第8話 計画
「ほほはららへはほほひほひるほはふりらろへ、ふらははほへひはふはほひはひはひは」
ひはひはひは。
ネイシャが発したこの謎の言葉は、ネイシャが修行の成果を見せると言うて発した言葉じゃった。
人目を盗んで武術の技を磨いたと言った後、徐に立ち上がり、前もって台所から失敬しておったリンゴを宙に投げ、手刀で8つに切り、7つを皿で受けて。
残りの一切れを、ちゃっかり口に運んで。
「この身体では鎧は斬るのは無理なので、素早さと正確さを磨きました」
「流石じゃな、ネイシャ」
「はひはほうほはひはふ」
ちゃんと飲み込ませてから言い直させたら、ちゃんと答えた。そしてすぐに次の一切れに齧りつく。
まあ、それは良いとして。
出奔するのが先であっても、その前にできることをやっておくのは有効やも知れぬ。再起するための行動を取っておるという認識があれば、自身が魔王であることを忘れずに済むじゃろう。
して、何をするか。
まずは今の世相の把握、じゃな。情報は旅立つときに有用じゃ。戦でも武器になる。
当主の執務室か、屋敷の書庫、その辺りを探れば、色々調べられるじゃろう。今の人間の世の中が、どのようなものになっておるか。
前世の頃は使い魔を飛ばして探っておったが、あの頃とはだいぶ様変わりしておるはず。
ああ、そうじゃ。使い魔。前世に契約したものは無理じゃろうが、新たに用意する手もある。
となると、魔術の訓練も必要じゃな。いつかは、と思うておったが、早めに。
魔族と人間では魔力の流れ方が異なるじゃろうから、基本の魔力操作からやり直しじゃな。魔術の術式は覚えておるが、魔力操作が疎かでは、高度なものは使えぬ。
ともあれ、世相の把握と、魔術。あと、この家の情報もか。貴族とは思うが、どのような国のどのような立ち位置なのか。
これも書物と使い魔で……いや、そのくらいはネイシャに聞けば分かるか?
「ネイシャ、この家はどういった国の、どういった立ち位置にあるのじゃ?」
「え? 私、そういうことさっぱり分かりません。はむっ」
駄目じゃった。まあ追い追い調べれば良い。
儂もリンゴを一切れもらう。はむっ。
あとは忘れてしまった使命のことじゃな。これは調べて分かることとは思えぬ、が、なんとなく、魔王城に戻れれば思い出せる気もする。
先の目標として頭の片隅に置いておくか。
じゃが、なんじゃろう。何か、少し前に手掛かりのようなものを思い出しかけた気が。
もしかすると魔王としての行動の中に、何か結びつくものがあるのやも知れぬ。まあ、こちらは気長にやるしかない。
あとは、そう、じゃな。
この家の者たちのことも、よく知っておくか。前世の記憶を留めることとは関係なさそうじゃが。いやこれは、怪しまれぬよう立ち回るのに役に立つ、か?
うむ、差し当たりこんなところか。ならば。
「よしネイシャ。善は急げじゃ。早速準備に取り掛かるぞ」
大まかな方向性は決まった。次に必要なのは、より具体的な計画じゃ。そちらもしっかり考えねば。
「あ、はい。お風呂ですね、行きましょう」
「え? あ」
と思うたら、時は既にお風呂じゃった。
◇
同じ頃。
「ジルガントって名前、誰が考えたの?」
「シ、シンディ様です」
「ふぅん」
リサは自室にサティアを呼び、今日のシンディの様子を聞いていた。
遊び相手になった時のことだ。
サティアの話では、今日のシンディはいつも通り。そのことがリサには気になったが、もっと気になったのは遊びの内容のほうだ。
シンディたちがしていたのは、魔王ごっこ。シンディの「われはまおうジルガントなり~」に始まり、勇者役のサティアを撃退して終わるもので、考案したのはシンディらしい。
我が娘ながら、と思う傍ら、リサは魔王の名前のことが引っ掛かった。貴族向けの学校で習うことではあるが、気に留める者は少なく、昔話ではただ「魔王」と呼ばれる。平民には魔王に名前があったと聞いて驚く者も多い。現にサティアはそれが正しい名前だと知らなかった。
その名前を何故、まだ学校に行っていないシンディが? ネイシャが教えたにしても、何故?
ここでリサは思い当たった。シンディの前世が魔王かその関係者という可能性に。
そしてもし、魔王ならば……
「魔王の知識があると、便利そうね」
「え? リ、リサ様?」
「あ、ああごめん、こっちの話」
「はあ」
人類の脅威になる、とは考えない母親だった。
◇
さらに同じ頃、ゼルペリオ家の屋敷とは別の場所にて。
2人の男が話していた。
片方は脂肪をたっぷりと蓄えた、中年の男。私邸の中だというのに高価な装飾品を身に着け、使用人に見せつけている。
その男が、言った。
「準備は順調かね?」
そしてもう一人の男は、自信たっぷりに答えた。
「完璧でございます。決行が待ち遠しいばかりです」
これを聞いた男は、分厚い唇を釣り上げる。そして手元のブドウ酒を飲み干すと、歯垢まみれの前歯を晒しながら、大声で笑った。
「ゼルペリオもこれで終わり、か。ぶは、ぶははは!」
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