第36話 鳥が見た光景・後編
……やって、しまった。
と、魔物は自身の失態を悟った。自分をじっと見つめる人間たち。その目的が何なのかは知らないが……
「魔王様。この失態、明日にでも償ってまいります。今度は巣の魔物を全部捕まえて」
紫色の髪の脅威が、自分から視線を逸らさずに、語った。
もう、自分が犠牲になれば済むという段階ではなかった。今すぐここを逃げ出して、仲間に危機を伝えないと、大変なことになる。それなのに、動けない。
脅威が放つ視線に身体が恐怖していた。そして。
「それはいいんだけど、この鳥はどうするの? 厨房でお肉にしてもらう?」
年増の人間が、一言。
このままでは、自分も、殺される。もちろん、仲間に危機を知らせることができなくなる。
逃げなければ。
だが、紫色の髪の脅威が魔物を睨んでいる。魔物は、身体がすくんで、動かない。
「そうじゃな。ひとまず、此奴は魔術で眠らせておくか」
そして今度は、馬鹿っぽい踊りの人間。
「眠らせる」。そう言った。きっと、そうなれば、自分はもう、目覚めることはない。
だからか、人間は神妙な表情を浮かべていた。これからとどめを刺す、という覚悟の顔を。例の、馬鹿っぽい杖をこちらに向けて。
自分が最後に見るものは、この杖と、あの踊りと、杖から出てくる変な光。
あんまりだった。
「あ、待ってシンディ。契約の魔術、今日のあれで試してみたら? ほらあれ、妖精さん」
と、それを、年増の人間が止めた。
「妖精さん……顔ひまわりのことか?」
「え、あなたあれ、『顔ひまわり』って呼んでるの?」
「え、あ、そ、そうじゃが、まあ、取り敢えずで、の」
「……まあ、呼び方は何でも良いわ。とにかく、あれなら、魔術を力づくで通せるんじゃない?」
「むう、術は強化されるが、どうじゃろうか。まあ、ものは試しじゃな」
そして何かを納得した様子の、馬鹿っぽい人間。
今度は何をされるのか。紫色の髪の脅威に睨まれたまま身構えていると、馬鹿っぽい人間は、真剣な表情から一転、憎たらしいほどの笑顔になった。
これもまた、あんまりだった。
だが、その直後。
ずももももも……
周囲の空気が震え出す。かと思えば、今度は巨大な顔が現れた。
「七色、じゃの」
「七色ね……」
その顔は、馬鹿っぽい人間と年増の人間が言う通り、七色の花弁に縁取られていた。魔物の位置からしか見えないが、眉毛の部分までも。
そして音もなく近づいて来る。
ただただ、恐怖だった。そして視界の端には、自分を睨む、紫色の髪の脅威。
こうしてふたつの恐怖に挟まれた魔物は精神に限界を迎え、気を失った。
◇
気がつくと、魔物は壮大な雲海の上にいた。羽ばたいているわけでも風を受けているわけでもないのに、大空に浮かんでいる。まるで魂が肉体を離れ、この場所に漂っているかのように。
美しい空だった。
もう、自分は死んでしまったのか。そう思った。すると。
——聞こえるか。小さき存在よ。
声が、聞こえた。厳かな、けれど、優しく響く声だった。
そして見えた。その声の姿が。声は、意識を失う前に見た、七色の顔だった。
その姿に、今は、恐怖を感じない。むしろ、魂だけとなった自分を導く、大いなる存在に思えた。
「神」。人間たちの言葉でそう呼ばれる、大いなる存在に。自分を優しく見下ろすその顔はきっとそうなのだろう、と。
……それならば。
魔物の心に、不安がよぎった。やはり、自分は死んでしまったのか。仲間に危機を伝えることは出来なかったのか。
すると、大いなる存在が唇を開いた。
——小さき存在よ。汝はまだ、生きておる。
生きている。その言葉に、魔物は安堵する。
だが、今度は、疑問が湧いた。生きているのなら、自分は何故、ここにいるのか。
大いなる存在は、答えた。
——我が導いたのだ。汝に、力と、使命を授けるために。
使命、とは。
魔物は心の中で問う。
——汝は、汝が出会った幼き者、彼の者を助けるのだ。かつての名を魔王ジルガント、今の名をひまわりの魔王シンディ。彼の者に仕えよ。さすれば汝の同胞は……
大いなる者はまたも答え、続ける。そして……
◇
朝、寝室にて。
——魔王様、おはようございます!
儂は、儂を呼ぶ声で目が覚めた。心に直接響いてくる、念話のような声じゃった。
一体誰が、と思いながら身を起こしてみると、そこには儂の理解を超えたものが存在していた。
昨夜の魔物が直立不動の姿勢を取り、儂に語りかけておる姿じゃった。気絶した後、取り敢えず鳥籠に放り込み、続きは明日にしようと言って扉を閉めておったのに、その扉を開けておった。
しかも、使い魔契約を通じた意思疎通を使いこなしておる。念話のような声はその力によるものじゃ。
で、そのこと以上に理解に苦しむのが……
——魔王様の使い魔、しっかりと努めさせていただきます!
魔物の頭から、ひまわりが生えておることじゃった。黄色く明るい、手のひらほどの花を咲かせて。
その黄色は、ツバメの姿をした魔物の、背中側の黒の上に、異様なまでに際立っておった。
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