第8話 ちょっとした異変
「これが第三階層……?」
ライオは口にした。
目のくらむような構造表示、そしてそれを説明しているであろう古代文字の数々。
ライオはそれを目にして何もすることができなかった。
今まで人類の誰一人もがたどり着けなかったその場所。それにしては、処理すべき情報が多すぎる。
そもそも第一階層ですら、完璧な構造図をまだ人類は作れずにいる……。だというのに、第三階層の全体の、それに事細かな細部に至るまでの構造図は、あまりにも手に余る情報量だった。
ともかくまずは目の前の構造図の全体を把握しようとライオは思った。
そこで異変は起こった。
塔の構造図を構成している青白い線たち。
それが、一斉にぶれた。
「えっ」
一瞬なにが起こったのか分からなかった。
編み込まれるようにして重ねられた光の線たちが、ジジッ、とその途中で一瞬だけ断絶する。
「ライオ、ちょっとこれって」
エナが不安げに声を発した。
「えっ、えっ?」
ライオはエナの語り掛けにこたえられずに、ただ今目の前で起こっていることを把握しようと努めていた。
初めて見る事象だった。
それが異常なのか平常なのかすらわからず、その場で目を白黒とさせるしかない。
歪みは少しずつ早くなっていった。
ほんの数秒後には、もう塔の姿を認識できないほどに、一度ごとのゆがみがひどくなっていく。
「まさか電池切れ……?」
エナがそう呟いた。
それを聞いた途端、突き抜けるような焦燥がライオの体を支配した。
ほとんど意識と切り離されて、自らの右手が勝手に動き出す。
そして、第三階層の姿を映していた歪みへと指を触れた。
ぱっ、と表示されるものがあった。
しかし歪みがひどすぎた。そこに何が書いてあるのかを掴めなくなるほどに。
塔の表示が少し拡大されたような気もするが、もう人間の認識にとっては意味をなしていなかった。
「待って!」
ライオの焦りは絶頂に達した。
――まだ、塔の構造図の写真を撮っていない。
なぜか先ほどカバンの中に戻してしまったシーズの写真機のことが頭をよぎった。
しかし取っている暇はない。自分の手が、すがるように空中をもがく。
何度も何度も、歪んだ光の束たちの中を手が行き来する。
その度に何かがぱっと表示され、その直後にすぐに認識できなくなるほどに歪んでほどけて。
まるで光の線をかき集めようとするかのように、ライオの手は質量のない光の中を何度もまさぐった。
途端、歪みは構造図ごと消滅した。
「あっ……」
つい先ほどまでその場に存在していた青白い光は、一瞬にして掻き消えた。
ただまだ電子板の表面だけは、ライオの足元で光っている。
それを見てライオはすぐさま膝をついて、電子板の表面を指で撫でた。
しかし反応はない。
いくらその表面で指を滑らせても、ただ画面は白いだけでなんの反応もなかった。
ついにその白い光も少しずつ明度を落としていく。
やがて十秒経つ頃には、もうそこには何も映っていなかった。
「…………」
その操作表面を、ライオは唖然と眺めていた。
「……電池、切れちゃったね」
うかがうように、エナはそう言う。
ぎゅっ、と手を握り締めてライオの様子をうかがった。
ライオの肩がかっくりと落ちた。
「っ!」
びくっ、と逆にエナは肩を震わせてしまった。
「はあ~~~……くっそ、あと少しだったのに……」
しかしライオの反応はエナの予想とは異なったものだった。
「え……」
「ん、なんだよ」
残念そうな表情がエナの方を向いた。
――てっきりライオがものすごく落ち込んで、怒るものだと思っていたのに。
目を丸くして、エナはライオを見つめていた。
「怒ってないんだ」
「え? あ、まあ残念ではあるけど……」
そう言って、ライオは再び電子板に顔を向けた。
「あとちょっとで塔の秘密が分かるとこだったのに。おーい、もっかい動けよー」
こんこん、とライオは拳でその操作表面を小突いた。
「……動かないね?」
うかがうような口調でエナがそう言う。
「うーん、もっかい
「え……」
エナは呆気にとられて言った。
「あ? なんだよ?」
「いやだって、さっきあんなにドン引きみたいな感じでわたしのこと言ってたくせに、奴んだ、って……」
「あ………」
ぴたり、とライオの顔は硬直した。
その表情が、見る見るうちに赤くなっていく。
「っ、なっ、なんだよっ」
そして、声を荒らげた。
びしっ、とエナに向かって人差し指を突き出す。
「そもそもお前だってそう言う発想しただろ。人のこと言える立場かよっ」
「あーっ、自分の羞恥心人のせいにしたーっ!」
仕返しにエナも指をライオにつきつけた。
「ていうか人に指さしちゃダメなんだよライオ! しかも女の子に向かって!」
「ああ!? 人に思いっきり武器差し向ける奴に言われたくねえよ!」
「っ……!!!」
今度はエナの顔も、見る間に真っ赤になっていった。
それは思いっきりエナの図星だった。
かちゃりっ、とその手が銃帯に掛けられる。
びくっ、とライオは体を揺らした。しかしエナの動きはそこで止まる。
ライオの口端がニヤリと上がった。
しめた、とライオの思考が少し悪い方向に切り替わって、意地悪な口調でエナに向かって話し始める。
「な、なっ! ほら見ろ、お前の方が何倍も物騒だろ!」
「っ、ぐっ、ぬっ……!」
がちゃり、と銃を抜こうとして、ぴたり、と思いとどまって、いやでもこいつうざすぎるからやっぱり、と思って引き抜いて、また辞めるのをエナは繰り返す。
「ていうか前々から思ってたんだけど、なんでお前って何かあったら人に武器なんて向けるんだよ? さすがに人としてどうかしてると思うぞ。しかもあの時も俺に向かって、セーフティかかってるって知らないで本気で」
「あーもうっ!!!」
――こっちが我慢してればいい気になってっ!
