29話
「こうやって編んで繋ぐと、花冠」
「器用ですね。荒々しそうなのに」
「そうでしょう? それでこれをこうすれば、お姫様」
「……どうも?」
追いかけっこの休憩中、2人は草の上に座り込んで花冠を作っていた。ランジェによって作り上げられた花冠はナールの頭に被せられ、被せられたナールはやや緊張の解れた顔でランジェと会話を続けている。自重を使った鍛錬をしながら遠目にそれを見させてもらっているが、なかなかに微笑ましい光景だ。
「おっと、もうこんな時間か。2人とも、鍛錬を切り上げて街に戻るぞ!」
太陽の位置から鍛錬を終了する時刻に至っていたことに気づき、休憩中の2人に鍛錬の終了を告げる。楽しげな彼女達の邪魔をするのは忍びないが、この旅の目的は観光と情報収集であり修行ではない。まじめにやり過ぎて当初の目的を見失ってしまうわけにはいかない。
「汚れと汗が酷いし、一先ずは身を清めるところからだな」
街に戻った俺達はかいた汗を流すべく公衆浴場へと足を運んだ。
一言に公衆浴場と言っても、この街にあるそれはこの世に存在する他の物とは格が違う。建物は壁画や彫刻で彩られた浴場は数百の人間が同時に入浴出来るほどに広く、湯は沸き出ている温泉だけでなく薬湯も備えており、金さえ払えば飲料の提供やオイルを使った按摩といった奉仕を受けられる。これほどまでに整った公衆浴場は他には存在しないだろう。
「凄い……神殿よりも闘技場よりも、ルテアのお城よりも大きいですよ!」
「そうだろうそうだろう? なんせ建築当初は『皇帝の居城より大きな建物を建てるなんて不敬だ!』って騒ぐ連中も居たくらいだからな」
「"建築当初"。クルツ、何歳?」
「人間だった頃の外見と当時起こっていた出来事とから考えれば凡そ130くらいだとは思うが、数えてないから正確にはわからん。まぁあれだ、100を超えてるなら2桁の数字が多少違ったとしても些細な問題だろ?」
「それはそう。あっ……一文無し」
建物に入ってすぐの受付に立て掛けられた看板に書かれた入浴料を見たランジェが呟く。そういえば彼女は一文無しで、来ている衣服以外には何も持っていなかった。仕方がない、この場はこちらで立て替えておくとしよう。
「奢ってやる。その代わりに弟子を頼むぞ」
腰布に括り付けていた財布から金を出して3人分の料金を支払う。人生の糧となるよう様々な体験をナールにさせるのと彼女のお守りとして同行させるため、2人の料金には飲料の提供と按摩の奉仕を上乗せしている。
「わかった。ナールは死なせない」
「浴場は殺されるような場所じゃないが……まぁいいか。終わったら宿で合流で!」
赤い木札を少女達に渡して、男風呂へと続く通路を歩いていく。久しぶりに大きな風呂で脚を伸ばして入浴できると思うと嬉しさで尻尾が勝手に動いてしまう。大衆向けの大きな浴場がある文化圏は珍しいので、楽しめるうちに存分に楽しまなければ。
脱いだ衣服と褌を籠に入れ、浴場用の腰布に着替えて茶褐色の温泉から臭う鉄臭さと薬湯から臭う独特な薬草の香りの中へと進んでいく。
湯煙で満たされた浴場は人間と人間ならざる魔族が入り乱れており、地獄の軍勢が押し寄せてきたかのような光景であった。魔族"も"入浴出来る区画が少ないせいか、随分と混雑している。
ゆったりと浸かれる場所はないかと奥へ奥へと進んでいくと、混み合っていない薬湯が張られた風呂を見つけた。浸かっているのは坊主頭で筋骨隆々の中年と青年だけだが他の客はそこに近寄ろうともしていない。彼等2人は関わるべきではない人物なのか。
「君、そこの君だ。遠慮せずに入り給えよ」
俺の視線に気づいた坊主頭が声をかけてきた。他に空いている場所が無い上に向こうから声をかけられたのだから、入らねば間違いなく不興を買うかもしれない。皆から避けられている彼等の素性がわからない今、それは避けるべき行為だ。
「私は君に、君が連れている小さな英雄さんにも手を出す気はない。だからそんなに警戒しないでくれ給えよ」
飲んで緊張を解せということなのだろう。男は果実酒を注いでこちらに差し出した。ナールのことを知っているとは、一体こいつは何者なのだろうか。
