第9話 暗黒森林
夜の森は、意外と思ったより騒がしい。
ライオはそう思った。
虫がないている。
りーん、りーんとなく声や、ハエや蚊などの羽虫の音、時折まわりではためく蛾の羽の音たち。
ライオにとっては、そのにぎやかさがありがたかった。
今、一メートル先の景色すら、見えなかった。
月明かりすらもが届かない。そんな場所に、彼はいた。
上を見れば、何も見えない。
ただ暗闇のとばりが自らの視界にふたをしている。
昼でさえ暗い森林の中。
夜では、それは真の暗黒森林と化していた。
――これは、警戒の意味があるのか?
ライオはそう思った。
耳を澄ませば、昼よりにぎやかな昆虫たちの大合唱が聞こえる。
しかし目を開けば、そこは真の暗黒だ。
本当に、何も見えないのだ。
例えば、自分の手をすっと前に出してみたとする。
自分の手が、どこにあるのかもわからない。
自分の体すら認識ができない。
ライオはぶるりと震えた。
こんななかで、一体どう警戒すればいいというのだろうか。
そうはいっても、明かりをつけるわけにはいかない。
そんなもの、『ここにエサがありますよ』と言っているのと一緒だ。つまり、自殺行為だ。
ライセンス試験の講座で、このような状況にいるときにはどうすればいいのか、習ったことがある。
その時、担当のシーズはこう言ったのだ。
――――全力で、耳を澄ましてください。
それは何も説明していないのと一緒だった。
もっと何か気の利いた冗談は言えないのか、と今になってライオは思った。
しかし、同時にこうも思った。
本当にそれ以外に、できることがない。
目を、閉じてみる。
暗闇だ。
目を、開いてみる。
何も変わらなかった。
ただ、何か見えたかなという錯覚がやってくるだけ。
今この瞬間にまぶたの感覚神経を持っていかれたら、自分が目を閉じているかいないかの区別もつかないだろう。
真の暗闇。
事前に知ってはいたけれども、体験するのは初めてだった。
ふわりと、頬にやわらかい風が吹く。
しかし、真の暗闇であるのは、
ふうっ、と息を吐いて。
ライオはかちゃりと、自らのリーズガンを構えた。
事の始まりは少し前からだった。
不思議な電子板を拾ってからのこと。
ライオとエナで、交代交代でシーズを背負い、休憩をはさみながら塔へと向かっていたところ。
「夕方か……」
葉の隙間から光がさす方向がめっきり傾いて、ライオはそのことに気が付いた。
「野営の準備しよ、エナ」
「うん」
一応、その時から、原生林の中で夜を明かす時は暗闇との戦いになる、とライセンスの勉強で知っていた。
だからできる限り早めに野営の準備をすることにした。
シーズを木に寝かせておき、カバンから吊り下げ式テントを取り出し、木々の幹に縄をつなげ、寝床の確保をする。
そして夕食を取った。
食事は、カバンに入れておいた冒険用糧食を三つ。
さくさくとして、若干フルーティーな味わいがほのかについたそれを、エナと一緒にテントの前でもくもくと食した。
「あんまりおいしくない」
「うん。腹減ったな」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
おなか一杯食べたのに、おなか一杯になった木が全然しないという不思議な状態で、糧食のごみをカバンに戻して後片付け終わり。
そして、じゃんけんをした。
「「じゃーんけーんぽいっ!」」
出した手は、エナがグー、ライオがパー。
「ということで、エナが先に見張りでーす。俺は寝ます」
「むー、ずるい」
そういうことで、ライオは先にテントに入っていた。
とはいっても、寝る時間までには少し時間があった。
いくつかライオにはすることがあった。
まず、シーズの介護だった。
未だ、シーズは目を覚ましていなかった。
「息は……あるか」
寝そべっている彼女の鼻もとに手を持っていくと、呼吸の感触がある。
手をもって手首に指をあてると、脈は動いている。
まず、ライオは自分のカバンを枕にして、シーズの体を少し起こした。
