30話
俺達はベーリンと戦う際に使う装備を求めてトロップの市場へと足を運んだ。アルバルドの市場に比べて賑わいも品数も劣っているこの場所で必要なものが手に入るかはわからないが、この街の付近でここ以上に品揃えが良い場所はない。ここで手に入らないのであれば入手するのは諦めるしかないだろう。
英雄殺しを達成するための買い物は地元の市場を騒めかせた。戦争が起こっているわけでもないのに大量の弩と投槍を買い漁り、それを荷車に積んでいく俺達を見ようと地元の住民が集まりそれが何かと気になった観光客が見物に訪れている。
「見てくださいお師匠様、人集まりが出来ちゃってますよ」
「観光地でこんなことをやってる奴は普通なら居ないからな。見ていても面白みが無いと気づいたら勝手に居なくなるから気にするな」
住民は物珍しさから、観光客は催しをやっているのではないかという勝手な期待から集まっているだけだ。時間が経てば飽きて方々に散っていくだろう。
「それはそうとしてお師匠様、流石にこれは買い過ぎでは?」
「むしろこれくらいじゃ足りないくらいだ。相手は一対一の勝負なら勇者一行で最強格、矢の雨と槍衾を払い除けて斬り込めたり、騎士相手に数百戦の決闘をして黒星を上げたことのない男。そんな化物じみた奴が本当の意味で化物になってるんだぞ」
「それは……用意しても用意しすぎということはなさそうですね……」
ナールは改めて相対することになる男の強さを知ると固唾を飲みこんだ。英雄譚や俺によって語られている部分だけでは彼の実力を計り知ることなど出来ない。
「そんな相手にナール達は勝てるのでしょうか?」
「勝つ以外に道は無い。勝てるように全てを出し尽くすだけだ」
最後の弩の検品を終えて荷車に積み込む。滞在費の大半を使って購入したこれらの大量の武器を使っても恐らく今のベーリンを倒すことは出来ない。恐ろしいことこの上ないが、最後はこの手で握った武器で彼と打ち合うことになるだろう。
「鎧も武器も振り回すのには小さ過ぎるな」
「クルツが大き過ぎるだけ」
武具を扱う店で商品を見てみたが、どれも人間か人間より小さな種族に向けて作られた商品だ。盾の取っ手には腕が通らないし、武器の刀身と柄は短過ぎる。
「お師匠様お師匠様、これ何なのでしょうか?」
「そいつは湿地の国イストで使われてる投げ輪だな。……欲しいのか?」
「え、あっ、はい! 使ってみたいです!」
「そう思うなら渡してある小遣いで買ってこい」
気になった商品を持って来て俺に見せたナールにそう言ってやると、彼女は軽やかな足取りで会計へと向かった。見つけた武器を相当気に入っているようだ。
「まったく、俺に見せなくても勝手に買えばいいだろうに」
「気に入ったのをクルツに見て欲しかったんだと思う。大切な人だから」
「そんなもんかねぇ……」
首を傾げながら日用品を販売している露店に置かれた伐採用の両手斧を手に取り、片手で軽く振るってその重さや振るい心地を確認する。武器として作られたものではないが振りやすく、人型の生物を破壊するには十分な破壊力がある。腰に差していざという時に使う分には悪くない。
食料と武器と水、旅に必要な物の準備はこれ以上無いまでに整い後は情報の通りの場所に進んで行き、怪物となってしまった親友と戦って打ち勝つだけとなった。
あとは辿り着くまでに友を傷つける手が止まらないように心の準備を整えておければ、出来ることは全てやったことになるだろう。
「さてと、あとはこいつを引く輓獣だな」
「ばんじゅう……というと、お馬さんとか驢馬ですか?」
「あぁそうだ。予算と補給の問題があるから今回買うのはそのどちらでも無い騾馬だな。機嫌が悪くなると足を止める欠点はあるが、旅の友として最適だ」
「味も悪く無い」
「いや必要に駆られない限りは食わないからな……。事が済んで不要になっても近くの村か町で売ってお別れするだけだ」
「そう、残念」
家畜を取り扱う商人が居る方へと荷車を引きながら、涎を飲み込んだランジェに食用としては扱わない事を念押しした。馬ほどではないがそこそこ高価である騾馬を肉にするなど勿体無いじゃないか。