「名も知らない奴からの酒は受け取れん」
「よろしい、ならば名乗ろう。私の名はギュンター、この国の秩序を守る職に就いている者だ。俗っぽい言い方をするならそうだな、“猟犬”といったところか」
遠回しに名乗れと言うと、男は自らが密偵や不穏因子を排除する役柄であるとこちらに告げた。帝国で彼の言葉に当たる組織は犬を模した覆面を被り漆黒の衣服が制服の皇帝だけに忠実な私兵部隊、皇帝の敵と反逆者を狩り尽くす情け容赦のない狩人達。是非に及ばず目を付けられるべきではない者達だ。
「さっ、次は君の番だ。飲み給えよ」
ギュンターは改めてこちらに盃を差し出した。理由をつけて相手に名乗らせた以上、これを飲まぬわけにはいかない。俺は酒を受け取り飲み干す姿を見せつけた。
「失った腕の代わりと英雄の行方ねぇ……」
「何か知っているのか?」
「心当たりがないわけでないが、他人であるクルツ君に情報を与える義理は無い。君が対価を支払うと言うなら話は変わるかもしれないがね」
帝国内であれば彼以上に情報を集めているものはいないだろうと思い、これまでの経緯と求めている物を伝えると、彼はそれを知っていた。そしてどうやら情報を与える代わりに仕事をさせるつもりであるらしい。
魔物の討伐なのか不穏因子の排除なのかはわからないが、見知ったばかりの傭兵に頼む仕事だから大したものではないだろう。仕事の内容を聞くまでは、俺はそう思っていた。
「お師匠様……今なんと?」
「腕の代わりの情報を報酬に、"双剣の騎士"ベーリンの討伐を引き受けた」
「それって勇者一行のあの方ですよね!? お師匠様のお友達なのですよね!?」
師が親友を殺害する依頼を受けたことに驚愕したナールは、切り分け持ち上げていた大きなパンケーキを皿の上に落とした。やっとの思いで食べられるものが机や床に落ちなかったのは、彼女にとって幸いなことだっただろう。
「あぁそうだ。奴は"業"に呑まれて正気を失ったらしくてな、帝国内の廃城に住み着いて付近の村落に被害を与えてるらしい。魔神教徒に何かされたのか、それともどこぞの魔女に何かをされたのかはわからないが、人ではない何かになっちまってるそうだ」
「そんな――。で、でも別にお師匠様がやる必要はないんじゃないですか? お師匠様だって友達のベーリンさんを傷つけるのは辛いはずです!」
「友人だからこそ、奴を仕留めるのは俺じゃないといけない。何処の馬の骨か知らない奴らに殺されて、他人の名誉の一部になる辱めを受けたら可哀そうだろう?」
目を瞑って眉間に手を当て感情を、涙と声を出来うる限り抑えて話す。唯一の友人である男を殺したくないという感情を仕方ないのだと割り切って押し殺す。
「それはそうですけど……どうにか出来ないのでしょうか? 何とか元に戻す方法とかはないのでしょうか?」
「いいか? この世界はそんなに都合良くは出来ていない。狂ってしまったものは戻し難く、死んだものは決して蘇らん。──っ、そういう奇跡があるのは神話や絵物語の中だけだ」
「それはそうですが……」
「仕方ないことだ。目的地の情報を集めて荷物と移動手段を確保してからだから……出発は最速でも1週間後になるだろう。それまでは今日と変わらない生活を続ける」
2人に合わせて注文していた巨大なパンケーキを摘まみ上げ大口を開けて丸ごと放り込む。塗られたバターの塩気とベリーのジャムの甘みが口内を埋め尽くし、鼻へと達した香ばしい香りが運ばれる。
これきっと美味いものなのだろう、だが今は幸福感を感じることはない。今はただ、旨みと食べたと言う事実しか感じることができない。
「ベーリンさん対策で何か特訓とかしないのですか?」
「そんなことはしない。付け焼刃の技が通用する相手じゃないし、天才じゃない俺じゃ1週間程度の時間で付け焼刃の段階までもっていけるかどうかすら怪しい。出来ることといえば、適した道具を買い揃えることくらいだろうな」
長年共に戦っていたベーリンと俺はお互いの手の内を知り尽くしている。勝てるかどうかは用意した道具がどの程度通用するのかと運で決まるだろう。
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