第二部:深淵 - The Abyss
第八話:地下の脈動
2037年2月12日
地質学者・藤原 秀明
政府管轄・地下観測施設
静寂が、薄暗い施設内を支配していた。モニターの青白い光と、サーバーの低い動作音だけが、時の経過を告げている。壁には、日本列島の巨大な地層マップが、複雑な等高線を描いて映し出されていた。
地質学者・
二十年にわたるヒーローたちの戦いは、数年前にようやく終結した。世界は、深い傷跡を残しながらも、表向きの平穏を取り戻している。秀明の仕事も、世界樹の根が地殻に与える影響の定常観測という、地味で退屈なものに変わっていた。
その時、秀明のモニターの一つが、微かな警告音と共に、異常な波形を表示した。それは地震波とは全く異なる、奇妙に規則的で、まるで何かが構築されていくような波形だった。
インターホンから、同僚の気だるげな声が響く。
「藤原さん、また例のノイズですか? 上層部は機器の故障だって言ってますよ」
秀明はマイクに向かって応えた。
「いや…これはノイズじゃない。何かが『構築』されている音だ…」
秀明は、過去のデータファイルを開いた。そこには、叔父・拓海が遺した、2017年のオウムアムアに関する不可解なデータが、最高機密として保管されていた。今、目の前で発生している波形と、叔父のデータに記録された未知のエネルギーパターンが、不気味なほど酷似していることに、彼は気づいていた。
叔父さんが見ていたのは、これだったのか…?
科学者としての好奇心と、得体の知れない不安が、彼の心を支配し始めていた。
上層部に報告しても「観測機器のノイズ」として処理されるだけだと判断した秀明は、単独で、より危険な深層の観測ポイントへ向かうことを決意した。ヘルメットを被り、ヘッドライトを点灯させる。彼の足音だけが、無機質なコンクリートのトンネルに響き渡った。
壁面には、数年前に設置されたはずの観測用ケーブルが、まるで植物の根のように岩盤に食い込み、ぬめりのある奇妙な苔に覆われている。地中の環境そのものが、未知の要因によって静かに変質していることを示す光景だった。
彼は、非科学的だと一蹴してきた「黒いモヤ」の存在を、初めて現実のものとして感じ始めていた。背筋に、冷たい汗が流れる。
観測地点の終点。その先に、ヘッドライトの光が届かないほどの、巨大な地下空洞が広がっていた。自然にできた洞窟ではない。明らかに、何者かによって「造られた」空間だった。
秀明は、息を呑み、一歩足を踏み入れる。空洞の壁は、まるで巨大な生物の内壁のように、ゆっくりと脈動している。空気が、邪悪なエネルギーで満ちているのを肌で感じた。
彼は、空洞の奥に、何かがあることに気づいた。
黒いモヤが、濃密に渦巻いている。その中心で、まるで心臓のように明滅する、奇妙な結晶体。それは、かつて彼が夢中になったゲームに出てきた、ダンジョンコアそのものだった。
「まさか…本当に…こんなものが…」
彼の科学的常識が、完全に覆された。これが完成すれば、この地中から、一体何が現れるというのか。彼は、震える手でデータ端末を取り出し、この光景を記録しようとした。
秀明が記録を開始した、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
施設全体を揺るがす、激しい地響きが発生した。彼が立っている地下空洞そのものが、轟音と共に崩壊を始めたのだ。
「しまっ…!」
天井から巨大な岩塊が、雨のように降り注ぐ。壁に亀裂が走り、足場が崩れ落ちていく。
彼は必死に出口へと向かって走るが、間に合わない。巨大な岩塊が、彼の頭上に影を落とした。
彼の意識は、そこで暗転した。
後日、政府の公式発表は、原因不明の大規模な地殻変動による、観測施設の崩落事故、とされた。藤原 秀明の名は、殉職者リストに加えられた。彼が最後に見たものの真実は、誰にも知られることなく、深い地中の闇に葬られたのである。
藤原 秀明の警告は、誰にも届かなかった。しかし、地底の脈動は止まらない。人類が偽りの平穏を謳歌するその足元で、世界を覆い尽くす迷宮、ダンジョンは、静かに、そして着実に、その入り口を開こうとしていた。
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