「お師匠様、あれが騾馬ですか?」
「あれは白い馬……いや、騾馬か?」
「騾馬だと書いてる。騾馬でしょ」
家畜の取引が行われている場所まで辿り着いた俺達が目にしたのは一頭の雄の輓獣。体の大きさは馬ほどあるが、顔は間違いなく騾馬のそれで驚くほど安い値段の書かれた木札にも騾馬と書かれている生物であった。
「おっ! 狼の旦那とお嬢さん方、もしかしてこの騾馬に興味がおありで?」
「興味はあるが、欲しいとかじゃないぞ」
「それでも構いませんよ。まぁとりあえずよく見ていってくださいよ。……どうです? 立派な身体付きでしょう? 勿論見た目だけじゃないので、その荷車と皆様方くらいなら楽々運べちゃいますよ!」
売りたい理由があるのだろう商人は俺達が騾馬を見ていると近づいてきて売り込みを始めた。騾馬は子を残せない上に作るのに手間が掛かるのにそれを手離したいと考えるとは、一体どんな問題を抱えているのやら。
「じゃあなんで安いんだ?」
「あぁ、それはですね……」
「気性難か? 騾馬の気性難は最悪だろうな」
騾馬は唯一といっていい欠点として頑固であったり陰湿なところがある。それに加えて気性難まで入っているとなると扱いが難しいどころではなくなる。この男が手放したいと考えるのも納得だ。
「まぁ、そういうことです。でも質だけは保障しますよ」
「質だけを保証されてもなァ……」
「ぉうぁっ!?」
商人と話していると騾馬の近くに居た弟子が珍妙な声を上げた。声がした方へと視線を向けると騾馬に顔を擦り付けられている弟子と鯱娘の姿があった。気性難であるという話がまったくの嘘であるかのように懐いている。
「お師匠様見てください! この子、すごく人懐っこいですよ!
「おいおい嘘だろ……練れのある調教師ですら指を持っていかれたってのに……」
少女達に騾馬が甘える様子を見た商人は驚愕して両膝を付いた。どうやらあの騾馬は気性の荒い馬の様に凶暴で手に負えないような個体であったらしい。
少女達と騾馬の様子を見ていると、懐かれている理由が何となくではあるが理解出来た。鼻先を弟子達に擦り付けている騾馬の鼻息が妙に荒く、時折商人に顔を向けた時には勝ち誇った顔をしている。恐らくだがあの騾馬は若い女が好きなのだ。
「金にしたかったんだろう。丁度良かったじゃないか」
商人の肩に手を置き、木札に書かれた分の金銭を握らせる。安価で癖はあるが質としては申し分ない輓獣が手に入った。奇妙な旅の仲間が増えることになるが、もう既に奇妙な少女が居るので大して気にはならない。誤差のようなものだ。
「ちょいとそこ行くお嬢さん方」
「ナールとランジェのことですか?」
「あぁそうです、獣人と魔族のお嬢さんです。ちょいと私の語りを聞いて行ってはくれませんか? お代は聞いた後で払うかどうか決めていただいても構いませんので」
両目を布で覆い、廃材で作った弦楽器を携えた男にナールは呼び止められた。格好から察するに彼は物語を語って日銭を得る盲目の芸人で手にした楽器は話の合間に楽器を掻き鳴らし、利き手に緊張感を与えたりするために使う物に違いない。
普段であれば数多くの物語を知る彼のような人物の周りには娯楽を求めた人々が集まるのだが、明日食べる物にも困る世情であるためか誰一人として近寄ってはいなかった。あまりにも儲けられないので、通りすがりの俺達に声を掛けようと考えたのだろう。
「それだったら聞いてもやってもいいんじゃないか?」
「だそうですので、お願いします」
「では語らせていただきます。これは東方の沼地の国イストで起こった悲恋の物語である"娼姫傾国物語"。流れの娼婦とイストの王子のお話です」
これから語る物語を題名を口にした男は楽器を掻き鳴らした。その音はまるで舞台の幕が開いていくかのようであり、然程期待していなかった内心を揺さぶられた。それに彼が口にした"娼姫"とナールの母親は同一人物であるのかも気になる。同一人物であるのなら、ナールにとっては親を知る貴重な機会になるかもしれない。