もう、どうなってもいいやっ!
とうとう理性を怒りが上回って、エナの右手は結局前に向いていた。
――せっかくわたしが我慢してたのに、こいつはここぞとばかりに煽って来て!
ライオが悪いんだ、わたし知らないっ!
バシュッ!!
「うおおおおおおおっ!?!?」
何かが蒸発するような音がした。
「おっ、おまええっ!? 撃ちやがったなっ!!?」
「あっ………」
実行に移して、ようやくエナはわれに返った。
目の前で、ライオが後ろ向きに倒れていた。
そして、そのさらに後ろ。
そこに茂っている雑草がなぎ倒され、黒い断面を見せている。そしてさらにその先、寝ているシーズの脚の間の地面、そこからもくもくと、焦げるような匂いと共に黒い煙幕が巻き上がっていた。
――え、わたし、撃った?
怒りに支配されていた数秒前の自分をエナは振り返って、きょとんとライオの方を見た。
びくりっ、とライオが震える。
――そういえば、わたし、脳天めがけて銃爪を引いたような。
しかしよかった。それなりに仲のいい友人の脳天は黒焦げになることは一応なく、ぴんぴんしている。
証拠に、今も元気に何かを口に――――
「おおおおまえっ、マジでおまえっ!? 今までのってマジで冗談じゃなかったの!?」
「ご、ごめん」
小さな声でつぶやくように、エナは謝った。
「これでいいよって素直に言えたら俺は仏かなんかだよっ」
ガタガタと震えながら、友人は自分に指を向けながら怒ていた。
「殺されかけたぞお前に……っ!」
「ほ、ほんとごめん」
「逆になんでそんな調子で謝れるんだよ……!?」
「わかんない……」
す、とエナは自分のリーズガンに目をむけた。
「っ…………!!」
びくんっ、とライオは震える。
エナは銃のスイッチに手を伸ばして、カチリと状態を『安全』に変えた。
そのまま銃をすっと銃帯に戻す。
そして顔をライオに向けて、
「ごめん」
ともう一度謝った。
「…………」
ライオは思った。
――――なぜか許したいけど、ここで簡単に許していい事じゃない気がするな……
そう思ってライオは全然動けなかった。
目の前には、うつむいて目線を地面に向けながら、自分の反応をじっと待っている友達がいる。
さっきはあんな顔して撃って来たのに、今はずいぶんとしおらしい……。
「……次からは気をつけろよ」
「うん」
とりあえず、ようやく何とかライオは口にすることができた。
それからくるりと後ろを振り返った。
「うわっ危なっ」
シーズの脚の間に黒い焦げができているのを見て、再三びっくりする。
「シーさんは別になんも悪くなかっただろ」
「いや、ライオが避けなければ……あ、なんでもない」
「………!!?」
ライオは目が飛び出んばかりに目を見開いた。
(マジで何言ってんだ……!?)
さっきこいつ謝ったよな、だったら今の発言はなんなんだ……!?
一応、良心はあるのだろう。
しかし思考回路があまりにもどうかしていた。
(こどもなのか、これがこどもの考え方なのか?)
頭がぐるぐるして、どうにかなってしまいそうな感覚をライオは感じた。
(だったら同じ子供の俺が全然分かん無いのは何でなんだ?)
エナがおかしいのか? それとも俺がおかしいのか?
ライオの思考は錯綜して仕方がなかった。
(ああもう駄目だ、どう考えても頭がおかしくなりそうな気がする)
ここ最近(二時間ほど)エナがずっとおかしい。
どうもそんな感じがした。
一年くらい一緒に居たはずなのに、ちょっとマトモじゃない面が出てきすぎてて、処理が追いつかなかった。
(どうしよう、こいつ)
じっ、とライオはエナの顔を見た。
しかしまあともかく、今のところはもう銃を構えてくるような害意はないようだった。
「……なあ、じゃあまあ、とりあえず、出発しようか」
「うん」
こくり、とエナは小さくうなずいた。
会話は(一応)できるし、話は聞いてくれる。
見るといつものエナの顔だし、声も形も姿も全部一緒だ。
「今度は俺がシーさん背負うから、お前はシーさんのカバンに電子板入れて背負ってくれ。俺のカバンは俺が前に背負うから」
「わかった」
そそくさと、エナは出発の準備を始めた。
地面にほったらかしにしていたおとな
「…………」
いつものエナに、戻っている。
でもなんだろうこの変な感じは。いつも通りなのに何か気持ちが悪い。
一度殺されかけたからだろうか。それだけで大分相手がどうかしているように見えてしまう。
(いや、逆に見えなかったらすごいな)
でもまあ、エナがいつも通りに戻ったならいいか……。
最終的にライオはそう思った。
というか、この話は考えているとかなり気持ちが悪くなってくる。
とりあえず、今はもうこのことを考えるのをやめにしよう。
そう思い、ライオは自分のカバンの中身を片付け始めた。
そして、これからエナを煽るのは控えようと心の中でひっそりと誓った。
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