次にシーズのバッグから水筒を出して、それを持ち主の口元に近づけて。
それから口を開けさせて、水筒をゆっくりと、口に向けて傾けた。
少し、水が口の中に入る。
そこで水を入れるのをやめて、口を閉じさせて。
ごくりと、シーズの喉が嚥下をした。
「どんだけ飲ませりゃいいんだろ……」
さすがに、仲間がこれだけ長い間気絶した状態で、まだ生きているときの対処法は、協会のライセンスの勉強でもあまり詳しく教えてくれていなかった。
ただ、気絶した時の水の飲ませ方、食事の取らせ方を少し学んだばかり。
今度はシーズの体から糧食を取り出して、ぱきっと二つに折る。
その半分を自分の口に入れて、もぐもぐと咀嚼する。
どろっとした状態になったのを舌で確認してから、ライオはシーズに寄り添うように近づいた。
そして、その上に覆いかぶさるようにして、顔を近づける。
――――ファーストキスが、介護かぁ……
というような、謎の感慨を覚えてから、ライオはシーズの口を開かせ、そこに自らの口をあてた。
――――やわらか……
せっかくのキスだ、初めてだし、いろいろ感じて楽しもうじゃないか。
そう思って羞恥心を何とか振り払い、口の中にある糧食を、舌を使ってぐっと押し出す。
「んっ、ふっ」
もっと、喉の方へ。
ぐっ、と子供の小さな舌を、限界まで伸ばして。もっと口を強く押し付けて、できるだけ奥の方へと押し込んでいく。
ごくん。
シーズの体が、それを飲み込んだのを感じた。
「ぷはっ」
そして、口を外す。
――――体、あつ……。
そして、手元の糧食に目を落とした。
「もうひときれくらいで良いか……?」
――なんか、やけに疲れるな、これ……
最初は四きれ、つまり糧食二つ分食べさせようとしたのだが。
なぜだかこの作業があまりにも体力を使うので、ライオは半ば放り出しかけた。
仮にも性行為なのだろう。と、ライオは子供ながらに接吻の強烈さを思い知った。
結局、何とか頑張って合計四きれを食べさせた。
「っ、はあっ、はあっ、はあ……きつ……」
――今度からはエナにやらせよ……
ライオはそう硬く心に誓った。
ものすごく心がざわざわする。なんかこれ以上やると心によくなさそうなので、今度はエナに任せよう。同性ならきっと大丈夫だろう。ライオは大した根拠もなくそう思った。
そして、ライオは自らの寝床を用意して、眠りにつく用意をして。
それから、もう一つのやるべきことをやることにした。
シーズのカバンの中に、あの電子板がある。
「ふっ…………!!!」
満身の力を、脚と腕に込めて。
「ぐおっ、あっ……!」
なんとか、カバンから電子板を持ち上げる。
ばすんっ!
それから、地面にそれを放り投げた。
どうせ頑丈である。多少下手に扱ってもいいだろう。ライオはそう思った。
このことは、すでにもうエナにも伝えてある。
個人的な電子板の研究にライオは取り掛かることにした。
かちゃり、とライオが取り出したのは、こども
それを、地面に横たわっている電子板に向ける。
電子板は裏を向いている。
今のライオの目的は、あの時の状況を、できるだけ正確に再現することだった。
まず、裏側の花の紋章めがけて、リーズガンを放つ。
カチッ、カチッと。
全くの無反動、全くの発射音なしで、二発の光の筋が花の紋章に吸い込まれていく。
ここまでは、異変なし。
問題は、次だった。
つい先ほどテントを閉じる前に、エナに出してもらった荷物。
おとな
を、ライオは手にした。
「意外と重っ……」
ライオのもらった空気圧式銃の一.五倍ほどの重さがある。
そして、とても持ちにくかった。グリップが子供用ではないうえ、銃爪に手も届かない。
まずは安全装置を『安全』から『発射』に切り替えて、ライオは電子板に銃先を向けた。
「ふぅー……っ」
そして、一つ息をついて。
もしこれがうまくいけば、また電子板を起動できる……。
左手のグリップにぎゅっと力を込めて、銃爪に右手の人差し指をかけた。
そして、ぐっと、人差し指に力を込めて。
引く。
カチッ。
ジュッ!