「美し過ぎるってのも罪なものなのです。……時は今より8年前の、季節が2つだけの国の事。激しく雨が降りしきる日の事。狩りに赴く心優しき王子は1人の女が野盗に襲われている場面に出会した!」
「うーん、ちょっと都合良過ぎませんか?」
「そこは気にしない……ナール、野暮」
「これは放ってはおけぬと王子は馬を走らせる! 彼は女と野盗の間に割り込むと刀を抜いて斬りかかり、風が一吹きする間に野盗一味を打ち据え気を失わせていく! まさに疾風が如き早業である!」
男は剣を振るう身振り手振りに加えて、手製の弦楽器を言葉の終わりに掻き鳴らして臨場感を演出する。座ったままで全てを演出出来るとは中々に興味深い芸だ。
「大丈夫かと問う王子に、女は被っていた笠を脱いで頭を下げた。当然の事をしたまでよ、表を上げよと王子が言うと彼の瞳に女の麗しき容姿が映り込む。白き髪に赤き瞳、滑らかな絹のような肌。助けたのは月の女神を思わせる白狼の獣人であったのだ!」
「……ん?」
「見惚れた王子は思わず名を聞かせてくれと頼み込み、それに女は応えて名乗った。私は流れの娼婦、名前はシャアラと申します」
「おおお、お師匠様! これって!」
「そうらしいな。……あぁ、気にせず続けてくれ」
母親の登場に弟子が驚き、それに反応して何事かと話を止めた男に続けるように促す。舞台となっている場所と時期から、続きの内容によってはナールの父親が誰であるのか判明するかもしれない。もしも王子であるなら、弟子は王族の末裔であるということになる。
「雨に濡れた女が寒さと疲れで震えているのに気づくと、王子は彼女を労わり城に泊まってはどうかと提案した。実直な王子のそれを女が受け入れると、王子は半ば強引に彼女を馬に乗せ、彼自身は縛った野盗を引き連れ泥道を歩いたという」
「一気に力強い印象に変わったな……」
「もしかして筋骨隆々?」
「王子は城に辿り着くと召使い達に世話をするように命じた。しかしながら突然王子が美女を連れ帰り、世話をするように命じたとなればあらぬ噂が立つというもので、流石にこのままではいかんと考えた王族家臣は集まり、王子に事の次第を問いただすことにしたのでございます!」
男が区切りをつけるために楽器を掻き鳴らす。
「王子は人助けをしただけだと説明し、普段の王子を知る者は皆納得。だがそうなってくると、誰のものでもない美女を見てみたいと考えてしまうが人の好奇心。老若男女犬猫問わず、皆一様に女の姿を見ようと試みた! そして見た者達は心を奪われてしまった!」
「うわぁ……うわぁ……」
「絵物語であれば巻き起こる問題を片付け、めでたしめでたしと行くがそうはならぬが人の世という物! 王子は皆の変化に気付かずに女と関わってしまい、ゆるりゆるりと彼女との距離を縮めていってしまう! そして王子と女が惹かれ合うようになった時、悲劇は起こったのである!」
男は声を張り上げ楽器を掻き鳴らして、ここから結末を話すぞと宣言した。彼の話に引き込まれた俺達は、茶々を入れることすら出来なくなっていた。
「なんと王子の祖先が封じた魔神が、女に惚れたが王子の為と自分を律している王を夢の中で唆したのだ! 俺を解放すれば女を手に入れられるぞ? 世継ぎは別にあいつじゃなくても務まるだろう? 国の繁栄を約束しようか? 毎夜続く甘い誘惑の数々に、王はついに耐えきれなくなった!」
「ひぇぇ……」
「剣を片手に王子の寝室に忍び込み、夜伽の最中の王子へと切り掛かった! 風切り音が鳴り響き、鮮血が部屋中に飛び散った! そして悲鳴を上げた女へと歩み出す! 怯えた女は乱れた寝巻きで逃げ出して、馬屋に繋がれた王子の馬に飛び乗った! 馬は何かを察して走り出し、女は西へ西へと消えていく! それを見つめる王の影、そこに蠢く魑魅魍魎! はてさてこの王がこの後どうなるか、それは"振り香炉伝"でお話し致しましょう」
