酔っ払いの戯言。

スロ男

天才とは馬鹿の突然変異である。

「物語を書け」というが、物語るためには完全な覚醒状態で読者を酔わせようとするか、もしくは本人が完全な素面なのに完全に酔っ払って紡いだと思われる物語しかないと、私は思う。

 勿論。

 これが正解だとか、正しいとかいう話ではなく、私はそう思う、というだけの話だ。

 医者のいうことを信じず、あたおかのカブれの話を信じるのは、世に七人に一人はいるという境界知能なのかな、とは思うけれど、反面、医者がいうことなら正しい、と信じてしまう素朴さも、私は正直撲滅したい。

 なんなら医者は、開業するとき、学生時代に専門でやったものではない科でもなんでも大々的に銘打って開業できるからだ。

 医大を出た馬鹿だって当然いることは、工学博士のオカルト好き、オカルト絡みの出版が数多くなされていたことからもわかるだろう。専門バカは世に多い。あのエジソンですら霊界の存在を信じて霊界電話を作ろうとしたことは、創作者なら知っていて然るべきことだと思う。

 我々が本当に知るべきは、権威や学歴、あるいは本当の専門家のお墨付き、みたいのがあったとて正しいとは限らない、ということである。

 だからこそ、セカンドオピニオンが推奨されるのだ。

 神の手を持つ誰かだから100%信じていい、などというのはあまりにも素朴で純朴でうすらピュアすぎる。

 人は間違える生き物だし、たいして歌の上手くないアイドルを神だなんだと言いたがるものなのだから。


 だが、こんなことを書けば、普通は単なる厭世主義か虚無主義だと思うだろう。

 私からしたら、何故そんなに安易に簡単に信じれるのか、なのだが。

 とはいえ、多くの人は、自分の思い込みに即した人や、自分の(どう考えても知識も教養もなく、明らかに間違った思い込みを常識と信じて憚らず、あまつさえ人に注意しさえする)常識こそ常識だと思いたがるものだから。

 とはいえ。

 信じられない人の信じないまま書かれた作品より、信じた人の明らかに間違った何かのほうが、人の心を打つものなのだ。

 であればこそ。

 虚構と現実の違いを認識し、手を尽くし、礼を尽くして創作なりなんなりをしてほしい、と私は考えている。


 結局、人は、他人の気持ちなど本当には一切わからず、なんなら自分の本当に求めてるものすら、わからないものなのだから。


 ところで物語とは、一番わかりやすく、一番親しみやすい、世界を認識し、把握するための手段である。

 だからこそ、恋愛などという概念が日本にやってきたのは明治以降だ等という話になるし、恋愛小説のないところに恋愛はありえない、という話になるのだ。

 この話の肝要は、物語がなければ、人は世界を認識することができない、ということである。認識するためのOSがドラマの人もあれば、漫画の人も、小説の人も、あるいは自分が経験してきた物事の人もいるだろう。

 先行する物語がなければ人は世界を認識できないという言説は、ある一部の人にとっては許しがたい侮辱だとも想像できる。

 しかし、ごく一部の天才以外は、そうなんだよ、そのことを理解できないのは幼児の感じる万能感と何ら変わんねーんだよ、と煽る意図もなく、私は思っています。

 残念ながら天才は、馬鹿の中のワンノブサウザンドです。

 自分は馬鹿ではないと思うあなたは、天才は憧れるに留めて、技術を磨くことに専念しましょう。二流には二流のやり方があるし、後世に残る傑作の八割は、天才でない誰かの手腕なのだから。

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酔っ払いの戯言。 スロ男 @SSSS_Slotman

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