第37話 長い夜が明けて
カーテンの隙間から差し込んでくるのは、朝の柔らかな光。その光の中に佇む魔物の頭には、柔らかな黄色のひまわり。
ややあって、寝室の扉が遠慮がちに開いた。ネイシャじゃった。
「おはようございます。もうお目覚めです……か……?」
ネイシャは普段通り儂を起こしに……まあ今日は既に起きておるのじゃが、ともかく、普段と違う光景を見て、絶句した。
うむ、儂もどうしていいか分からぬ。
――ネイシャ様! おはようございます!
「ま、魔王様、これは……」
そんな中、魔物はビシッとネイシャのほうに向き直り、念話のような声……もう念話で良いか。その念話で挨拶をした。
体全体が向きを変えた勢いで、頭のひまわりがゆらゆらと揺れておる。
「……うむ、儂にも分からぬ」
そして儂が喋ると儂のほうに向き直り、またひまわりがゆらゆらと揺れる。
……ひとまず、儂に今理解できるのは、魔物の念話は使い魔契約を介したものじゃから、儂にしか聞こえておらぬはず、ということじゃ。ネイシャに向けて何かを言うても、ネイシャには聞こえぬはず。
「晴れて魔王様の使い魔になった、ということなのでしょうか……?」
——はい! そうでありますネイシャ様! 今日から魔王様に仕えさせていただきます! よろしくおねがいします!
「よ、よろしくね……」
聞こえぬはず……聞こえておらぬよな?
と、ともあれ……
「それはそうと魔王様、その、朝食に向かいませんと……」
「そ、そうじゃったな。う、うむ、朝食じゃ」
儂は普段通り、朝食に行くことにしたのじゃ。普段よりも急ぎ気味に支度をして。
……なんか怖いので、一旦、寝室を離れたかったのじゃ。すると。
——行ってらしゃいませ魔王様! 自分は、他の人が来ても怪しまれぬようにしておきます!
廊下に出る直前、念話が聞こえてきて。
振り向くと、魔物は自ら鳥籠に入り、翼の先で扉を閉め、鍵までかけておるところじゃった。
……鳥型の魔物って、こうも器用なものじゃったろうか? 儂、一体何を使い魔にしたのじゃろう?
◇
と、そんなこんなを考えながら朝食の席についておると……
「おはようシンディ。なんだか今日は、ぼーっとしてるわねえ? それにネイシャも」
朝食の席で、マーサに不思議がられてしまい。
「昨日はポーラが倒れてしまいましたからな。リサ様、あまりメイドに無理をさせないようにお願いいたします」
バーチスの頭の中で、リサが何かおかしなことをしている、ということになったようで。
「……分かったわよ。はむっ」
そのリサは、釈然としない様子で朝食のパンを齧ることになり……
——リサ様! ご機嫌うるわしゅう!
「……なに、これ?」
食後にやって来た儂の寝室で、器用に鳥籠を開けて出てきた魔物の姿に言葉を失い……
「……とりあえず、使い魔にはなった、ってことなのね?」
「うむ」
——その通りですリサ様! 自分、誠心誠意、お勤めいたします!
こめかみに手を当ててしばらく考え込み、ひとまずのことは把握したようじゃった。
「とりあえず、この子はあなたが世話するのよ、シンディ?」
……んなっ?!
◇
一方、その頃。
ゼルペリオ領中央やや西寄り、街道沿いの街の一角にて。
「はっはっは! さあ皆の者、出発するぞ! 今日のうちには西の森に着けるはずだ!」
軍勢を指揮する一人の人物がいた。レイボルトの兵士長、オージンである。
おおー、と答える兵士たちは、皆、二日酔いで覇気がない。後方で見張っているゼルペリオ兵が一斉に襲い掛かれば瞬く間に制圧されるだろうと素人目にも分かるくらい、隊列が乱れていた。
それでも、なんでゼルペリオ兵はこいつらを叩かないんだ、と不満を口にする者はいなかった。ゼルペリオ兵の一部が先行し、進路上の街の人々に事情を説明していたからである。レイボルトの部隊がやって来ますけど奴らの目的は西の森だからここで騒ぎは起こさないでしょうしそうならないよう我々が見張っていますよ、と。
街の人々は、その言葉だけで安心しきっていたわけではなかったが、実際にやって来たレイボルトの軍勢を見て、納得した。後を追うゼルペリオの軍勢と比べ、見るからに弱そうだったからである。むしろ失笑さえ漏れた。そしてレイボルトが豪遊を始め、それでも金はちゃんと払ってくれるのを見て、いいお客さんだ、とさえ思った。
そのお客さんがここから先でひもじい思いをするであろうことは、気に留めなかった。
そして。
「隊長、伝令の早馬、出発しました」
「ご苦労」
ゼルペリオの隊長は部下の一人を先行させていた。森の手前にある冒険者ギルドへ向けて。
昨夜、情報を見事に曲げて伝えたレイボルト兵たち。これはゼルペリオ側が注意しないと騒動の元になる、と案じていたのである。
こうして多くの人々に見守られながら、オージンは街を出発した。
彼はまだ知らなかった。その姿が街に住む芸術家の手によって描かれ、「生け贄の旅路」と題する絵画となって世に広まり、後世にも伝えられることになる、ということを。
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