男は幕が閉じていくかのように楽器を掻き鳴らし、お付き合い頂きありがとうございましたと口にして頭を下げた。気になる部分を残して次も聞きに来てもらう。そういった形式であるらしい。
「シャアラさんはその後どうなったのですか?」
「さぁ、それはわかりません。似た方がいらっしゃるそうですが、会ってお話がしたことがないので本人であるのかの確認は取れないですよ」
「そうですか……。お話、面白かったです! ありがとうございました!」
ナールは代金として6枚の小銅貨を男に手渡した。旅芸人が芸を披露して1度に得られる金額よりかは高く、受け取った男は手の感触に驚いている。
「ナール、状況証拠だけなら王族の血筋……」
「それでもナールはナールです。お師匠様の弟子ですよ」
「……そうだな。それは変わらないな」
横を歩く弟子の頭を少し強めに撫で回す。どれだけ彼女の血筋が良かろうが、どれだけ姿に差があろうが、彼女が俺の弟子であることは変わらないはずだ。
「君、こんなところで何をしてるんだい?」
略奪を行う兵士達によって焼かれた村から逃げ出し草藪の中で息を殺して潜んでいると、尖がり帽子を頭に被り黒装束に身を包んだいかにも魔女といった風貌の女に話しかけられた。こちらが無力な少年に出来ることはないから隠れているのだと伝えると、彼女は手を差し出してこう言った。
「それなら僕が君に力をあげよう。さぁ、手を出して目を瞑ってごらん」
願ってもない誘いだと思い彼女の手を取り目を瞑る。次に目を開いた時、俺の体は獣のものとなっており腕の中に湿り気のある球体を抱え込んでいた。鎧兜を身に纏った肉片が散乱し、焼ける家屋の音だけが耳に入る。
ふと抱え込んでいるものに目を向け、そしてそれが何であるかに気づいた俺は嘔吐した。抱えていたそれは1人だった俺に居場所を与え母親のように接してくれた女、戦火で負った火傷の痕を包帯で隠して生きていた女の一部であったのだ。
「おいおい、どうしたんだクルツ。石にでも躓いたのか?」
反芻の苦しみで目を瞑った一瞬で景色が街中へと変わり、聞くと安らぐ声がかけられる。顔を上げるとそこにはこちらを覗き込む勇者の姿があり、手に抱えていたものは球状の根菜へと変わっていた。悲鳴も怒号も聞こえず、血と煙の臭いも風からは臭わない。
「貴様はいつもそうだな。ほらもっとシャキッとしろ! ぼうっとしてると――」
「ぼうっとしていると、大切なものを奪われてしまうんですよ。先生」
聞くだけで血が頭に上る声が耳に届いたその瞬間、体が磔にされ火炎が勇者を包んで消し去ってしまう。もう見たくない、もうやめてくれと目を瞑って叫ぶとまたしても目の前の景色が変わった。今度は暗く汚い部屋の中、髪と衣服を乱れさせたルナが俺の皮を剥いでいるといったもので遠くからは失った片腕を持って近寄ってくるナールの姿が見える。
ルナに皮膚を剝がされ、傷ついたナールが近寄ってくるたびに心臓の鼓動と呼吸は早まっていき、手が届くのではという距離まで弟子が来た頃には爆発してしまうのではないかと思う速度の脈となっていた。
「クルツ、大丈夫?」
「お師匠様! 起きてくださいお師匠様!」
「――っ!! 良かった……夢か……」
弟子達に揺さぶられて悪夢から目を覚ます。胸に手を当てると鼓動は異常な速度の律動に刻んでいた。もしも弟子達が起こしてくれなかったら、死んでしまっていたかもしれない。
「いつも以上に魘されていましたが、一体何を見たんですか?」
「過去一番の悪夢だ。……夢で良かった」
荷車で揺られて酔ったせいか酷い悪夢を見ていた。過去に起こった事実を並べられただけではあるが、それ故に辛いものがある。目が覚めている間だけは悪い夢を見ないのだから、起きられるならずっと起きていたいものだ。
ゆっくりと体を起こし、騾馬の様子を確認する。騾馬は荷車を引いている騾馬は力強く、こちらが出す指示を素直に聞いてくれている。今回の旅を終えるまでと思っていたが、それ以降も頼れる旅の供としても良いかもしれない。
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