第24話 大金に飲まれて
「これだけは使いたくなかった。使いたくなかった、が」
シンディがひまわりの杖の呪いに悩んでいた頃、遠く離れた場所で一人そう呟きながら悩んでいる男がいた。
マルドス・レイボルト。ゼルペリオの北東に位置する、レイボルト子爵家当主である。
歯垢に塗れた歯を持ち、それでも虫歯にならない彼は、今、脂肪に包まれた顔に脂汗を浮かばせながらある一線を越えようとしていた。
彼が今実行している、ゼルペリオ家を追い落とす計画。この計画には、子爵家のはるか上に位置する他の貴族家が後ろ盾についている。そしてマルドスはその後ろ盾から、計画のために必要な資金を工面されていた。
資金の全額を、現金で、前渡しで。
それはマルドスから見れば気前のいい話だったのだが、同時に重圧でもあった。計画が佳境に迫ったときに資金が足りなくなりました、などとは言えないからである。
金額は大きくても計画的に使わなければならない金。不足させてはならない金。マルドスもそのことを理解するだけの分別は持ち合わせていた。
だから、まだ大部分が残っている。大金の大部分が。
そして、その金とは別に……
マルドスの前に、予想外の金額に膨れ上がった請求書があった。
マルドスはオージンに、現金はなるべくゼルぺリオ領に着くまで残しておくよう指示していた。レイボルト領内と違い、そこではレイボルト家の支払いで必要な物資を買うことができないからである。
そしてその指示は兵士たちにも伝えられていた。オージンが彼らを領境近くに待機させたときに。
そこに誤算があった。
兵士の多くは現金を使わない会計に慣れていない。その彼らの金銭感覚は、どんなに飲み食いしても財布の現金が減らない状況で、たちどころに狂った。大勢でいることの気の大きさも手伝い、どんどん高額の注文をしてしまう。
こうしてマルドスにのしかかってきた金額は、彼がすぐに動かせる金額を大幅に超えていた。
何故、こんなにも。
現場の状況を知らないマルドスは、請求書の金額を、はじめ、理解できなかった。けれど、すぐに思い直す。
払わないわけには行かない、と。
レイボルト家は貴族の中では決して裕福な部類ではない。だがマルドスには、領民に対して金回りの悪さを見せてはならない、という矜持があった。
彼は、領主の威厳は金の力を見せつけることで成り立つもの、と考えていたのである。
そこで彼が取った方法は……
「使いたく、なかった」
自らに言い訳するようにそう呟きつつ、後の計画のために残しておいた資金に手を付けることだった。
手持ちの金と合わせれば、それで兵が使った分は払える。
しかし、これでは計画が後の段階に進んだ際、資金不足に陥ることになる。
そのときどうするか。マルドスは考えあぐね、閃いた。
後に不足する分を予め稼いでおけば良いのだ、と。残りの資金に手を付けるのは一時的に借りるだけのこと、すぐに補充すれば問題ない、と。
そしてそこまで気がつけば、不足分を稼ぐ方法はすぐに思いついた。オージンたちには既に、西の森で魔物の素材を換金して費用を工面するよう伝えてある。その指示を強め、より多くの魔物を狩るように伝えればいい。
もともと、十分な数の兵を送っている。魔物を多めに狩ることなど容易いはず。
そう考えたマルドスは、さっそく手紙を書き、オージンへ新たな指令として届けるよう、使用人に言いつけるのだった。
◇
同じ頃、ゼルペリオ領内、西の森の近くに建てられた、冒険者ギルドの事業所にて。
「テッドさん、聞きました? お隣の子爵がこの森に来るって」
ギルドの受付嬢を勤めるハンナ。噂好きの彼女は、この日、暇を持て余していた冒険者に声をかけていた。
ハンナの言う「お隣の子爵」とは、当然、レイボルトのことである。ゼルペリオ家を訪れてオージンが宣言した居座り計画は、バーチスを通じ、ギルドにも知らされていた。
普段の狩場に他所者が大勢居座る。狩りによって生計を立てている者には死活問題となるはず、だった。
だが。
「聞いたぜ。間抜けな奴らだよな」
その当事者であるはずの冒険者に焦った様子はない。
何故か。
森の魔物には時季がある。そして狩りの実入りが良い時季は、ついこの間、終わったばかり。これからの時季に入口付近に多く現れるのは、素材が高く売れない魔物なのである。
だから、冒険者の多くはしばらく狩りを休み、蓄えた金でゆっくり過ごすところだった。魔物の間引きは必要だが、それは頻繁でなくて良い。
「ギルドとしては助かるんですけどね。討伐報酬が浮きますから」
そしてその間引きには討伐報酬が設定されているのだが、それが支払われるのはギルド所属の冒険者が狩った場合だけ。所属外であるレイボルト兵が狩っても、ハンナの言う通り、支払う必要はない。
ギルドや冒険者から見れば、レイボルトがしようとしていることは、ただ働き。
こうして呆れられているという事実をマルドスが知ることになるのは、ずっと先のことだった。
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