何かが蒸発するような音。
そして、電子板の後ろに、極太の光の矢が吸い込まれた。
どくんと、ライオの心臓は高鳴った。
これで、電子板が……。
銃を構えた状態のまま、ライオはじっと、電子板を見ていた。
少し待つ。
あの時も、光が出るまで少し時間がかかった。
だから、まだ。
「…………」
なかなか、光らない。
一分以上待っているはずなんだけども、まだ……。
「だめか……?」
三分待っても、まだ、電子板の下から光が漏れ出ることはなかった。
電子板の端に手を滑り込ませて、ぐっと端を上げてみる。
のぞきこんでも、操作表面は光らなかった。
「うーん……」
何がいけなかったのだろう。
もしかすると、充電が足りなかったのかもしれない。
もういちど、こどもリーズガンをライオは構えた。
「よいしょ」
カチッ、カチッ、と銃爪をにぎって、
「ふんっ」
今度はおとな
「…………」
しかし、電子板は光らなかった。
ならば、とライオは、もう三発、おとな
「うわっ」
じゅう、と音がした。
そして、なんか暑かった。
やべえ、やりすぎたかも……。
そうライオは思って、カーテンのジッパーを開けた。
「あれ? ライオどうしたの?」
きょとん、とした顔が、外からのぞき込んでくる。
外はもう、かなり薄暗くなっていた。
そもそも暗かったのが、今はさらに暗くなっている。
街での基準では、街灯のついた裏路地の夜くらいの明度だろう。
「ごめん、ちょっとリーズガン撃ちすぎた。テントの下溶けたかも」
「えーっ、ちょっとなに勝手に他人の銃の残段数減らしてんのよ」
「もらった
「むー。で、
「いや、それが……」
ライオは、テントの中で横になっている電子板の方を見た。
「音沙汰がなくって」
「うーん、じゃあ充電じゃないのかな……」
「もしかしたら俺たちがやったのは最後のひと押しだったってだけで、もともとはもっとたくさん充電が必要だったのかもしれん」
「試すつもり?」
「どうする……?」
「さすがに確証ないのに残弾数全部撃ち切る可能性あるのを確認するのはどうなのよ」
「だよな……」
ということで、電子板のことはひとまずお蔵入りだった。
電子板はカバンの中に(なんとか)元に戻し、テントの床がちょっと変な色になっちゃっているのを確認し、ライオは横になった。
そして、太陽が完全に沈む。
暗っ、とライオは思った。
本当に真っ暗闇だった。
原生林の中の暗闇を初めて感じて、恐怖すら覚えた。
「エナ、大丈夫か?」
そして、聞かずにはいられなかった。
それはエナへの心配というよりも、自分の恐怖を紛らわせたいがためだった。
「いや、めっちゃ怖い」
暗闇の向こうから、音だけの返答がはっきりしている。
「火とか炊いちゃだめなのかな……」
すこし不安そうなエナの声が、そう言った。
「原生林の生き物は余裕で火とか怖がらないからな……」
ライセンス試験で習ったことを、ライオは口にする。
原生林の生き物は、その外の生き物と常軌を逸しているのだ。
外で当てはまるそれが、この世界で当てはまるとは必ずしも限らない。
「そっか……」
不安そうなエナの声。
「…………」
それを聞いて、ライオは寝床から体を起こした。
「ライオ?」
そして、テントのジッパーを手探りで見つけて、それを開き、外に出た。
外に出ても、その姿が全く見えなかった。
人間がその生涯においてどれだけを視界に頼っているのか、よくわかった。
ほんの近くに居るはずなのに、どこにいるかも距離すらも測れない。
反射的に顔を左右に動かしてみる。
しかし、手には入る情報量は、全く同じだった。
森にすむ熊の聴覚が発達していて、目があまりよくないのはそう言うことだったのかと、ライオはこの時に分かった。
「エナ、どこだ?」
「ここ、だけど。ライオ、外に出たの? なんで? こっち、手」
「ああ」
エナの方に手を伸ばすと、その手に触れることができた。
やけに、その手の感触がよくわかった。
自分よりも小さくて、それでいて少し汗ばんでいる。
その手が引っ張る方向へ、ライオは近づき、そして座った。
す、と体と体が触れあった。
「眠れないから一緒に見張りしようかなって」
「え……」
ぴくり、とエナの体が動いた。
表情がうかがい知れない。たぶん、驚いた顔をしているのだろう。
この暗闇の中では、これだけ近づいても、全くと言っていいほどに互いの顔が分からない。
ただ、体によって表現される感情の機微だけが、それを推測する頼りだった。
「うん、ありがと……」
す、と体が前後に揺れる。
たぶん、うなずいたんだろうな、と予測ができた。
本当に何も見えない。
そして、いつ、なにがここに来るかもわからない。
恐怖でしかなかった。
一人で外で見張りをするという感覚を考えると、全身の毛が逆立つような感覚がした。
それに一人で寝れる気もしなかった。いつも寝ていた孤児院では、カーテンを閉じた状態でもまだ明るかったと思えるほどに。
まだシーズが起きていたら話は違ったのかもしれない。
しかし今は、自分たち、ほんの子供たち二人しかいなかった。
「ふう……」
ライオはため息をついた。
もし寝られるのならば、今すぐにでも寝てしまいたい。
体を襲う疲労が限界だった。
シーズが気絶してから、ずっと気を張っていた。
それに、まともに休むこともなく、ずっと、歩き続けた。
シーズという、電子板を抜きにしても重い荷物を運んで、交代しても電子板の入った荷物とカバンを運んで。
安心できる空間があれば、目を閉じる間もなく寝ているだろう。
そんなレベルの眠気。
だというのに、寝れない。
不思議な感覚だった。
頭が焼き切れるような、頭が休息を必要としているのに寝られない。生まれて初めて感じる感覚。
おそらく、エナも同じなのだろう。
今、頼れる相手は、互いに互いしかいなかった。
もし、一人でいるのならば。
おそらく、この暗闇に耐え切れずに、どうにかなってしまっていたことだろう。
二人でもすでに、なのに。
「くあ……」
エナの、あくびをする音。
「もう眠くなったのか?」
「ん……ごめん、ちょっと……」
こんな状況で、エナは眠れるのか。
ライオはちょっとした驚きを感じた。
「いいよ。寝て。いい感じの時間で起こすから」
「ん……」
そう言って、エナの体が、自分の横でもぞりと動いた。
体重が自分の方にかかってくる。
自らの体を縮こめて、自分に寄りかかって、頭を自分の肩に預けてくる。
間もなくして、寝息が聞こえてきた。
よく寝れるな……。
ライオは思った。
怖がりなのか図太いのか、よくわからない。
隣の人が寝れば自分も寝られるかも、と思ったが、そんなことは全くなかった。そもそも寝ちゃいけないのだが、幸いなのか不幸なのか、相変わらず、頭は水で洗われたように冴えたまま。
一人で警戒をするしかないか。
ライオはライセンス試験の勉強で、シーズが言っていたことを頭に思い浮かべた。
――――全力で、耳を澄ましてください。
――――少しでも音がしたら、そちらに向けて攻撃をしてください。
――――原生林の生物は、あなたが聞こえるほどに接近してきた時点で、すでにあなたのことが見えています。
――――ためらったら、死ぬと思ってください。
しかし聞こえるのは、エナの寝息、それから虫たちが楽しそうに鳴くだけの音。
その奥に聞こえるらしい怪しい何かは、全く気配もない。
できることならば、このまま続いてほしい。このまま夜明けまで。
あと何時間あるだろうか。少なくとも八時間以上はあるだろう。
もうしゃべる相手であるエナも意識を向こう側にやってしまった。ただ、彼女がよりかかってくれるその事実と、服の向こうに感じる体温が、まだこの恐怖に少しの安らぎを与えてくれる。
「くそっ……」
やはり、耐えられそうにない。
不安だ。
恐ろしいにもほどがある。
生まれてこの方、これほどの心細さを感じたことはなかった。
手を回して、ライオはぎゅっと、エナの肩を掴んで抱き寄せた。
ふわり、と風が吹いた。
ぴくりと体がそれに反応してしまう。
目が見えないせいか、他の刺激に敏感になってしまっている。
しかし、その風はいくらか心地が良かった。まるでなでるような心地よさで。
森の生き物たちも、これくらい心地よければよかったのに。
あれ。
風が吹いているのに、木がざわめかないのは何でだろう。
全身を刺すような焦燥が突き抜けた。
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